「日本の昔話」 柳田国男 新潮文庫
鳩の孝行 p20〜
「昔の昔、鳩はほんとにねじけ者で、ちっとも親の言うことを聴かぬ子であったそうです。親が山へ行けといえば田へ行き、田へ行けといえば畠へ出て働いていました。親が死ぬ時に静かな山に葬って貰いたかったけれど、そう言うと又反対の事をするだろうと思ってわざと川原へ埋めてくれと頼んで死にました。
ところが鳩は親が死んでから、始めて親の言うことを聴かぬのは悪かったと心付きました。そうして、今度はその言いつけの通りに、川原へ行って親の墓をこしらえたのだそうであります。然し川のふちでは、水が出るたびに墓が流されそうで気がかりでたまりません。それ故に今でも雨が降りそうになると、この事を考え出して悲しくなって、ととっぽっぽ・親が恋しいといって鳴くのだそうであります。もう少し早くから、親のいうことを聴いておればよかったのであります。」(能登)
蛸島の虻(あぶ)p77〜
「是もむかし能登国蛸島の湊に、柳何がしという人がありました。或日一人の若いものを連れて、鯖を釣りに小舟に乗って沖へ出ましたが、面白いほど鯖が釣れるので、還ることも出来ないでいつ迄も釣っておりますと、舟を漕ぐ若いものは退屈して寝てしまいました。主人は暫くして、ふと気が付いて見ますと、何処から来たものか三匹の虻が飛びまわって、しきりに寝ている男の鼻の穴から出たり入ったりしています。こんな沖合に虻などの飛んで来るわけはないがと思って、その若者の寝ているのを揺り起しました。若者が起きて言うには、私は今実に珍しい夢を見ていました。村の丸堂の中から三体の仏様が、三匹の虻になって飛んで出られたのを、どこまで行かれるのかと見届けようとしているうちに、貴方がお起こしになったのですと申しました。
主人は之を聴いて、それはなる程奇妙な夢だ。それでは今日の鯖を残らずお前に上げるから、その夢を私に売ってくれぬかと言いました。夢なんか若(も)し買って下さるならば、幾らにでも売りましょうと言って、男は沢山の鯖を貰って、喜び勇んで共々に還って来ました。柳の主人はその足で直ぐに、村の丸堂という御堂の在る所に言って見ますと。果たして夢の話の通り、御堂の壁の隙間から三つの虻が、出入りをしておりました。笠を手に持って待っていて、そっとその虻を押えて大急ぎで家に帰り、座敷の中でその笠を除(の)けて見ますと、虻ではなく一寸八部ほどの美しい三つの御仏像でありました。これを三つとも家に置いては、あんまり欲が深過ぎると思いまして、阿弥陀様は村の勝安寺というお寺に納め、弁天様は湊の外の、小さな島に持って行って、今でもそこを弁天島といっております。そうして残りの毘沙門さまだけは、今でも大事にして、この家で祭っているという話であります。」(能登珠洲郡)
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