「林芙美子随筆集」 武藤康史編 岩波文庫 2003年
こんな思い出 p123〜
「誰にもまだ話した事はないけれども、私は幼い時分、浪花節語りになりたくて仕方がなかった。家と云うものがなくて、たいてい木賃宿泊りなので、自立自営と云った気持ちがたぶんにあったせいか、手近な仕事で、親たちがあっと愕(おどろ)いてくれるような事がやりたくて仕方がなかった。私が十一か十二の頃だったろうと覚えている。福岡県の直方(なおかた)と云う炭坑町に両親といた頃、同じ木賃宿に、非常に浪花節のうまい女のひとがいて、雨が降ると同宿のひとを帳場にあつめて、色々なものを語っていた。その女のひとの家号は失念してしまったが、名を雲花と云った。長い間、どんな土地へ行っても、その女のひととは音信しあっていて、何時(いつ)もハガキに雲花よりとしてあったので、名前だけは妙に忘れることができない。
私はその雲花さんに浪花節の枕と云った風なものを一つ二つ習って、子供の頃親たちにを愉しませた事がある。私たちは無学で、浪花節などと云わないで、おかれ節とその頃云っていたようだ。たぶん、うかれ節がなまったのだろうけども、行商に行った先々で、私が時々習い覚えた枕を語ると、みんな面白がって聴いてくれたのを覚えている。雲花さんはなかなか文学的才能があって、新作何々と云うものをよく作っていた。美しいひとじゃなかったが、机を前にして、浴衣がけで語っている処はなかなか色気があって、子供心に大変好ましき姿だった。
軍記物が得意で、織田信長と森蘭丸など、大変上手だった。その他には、水戸の黄門と云うのが人気があって、これも皆の拍手を読んだ。
水戸黄門、を雲花さんはどう云うつもりか「これから、水戸の黄門を一席、さア」と云ったので、それが何だか変だったものだ。「さアさ、助さん格さん長居は無用…」とか何とか、首を振りながらの語りぶりは、同宿の若い男たちがみんな真似をする位だった。
私たちが直方を離れて、四国の高松へ行った頃、雲花さんが老けた姿で一度尋ねて来た事がある。その頃南瓦町と云う処に小さいながらも両親は一戸を持っていたので、雲花さんを食客としてあげたが、食客していても、ちっともじっとしていない女で、裁縫をしたり、台所をしたりなかなかこまめだった。高松でも、両親は行商へ出かけて行くので、私と雲花さんが終始留守番役だったが、私たちは戸を開けっ放しのまま屋島の方へよく遊びに行ったものだった。その頃雲花さんはだいぶ声がおとろえていたが、それでも熱心な語りくちで、時々近所の瓦職人や大工や船乗りなどを集めて、いくばくかの金を取り私に席料だと云って、三銭五銭と小遣銭を派手にくれていた。…
雲花さんは伊予の生まれだと云っていたが、言葉は九州べんをつかっていた。雲花さんは家族があるのかないのか、家族の話は少しもしなかったが、この人の苦労話で面白いのは、風船やメッキに金鎖のようなものを汽車の中で売った話だった。
幼い頃、汽車の中で、よく絵本や風船を売っていた男があったが、雲花さんは、そんな仕事を二、三年やったことがあると云って、車掌に叱られた話、車掌に恋された話などをよく親たちに話していた。」
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大正末に底辺の少女がみた社会
林芙美子の本
「本取り虫 ー本を読むのをやめられないー」 群ようこ 筑摩書房 1994年
うろこが落ちる p45〜
「どうして私は本を読むのが好きなのかと、考えることがよくある。スポーツもとくにやらないし、出歩くのも好きではない。世の中にある数多くの娯楽を消去法でで消していくと、やっぱり読書しかすることがない。しかし、それだけが理由ではないような気がして、もう一度、しつこく考えた結果、「本を読んでうろこが落ちる楽しみ」を味わいたくて、私はページをめくっているのがわかったのである。
いちばん最初に目からうろこが落ちたのは、林芙美子の『放浪記』である。当時、私は小学校の四年生だったが、いい加減、子供の読む本には飽きていた。それまで読んだ、図書館や書店にある子供向けの本は、
「子供ってやだねえ」
といいたくなるようなものばかりだった。私の憧れは大人が読む文庫本を読むことだった。ベージュ色の本に白や緑の帯が巻かれ、それがジャンル分けになっている。活字が小さいのもいかにも、大人の本という雰囲気をかもしだして、
「早く文庫本が読みたい」
