2022年02月28日

宇宙の寿命

「偉大なる宇宙の物語 ーなぜ私たちはここにいるのか?ー」 ローレンス・クラウス 塩原通緒訳 青土社 2018

この世の終わり? p359〜

 「ヒッグス粒子の発見は、この宇宙の楽観的でない可能性を浮かび上がらせている。現在観測されている宇宙の加速膨張が永久に続くような未来は、生命にとっても悲惨な未来だし、もはや宇宙を探り続けられないという点でも悲惨な未来だが ー なぜなら最終的に、今われわれに見えている銀河はすべて光より速い速度でわれわれから後退し、われわれの地平線から消滅して、残った宇宙は冷たく、暗く、ほとんど空っぽになってしまうから ー 陽子の一二五倍の質量を持ったヒッグス場のせいで行き着くかもしれない未来は、さらに悲惨になりうるのだ。

 ヒッグス場の質量が、実際に観測されているヒッグス場の許容質量範囲に一致する場合、標準模型にもっと高いエネルギーで追加されるような新しいものがさしあたり何も追加されないと仮定すると、計算では、現在のヒッグス場の凝縮が不安定性の寸前でぐらぐらしていることが示唆される。つまり、、凝縮が現在の値から大きく変化して、もっと低いエネルギー状態に関連するまったく別の値になりうるのである。

 そのような変化が起ったら、われわれの知るような通常の物質の形状が変わってしまう。銀河も、星も、惑星も、人間も、おそらく消滅するだろう。うららかな快晴の朝に氷の結晶が溶けてなくなるように。
怖い話が好きな人のために言っておくと、もうひとつ、さらに陰惨な可能性も示唆されている。ヒッグス場をどこまでも大きく成長させ続ける不安定性が存在するかもしれないということだ。そうした成長の結果として、進化するヒッグス場に蓄えられたエネルギーが負になるかもしれない。そうなると、宇宙全体がふたたび崩壊してビッグバンの反転という激変を起こす。つまりビッグクランチである。このなりゆきは叙事詩にはふさわしいかもしれないが、幸い、データはその可能性に否定的だ。

 ヒッグス場が急激に変化して新しい基底状態にいたるともに、今われわれの見ているものすべてが消滅するというこのシナリオで、私がとくに強調しておきたいのは、現在測定されているかぎり、ヒッグス場の質量は安定性を好んでいるが、その値には十分な不安定性があってどちらに転んでもおかしくない ー 今われわれが栄えていられる一見すると安定した真空を生むかもしれないし、前述したような変化を好みむかもしれないということである。さらに言えば、このシナリオは、あくまでも標準模型の枠内での計算にもとづいている。新しい物理がLHC*かどこかで発見されでもすれば、場合によってはそれがこの構図をがらりと変えて、不安定だったこれまでのヒッグスばを安定させるかもしれない。いずれにしても、やがて新しい物理が発見されるのは確実だと思われるので、ここで絶望するには及ばない。
 それもでもまだ安心できないなら、最終的な宇宙の未来が今の話よりもっと悲惨なのではないかと怖がっている人のために、今のシナリオを導いたのと同じ計算が、われわれの現在の準安定的な配置の現実が今後数十億年どころでなく、その十億倍の十億倍も続くことも示していると伝えておこう。」

LHC* 大型ハドロン衝突型加速器 : Large Hadron Collider、 は、高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円形加速器の名称。

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宇宙の運命
posted by Fukutake at 07:25| 日記

2022年02月27日

熊野(ユヤ)

「近代能楽集」 三島由紀夫 より「熊野」(抜粋) 新潮文庫

(三島節に酔う)p212〜

 「…ユヤ ブランコに乗っている子供たちの肩に散った花がいくつもまとまって、又落ちる。子供たちにはそれが嬉しいんです。誰にも構いつけられない子供には、花が構ってくれることが。
宗盛 むしょうに子供子供というが、さては日頃の宗旨を変えて、子供が欲しくなりでもしたのか。
ユヤ ごらんなさい、小さな女の子が、あれは子供のころの私だわ。針箱から盗んで来た糸と針で、ああして散った花びらを一つ一つかがっている。でも手は遅く、花びらは薄く、花の首飾りができるまでには、きっと日が暮れてしまうでしょう。
宗盛 それより首飾りができるまでに、花びらは腐ってしまうだろう。
ユヤ 桜の下のベンチには、若い恋人同士がいますわ。花の天蓋に濾(こ)された光りが、お互いの頬を柔らかく見せ、抱き合ったら、そのまま融けてしまいそうな心配から、耳にはブランコの陽気な叫びや、蜂の重たい羽音をききながら、いつまでも、顔を見つめ合ってじっとしているんだわ。
宗盛 若くてその上貧乏だというので、ロマンチックになるより仕方がないのだ。
ユヤ あら花びらだと思ったら蝶々! 男のほうの黒い髪にとまったわ。ポマードでべたべたの髪だったら、蝶々もいやがるでしょうに、きっとあの人の髪はかすかな香油だけで、自然な野原のような匂いがするんだわ。
宗盛 安ポマードを買う余裕もなくって、女の髪油のあまりを貰って、撫でつけているんだろうよ。
ユヤ あら、女のほうが気がついて、手をのばしたら、… あら、蝶が翔(かけ)ったわ。あの蝶もきっと女蝶で。行きずりの女の顔が、恋に盲(めく)らになっている男の心にも、つかのまの影を落とすように、若い男のしなやかな黒い髪に、ほんの一刷毛(ひとはけ)の鱗粉を落として行ったんだわ。
宗盛 蝶にまでやきもちをやく、あんな細君を持った男の将来。俺はそういう男をいっぱい知っている。野心の遂げられない空しさと、細君に愛されているという情ない自信とで、人生の小匣(こばこ)をいっぱいにしてしまい、腑抜けの中の腑抜けになるのだ。
ユヤ 本当にきれいな桜の満開。花がたくさんの影を畳んで、あらたかな日ざしのなかで、一枝一枝が花の泉の盛り上がるような勢いを見せ、そのあいだにはなまめかしい黒い枝々。
宗盛 哀れなものだ。哀れな貧しい花だ。
ユヤ (空を見上げて)まあ、知らない間にあんな黒い雲が。
宗盛 (これも空を仰ぎ)ちぇっ。言わんことじゃない。
ユヤ 公園のほうはまだあんなに日が当っているのに。 …おや、翳りだしたわ。桜の急に色を失くした。白いお葬いの花のようになってしまった。砂場に黒い点々が。雨だわ。私の桜が、あんなに雨に濡れてしまった。(じっと見ているうちに泣き出す)…」


