「遠野物語」 柳田国男 角川文庫
遠野物語拾遺 p136〜
「一六三 先年土淵村の村内に葬式があった夜のことである。権蔵という男が村の者と四、五人連れて念仏に行く途中、急にあっと言って道から小川を飛び越えた。どうしたのかと皆が尋ねると、俺は今黒いものに突きのめされた。いったいあれは誰だと言ったが、他の者の眼には何も見えなかったということである。
一六四 深山で小屋掛けをして泊まっていると小屋のすぐ傍の森の中などで、大木が切り倒されるような物音の聞こえる場合がある。これをこの地方の人たちは、十人が十人まで聞いて知っている。初めは斧の音がかきん、かきんと聞こえ、いいくらいの時分になると、わり、わり、わりと木が倒れる音がして、その端風(はかぜ)が人のいる処にふわりと感ぜられるという。これを天狗ナメシとも言って、翌日行って見ても、倒された木などは一本も見当たらない。またどどどん、どどどんと太鼓のような音が聞こえて来ることもある。狸の太鼓だともいえば、別に天狗の太鼓の音とも言っている。そんな音がすると、二、三日後に必ず山が荒れるということである。
一六五 綾織村の十七歳になる少年、先頃お二子山に遊びに行って、不意義なものが木登りをするところを見たといい、このことを家に帰って人に語ったが、間もなく死亡したということである。
一六六 最近、宮守村の道者たちが附馬牛口から、早池峰山をかけた時のことである。頂上が竜が馬場で、風袋を背負った六、七人の大男が、山頂を南から北の方へ通り過ぎるのを見た。なんでもむやみと大きな風袋と人の姿であったそうな。同じ道者たちがその戻り道で日が暮れて、道に踏み迷って困っていると、一つの光り物が一行の前方を飛んで道を照らし、その明かりでカラノ坊という辺まで降りることができた。そのうち月が上がって路が明るくなると、その光り物はいつの間にか消えてしまったということである。
一六七 十年ほど前に遠野の六日町であったかに、父と娘と二人で住んでいる者があった。父親の方が死ぬと、その葬式を出した日の晩から毎晩、死んだ父親が娘の処へ出て来て、いっしょにあべあべと言った。娘は恐ろしがって、親類の者や友達などに来てもらっていたが、それでも父が来て責めることは止まなかった。そうしてこれが元で、とうとう娘は病みついたので、夜になると町内の若者たちが部屋の内で刀を振り廻して警戒をした。すると父親は二階裏の張板に取りついて、娘の方を睨むようにして見ていたが、こんなことが一月ほど続くうちに、しまいには来なくなったという。」
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