「100分で名著 特別授業 養老孟司 ー夏目漱石ー 読書の学校」 NHK出版 2018年
大人になる p112〜
「私がいまの教育に抜けていると思うのは、『坊ちゃん』や漱石自身のテーマでもある、「大人になる」ということです。
日本の教育は、試験で高い点数を取ることばかり執着して、人が成熟するためにはどうすればいいのかを教えてこなかった。
何かを効率的にこなすことが上手になっても、それが必ずしも人が育ったことにはなりません。
例えば、鉛筆削り一つをとっても、鉛筆をいちいち小刀で切り出して削ったら効率が悪い。鉛筆削りの機械に突っ込んでガーっと削れば、その分勉強できる。シャープペンシルならカチカチやればいい。でも、身体技能としては小刀一つ使えなくなってしまった。つまり、鉛筆削りを機械で済ませて、空いた時間を勉強に使えばいいだけのことかといえば、そうではない。身体性を失ってしまうのは、想像以上に大きなことです。
効率化とは機能主義で、はっきり目的を定め、それに合わせていちばん合理的な方法をとることです。それは、ある欠点も包括している。人間として大事なものを落っことしてしまう危険性があるのです。
大学にいた時、私も入試試験を作成することがありました。そこには常に疑問があった。合否のラインが五一三点だとすると、五一二点の人は不合格です。その一点の差は何なのか。それはただ、定員をオーバーしないための区切りです。
本当は入試試験にも答えの出ない問題を出したいけれど、そんなことをしたら、「正解は何んだ。これでは点数がつけられない」と袋叩きにあいます。「答えのないのが問題だ」と私はいつも言っていますが、残念ながら、それが通る世界ではありません。
ただ一つの目的だけを効率よく達成することが大人になることではありません。無目的に山を歩き、ふと気がつくこと。虫を探すという目的がありつつも、違う目的が思わぬことで達成されることもある。自然の中には全く予期せぬ出会いもある。寄り道や回り道をすることで、人間は思いがけず成熟していくのです。
最近の人は、安全範囲内で物事を済まそうとする人が増えてきた。そうすると面白いことは起こりません。私は、「これをやろうと思うんですけど、どう思いますか」と聞かれると、「やってみなきゃわからない」と応えます。すると「無責任だ」と言われる。それなら人の忠告など求めず、自分で決めたらいいのです。ダメでもともと、試してみてダメなら仕方がない。そういうことを若いうちにたくさんやっておくことをお勧めします。
私、ラオスによく行くんです。そう言うと必ず「何しに行くんですか」と聞かれます。「虫捕りに行くんだよ」と言うと、「へえ、何が捕れるんですか」とくる。そんなもの、何が捕れるかがわかっていたら行きません。わからないから面白い。あらかじめ何が捕れるかわかっていて、それが欲しいだけなら、現地の人にお金を払って「あれ捕って来てよ」と言えば済むことです。」
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不確実に耐えて、生きていく不合理さにこそ、人生がある。