2022年01月12日

「真贋」 小林秀雄 世界文化社 2000年

 さくら p158〜

 「…「しき島の やまと心を 人問はば 朝日ににほふ 山ざくら花」

 この歌は、宣長が、還暦に際して詠み、自画像に自賛したものだ。それはよく知られているが、宣長と言う人が、どんなに桜が好きな人であったか、という肝腎なことが、よく知られていないのは、どうも面白くない。それを知れば、この歌は先ず何をおいても、桜が好きで好きでたまらぬ人の歌だと合点して受取れるわけで、そうすれば何んの事はない。「やまと心を人問うはば」の意は、ただ「私は」と言う事で、「桜はいい花だ。実にいい花だと私は思う」という素直な歌になる。宣長に言わせれば、「やまとだましひ」を持った歌人とは、例えば業平の如く、「つひに行く道とはかねて聞きしかど、きのふけふとは思はざりしを」というような正直な歌が詠めた人を言う。

 宣長ほど、桜の歌を沢山詠んだ人はいない。死に前の年などは、三百首も詠んでいる。同じような歌が幾つでも、桜の花のように開くので、上手下手など言ってみても詰まらぬ事だ。彼は、若いうちから、庭に桜を植えていたし、墓の後には桜を植えよ、諡(おくりな)は、秋津彦美豆桜根大人(あきつひこみずさくらねのうし)とせよ。と遺命して死んでいる。

 宣長の遺言書は、実に綿密周到なもので、死装束から棺の構造から、葬送の行列まで詳しく指定しているが、普段使い慣れた桜の木の笏を、どういう具合に霊牌に仕立てるかが図解され、墓も図取りされている。石碑の後方に塚が、その上に、「山桜の木」が描かれている。この山桜は、山桜のなかでも、彼が最も愛した品、「葉あかくてりて、ほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲きたる」葉に描かれている。

 先日、笹部新太郎氏の「桜を滅ぼす桜の国」という文を面白く読んだが、それによると、日本人が、桜に関する実際的理論や技術を、最高度に身に付けた時期は、丁度、宣長が生きていた頃と考えていいようである。宣長は、歿後、塚の上に植えさせる桜につき、「山桜の随分花之宜き木を致吟味植可申候」と言っておけば、何んの心配もなかったであろう。桜への無関心と無智とが、すっかり蔓延して了った今日では、国内の桜の八割九割までが、ソメイヨシノという桜とは言えぬ桜の屑ばかりになって了った、と笹部氏は言う。…

 私の家の向うの山には、桜が沢山咲く。これは、とてもソメイヨシノどころの段ではないらしい。青い葉っぱを無闇に出し白っぽい花をばらばらつける。それでも、毎年花が待たれ、咲けばやっぱり桜であって、きれいである。」
(「朝日新聞」PR版・一九六三年四月二十八日)

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美しい桜
posted by Fukutake at 08:52| 日記