と、憧れの目で文庫の棚を眺めていたのである。そして私は小学校四年生のときに、子供の本とは訣別しようと決心し、文庫本の棚から何の考えもなく、一冊の本を取り出した。それが『放浪記』だったのだ。
この話をある人にしたら、
「どうして夏目漱石じゃなかったんでしょうね」
と尋ねられたが、私にもそれはわからない。たまたま手に取った一冊の文庫本が、目のうろこを落としてくれたのである。
両親の仲が悪かった私は、「女の子は白馬に乗った、優しい王子様と結婚して、お城で幸せにくらしました」といった、ハッピー・エンドのお話を、幼い頃から、うさん臭いと思っていた。そういうのなら、うちの母親も幸せなはずなのに、子供の目からみてもちっともそうはみえなかったからだ。変だ、変だと首をかしげていた私にとって、『放浪記』はまさに、「これだ!」といいたくなるほど、インパクトがある本だった。
ここに書いてあるのは、夢物語の女性ではなく、現実に生きている女性の姿だった。生活をしていくために、主人公は山のような嫌な思いをする。みかん箱にへばりついて原稿を書き、やっとの思いで書きあげて、出版社にもっていく。お金がないから歩いていくのである。そしてやっとの思いで家にたどりつくと、さっき渡した原稿が、速達で返送されていたりして、とにかく万事うまくいかない。だけど私は、そんな主人公の姿にのめり込んだ。結婚していても、夫婦仲がうまくいかず、ぶつぶつ文句ばかりいっている母親よりも、主人公の生活のほうが、ずっと魅力的に見えたのだ。」
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うろこが落ちる p45〜
「どうして私は本を読むのが好きなのかと、考えることがよくある。スポーツもとくにやらないし、出歩くのも好きではない。世の中にある数多くの娯楽を消去法でで消していくと、やっぱり読書しかすることがない。しかし、それだけが理由ではないような気がして、もう一度、しつこく考えた結果、「本を読んでうろこが落ちる楽しみ」を味わいたくて、私はページをめくっているのがわかったのである。
いちばん最初に目からうろこが落ちたのは、林芙美子の『放浪記』である。当時、私は小学校の四年生だったが、いい加減、子供の読む本には飽きていた。それまで読んだ、図書館や書店にある子供向けの本は、
「子供ってやだねえ」
といいたくなるようなものばかりだった。私の憧れは大人が読む文庫本を読むことだった。ベージュ色の本に白や緑の帯が巻かれ、それがジャンル分けになっている。活字が小さいのもいかにも、大人の本という雰囲気をかもしだして、
「早く文庫本が読みたい」
と、憧れの目で文庫の棚を眺めていたのである。そして私は小学校四年生のときに、子供の本とは訣別しようと決心し、文庫本の棚から何の考えもなく、一冊の本を取り出した。それが『放浪記』だったのだ。
この話をある人にしたら、
「どうして夏目漱石じゃなかったんでしょうね」
と尋ねられたが、私にもそれはわからない。たまたま手に取った一冊の文庫本が、目のうろこを落としてくれたのである。
両親の仲が悪かった私は、「女の子は白馬に乗った、優しい王子様と結婚して、お城で幸せにくらしました」といった、ハッピー・エンドのお話を、幼い頃から、うさん臭いと思っていた。そういうのなら、うちの母親も幸せなはずなのに、子供の目からみてもちっともそうはみえなかったからだ。変だ、変だと首をかしげていた私にとって、『放浪記』はまさに、「これだ!」といいたくなるほど、インパクトがある本だった。
ここに書いてあるのは、夢物語の女性ではなく、現実に生きている女性の姿だった。生活をしていくために、主人公は山のような嫌な思いをする。みかん箱にへばりついて原稿を書き、やっとの思いで書きあげて、出版社にもっていく。お金がないから歩いていくのである。そしてやっとの思いで家にたどりつくと、さっき渡した原稿が、速達で返送されていたりして、とにかく万事うまくいかない。だけど私は、そんな主人公の姿にのめり込んだ。結婚していても、夫婦仲がうまくいかず、ぶつぶつ文句ばかりいっている母親よりも、主人公の生活のほうが、ずっと魅力的に見えたのだ。」
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posted by Fukutake at 11:26| 日記