2022年01月26日

明治日本の風景

「東の国から(上)−新しい日本における幻想と研究−」ラフカディオ・ヘルン
平井呈一 訳 岩波文庫

生と死の斷片 より p141〜

 「七月二十五日。今週、わたしの家には、いつもにない、三つの風変りなおとずれがあった。
 まずその第一は、井戸がえがやってきたことであった。すべて井戸というものは、毎年一回ずつ、中の水を底まですっかりかい出して、きれいに掃除をしなければならないものである。そうしないと、水神さまという井戸神さまがお怒りになるのである。…

 第二のめずらしいおとずれは、刺し子装束に身をかためた土地の火消し人足が、手押しの龍吐(りゅうご)ポンプをひいてやってきたことであった。むかしからのならわしで、この連中は、毎年いちど、土用のさなかに、自分たちの持ち場をまわって、家家のほてりかえった屋根に水をかけ、そうして金のある家主連から、一軒ずつ、なにがしかのわずかなほまちを貰いあつめて歩くのである。ひでりどきに、長いことおしめりがないと、人家の屋根がおてんとさまの熱で燃えだすことがある −− こういう迷信があるのだ。で、火消したちは、わたしの家の屋根や、植木や、庭などへ筒先をむけて、大いに涼しい気分をつくってくれた。そのお禮ごころに、わたしは、その連中に酒を買ってやった。

 第三のおとずれは、この町のはずれの、ちょうどわたしの家のまん前にその堂がある、お地蔵さまのお祭りを、なんとかそれ相應にとりおこなおうというので、その合力をたのみに、子若連の総代がやってきたことであった。わたしはよろこんで、そのあつめ金に寄進をした。というのは、この温顔慈相の佛がわたしは好きであったし、お地蔵さまのお祭りなら、きっとおもしろいにちがいないとわかっていたからであった。そのあくる朝早く、わたしは、そのお地蔵さまの堂が、はやくもくさぐさの花や奉納の提燈などで飾りつけられてあるのを見た。お地蔵さまの首には、新しいよだれかけがかけられ、佛式のおそなえ膳がそのまえに供えてあった。それからしばらくたつと、こんどは大工連が、お堂の境内に、子どもたちの踊るおどり屋臺をこしらえだした。ふと見ると、わたしの家の門のまえのことろに、長さ三フィートほどもある、みごとなトンボがいっぴきとまっている。写実的にじつによくできているのに、そばによってよくよく見てみる、なんのこと、胴体は色紙でくるんだ松の枝、四枚の羽は四つの十能、ぐりぐり光った頭は、小さな土瓶であることがわかった。これなぞは、まったく、美術的な材料をなにひと品つかわずにこしらえた、美術的感覚のすばらしい実例である。しかもそれが、わずか八歳の貧しい家の子どもが、ひとりで骨折ってこしらえたものだというのだから、じつに驚いてしまう。」

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目に浮かぶよう
posted by Fukutake at 15:14| 日記

確かに!

ユーチューブで見つけた面白川柳


「絶対にヒミツ」飛びかう 昼休み

根回しが 澄んだら方針変わってた

筋肉は裏切らないと 老いて知る

本当の子にも孫にも 振り込めず

いい数字 出るまで測る 血圧計

手紙書き 漢字忘れて スマホ打ち

お辞儀して 共によろける クラス会

証人が 一人もいない 武勇伝

居れば邪魔 出かけりゃ事故かと 気をもませ

古希を過ぎ 鏡の中に 母を見る

うまかった 何を食べたか 忘れたが

老いるとは こういうことか 老いて知る

元酒豪 今はシラフで 千鳥足

新聞を電車で読むのは オレ一人

叱った子に 今は優しく 手をひかれ

同窓会 みんなニコニコ 名前出ず

備忘録 書いたノートの 場所忘れ」


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気がつけば 自分も親の 癖がでる (小子)
posted by Fukutake at 08:32| 日記