2022年01月14日

八雲と中国

「小泉八雲と近代中国」 劉岸偉 岩波書店 2004年

 「一九三〇年七月、上海日本研究社は雑誌『日本』を刊行した。第一号に、「逸塵」の署名で発表された。「発刊の詞」には、こんな言葉がある。

   日本という国といえば、政治的にしろ、あるいは地理的、文化的にしろ、過去も現在も、わが中国とは最も深く最も重要な関係をもっている。明治維新以来、彼らは朝野上下とも、伝統的で一貫した侵略政策に基づき、南進であれ、北進であれ、いずれもわが中国を侵略の目標にしてきた。…彼は刀であり、またまな板であり、我は俎上の魚であり肉である。なんと痛ましいことであろう。中国に対する日本の侵略が実行でしたのは、もとよりその海軍陸軍の強さ、兵器戦艦の先進さのためではあるが、しかし最も驚かされるのは、彼らの学術探偵隊である。東京の書店へ見に行くがよい。彼らの著した中国関係の書物がどれだけあるか数えられないほどである。

 日本における中国研究の資料書籍、機関団体、調査の実態など列挙した後、中国人の日本研究に触れて、夥しい数の留学生がいるにもかかわらず、まともな日本研究書といえば、黄遵憲の『日本国志』と戴季陶の近著『日本論』のほか、ほとんど見あたらない、と嘆いた。そして戴季陶の言葉を引用してこう続く。

   李陶先生が彼の日本論の中でいう。「中国という題目について、日本人はそれを解剖台にのせ、すでに何千回となく解剖し、また試験管に入れて何千回となく実験しているのだ。それにひきかえ、われわれ中国人は、ただ排斥と反対の一点ばりで、研究しようとしない。これはまるで思想における鎖国、知識における義和団も同然ではないか」。李陶先生の言葉は、なんと沈痛であり、なんと興味深いものであろう。(中略)
 われわれが日本研究を疎かにして、日本のことがわからないからこそ、それに欺かれるごとに、手も足も出ず慌てふためくのに対し、日本人は中国の奥底をはっきり窺うことができたからこそ、それを左右して向かうところ阻まれるものがないのである。…政治的立場であれ、学術的立場であれ、日本の国家、社会、文物のすべてを一体何なのか、と明白に解剖してみせなければならず、全国民の前にさらし出さなければならない。特に我が国の日本に留学している学生はこの重大な責務を負うべきである。我が国の留学生たちは、憚ることなく日本政治、経済のスパイをつとめ、日本社会、教育の探偵をつとめるべし。

 一九三一年、「満州事変」が勃発すると、タイムリーに抗日宣伝を行うために、雑誌は『日本評論』と改名され、一時、三日ごとに発行された。しばらく後にまた月刊誌に戻るが、時局の激変に伴い、内容はますます戦時色を深めていく。」
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posted by Fukutake at 07:37| 日記