恍惚となる三島の世界。

posted by Fukutake at 07:45| 日記

2022年02月26日

満洲人の矜恃

「宮ア市定全集 2 中国史」 岩波書店 1992年

素朴主義をもって建てる満洲帝国 p122〜

 「火薬が発明され、大砲小銃の普及せる時代において、物の威力は屢々(しばしば)人力を圧する。かかる際に貧弱なる資源しか有せざる素朴民族の興起は、前代と異なりて著しく不利なる境遇に置かれる。清の太祖が寡兵をもって、よく明の四路征討軍を撃破して、満洲において確固たる地盤を築けるが既に奇跡的である。次に太宗の時代、西には蒙古族の向背明らかならず、前に寧遠*の堅城ありて屢々攻めて利あらず、内には旱魃饑饉頻りに至りて、招集せる中原人に動揺の色あり、この国歩艱難なるの秋に際して、満洲民族がよく戮力一致、困難を克服して歩一歩前進せるを見て、最後の勝利の栄冠が彼等の頭上に輝くはけだし偶然ならざるを知る。凡そ新勢力の興るや、旧勢力は盤石のごとき勢いをもって圧し来るものだ。一家を興すことすら且つ容易ならず、況んや一国をや、天下をや。しかも敢然として排除して邁進せざれば新興勢力たるに値しない。明は既に老いていた。数千年の文明社会がが既に老いている上に、三百年の歴史が明の朝廷を老いしめていた。中原の文明社会は再び六万の満洲八旗を中堅とする清朝の下に素朴主義の訓練を受け直さねばならなかったのである。

 明朝三百年の間、長城を挟んで明と蒙古が連年乱闘を繰返すとき、誰か中原の鹿が第三者たる満洲民族の手に落つることを予言しであろうか。しかも清の太祖が、蒙古の降将に諭せる言を聞け。曰く、「わが国の習俗は、忠信を守り法度を奉じ、盗賊詐欺なく、凶頑暴乱なし。道に遺ちたるを拾えば必ずその主に還す。人情敦厚かくの如し、天眷を膺(うけ)る所以なり。汝蒙古、未だかつて念珠を持し仏号を称せずんばあらず。しかるに詐欺横逆の風やまず、天汝に幸せずして、汝等をして自らその心を乱し、殃(わざわい)国人に及ばしむ。今汝ら既に我に帰せり、自後不善の心を萌すこと勿れ」と。満洲人の醇朴なりしは必ずしも太祖の自画自賛のみでなく、確かな証人がある。奇しくもそは日本人だ。寛永二十一年越前国の国田兵右衛門等の三艘、松前に赴かんとして満洲に漂流し、乗組員は北京へ送られ、朝鮮を経て帰国した。折しも北京は清朝が明に代わりて北京の王座に坐りたる混乱の最中だ。国田等は帰朝の後、江戸へ召されて尋ねらるるままに見聞せし覚書を作成した。曰く、「清国の御法度、万事の作法、ことの外に明に正しく見えもうし候。上下共に慈悲深く、正直にて候。偽申事一切御座無く候。金銀取ちらし置候ても、盗取様子無之候。如何にも慇懃に御座候」。また曰く、「主と下人との作法、親と子との如くに見へ申候。召仕候者をいたはり候事、子の如くに仕候。又主をおもひ候事、親の如くに仕候故、上下共に親しく見へ申候」。凡そこれら当時目撃者の記述は、後世清朝の御用学者が千万言の美辞麗句にも勝る最大の賛辞と言わざるを得ない。しかも彼等が、事明朝の遺民に及べば、にわかにして筆法を異にする。曰く、「北京人の心は満洲人とは違ひ、盗人も御座候、偽も申候、慈悲も無之かと見へ申候」と。俄然明人は日本人にも見放されたるものだ。更に曰く、「満洲の御奉行衆、日本の者共に、まねと言葉にて御申候は、日本人は義理もかたく、武辺も強く、慈悲も有之よし伝聞候、満洲国も似候由に被仰候、夫故日本人を御馳走被成との御申様にて候」と。日本と満洲と、素朴主義の訓練において、一脈通じたるところが、言語は分からざるも、以心伝心互いに了解したるものだ。好漢は好漢を知る。吾人は読んでここに至って無限の興趣を感ぜざるを得ない。」

寧遠* 遼寧省興城にある町

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漢民族とは大違い。「道に落ちたるものはな必ず落とし主に戻る」

posted by Fukutake at 08:10| 日記