2022年01月18日

なんでもありのアメリカ

「金融危機の資本論 ーグローバリゼーション以降、世界はどうなるのかー」
本山美彦 X 萱野稔人 青土社 2008年 

財政政策の変容とマネタリズムの誤り p113〜

 「萱野 一九八〇年代ぐらいから、アメリカでは財政政策が公共事業や教育などの直接投資に向かわずに、金融システムの保全のための金融政策へとシフトしていきました。日本でも、不良債権問題で膨大な公的資金が金融機関に注入されてから、財政政策はガラッと変わりましたよね。この流れも、フリードマンたちの新自由主義に支えられてできたものですね。
 本山 これは非常に重要なポイントです。要するに、大きな政府批判なんです。ある時期から財政出動は許されなくなりました。独立した中央銀行がお金を管理すればいいのであってそのために中央銀行はマーケットに金利変動のシグナルを出すなどして対話しろ、ということです。つまり、中央銀行とマーケットのあいだの問題なので、国家は黙れ、と。
 こうした発想は「インフレターゲット論」に顕著です。インフレ率を何パーセントに設定し、これを上回りそうなら金利を上げます、下回りそうなら金利を下げます。そのつもりで行動してください、というマーケットへの指示を出せばいいという立場がインフレターゲット論です。
 しかし、ここでの誤りは「金利だけ」ということだと思います。総需要を増やしたり、大きな問題に対処するためには、やはり財政出動が必要です。しかしそこには、大きな国家はダメだというイデオロギー的縛りがあったために、中央銀行の金利政策だけで対処するようになった。
 けれども、すでにケインズが明らかにした通り、通貨供給は銀行の貸出し行動(マネーサプライ)が増えることで増大するんです。いくら中央銀行がお金を出しても、そのお金が商業銀行から貸出しに回らないかぎり、社会全体のお金は増えません。
 そこが一番大きな、問題なのに、それを無視して短期資金をどんどん出すだけでは、いちばん必要なところまでお金はまわらずに、金融機関は貸しはがしをしながらお金を蓄積し、大きな投機へとお金がまわっていくのだろうと思います。…
 そして彼ら(市中の商業銀行)のいちばんの矛盾は、大きな政府批判をしながら、今回のような金融危機になるとなぜか国家に助けを求める、というところです。現在、市場類を見ないほどの財政出動がおこなわれています。かつての「大きな国家」を合算するよりも大きな規模で、公的資金が金融機関に注入されている。これこそ巨大な国家です。その巨大な国家にすがる彼らは何なのか、と思います。彼らのイデオロギーが単なる方便であって、本当のイデオロギーではなかったということですよね。

 スティグリッツが「貧乏人には市場原理と言い、金持ちには優しい保守主義だと言う」とあらわしていますが、的を射ています。要するに今回の金融危機でもお金は縮小していない。溢れているんです。そして溢れたお金が特定のところに集中している。
 以前、マイケル・ムーアがブログで書いていましたが、アメリカの上位四〇〇人の総資産は、下から一億五千万人の総資産より多いそうです。…
 アメリカではお金をどんどん増刷していますが、これもあまねく浸透する訳ではなく、特定少数の金融機関に集中しています。一方で、彼らはそのお金をどう使うか、まったく明らかにしていません。」

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アメリカです。何でもやります。

posted by Fukutake at 09:46| 日記