2022年01月29日

江戸の裁判

「増補 幕末百話」 篠田鉱造著 岩波文庫 1996年

南北の町奉行 p97

 「昔は今の裁判所が南北両奉行でありまして、南は数寄屋橋内、北は呉服橋内でした。この外に寺社奉行、御勘定奉行がありましが、奉行になりますと、取高三千石と極まって奉行の下には公用人、目安方などあり、また奉行所には吟味与力、同心というのがあって、刑の支配をしたものであります。普通民刑共に取扱い、当今のように別々ではない。遠島死刑の如き重罪になりますと、「お伺い」と申し御老中の指図を受けるのであります。御老中は奥御祐筆に充分取調べさせ、サテ死罪流罪に該当するや否や定まろうというのであるから、決して今人が想像するように無闇に人々を死罪流罪にさせるものではない。のみならず当今のように死刑になるか、無罪になるかなんぞの突飛な裁判もありません。死刑が流罪になるくらいである。

右重罪の外は「手限(てぎり)」と申して、奉行の手下に処罰をするのであります。で吟味役の内にも調べ役と擬律者は骨を折れれば、宣告をするにも、先ず律に照らし、お触れを取調べ、そして判例を要します。就中(なかにも)重罪となると、「お伺い」をするから御老中の方より何か申し来たるとも、申し開きの立つようにして置かねばならぬ。ソレでないと再調べなどされると、吟味方の落度になります。この例は『類集』という書物になって居りましたが、コレは慥か司法省へ引き渡したから、同省には今なお存在して居りましょう。

 奉行は朝十時御城のお太鼓の鳴る頃一旦お城へ出て、ソレから奉行所へ退がり、その日に持出した訴訟はその日に聞いてしまいますから、退出時間は極まっていませぬ。今の裁判所より骨は折れます。今の原告はその頃「訴人」と言った。被告はというに「相手方」といったもので、スベて口供(こうきょう)を取る。これによって裁きをつけますが、吟味役が下手ですと、擬律の役人は真にやり憎い。時にツキ返すこともある。これは吟味役の落度である。また事件が大名のお家騒動とか、桜田の椿事といった安排式の時には、「五手」といって大目付、寺社奉行、御勘定奉行、町奉行、お目付の五人が顔を合わせて評定をするのであります。

 あの頃は浪人者が多く諸家で取押えて迎えに来るが、往って見るてえと、長いのを一本差した大の男を多勢に任して取巻いているので、「サアお引き取りください」という訳で、暴れ出された日には大変だと思った事がある。その頃吟味した浪人者の内に、当時では堂々たる貴族院議員何の某(なにがし)なんぞという人物があるんです。その頃の何次郎何太郎の、次郎、太郎の二字を取除けて、一字名の連中があの際には遊郭で暴れたり、町人泣かせをして捕まって来たものでありましたが、時々姓名を見て思付く事があります。イヤ変われば変わるものだ。」

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狼藉浪人が貴族院議員!







posted by Fukutake at 09:32| 日記