「考える人」季刊誌 2010年 冬号 NO.31
ひとりで生まれても、ひとりで還れない 大井玄 p55〜
「学生を被験者にした実験です。図書館に行って、本を選んで、貸し出しの受付まで持って行かせる。そこで本を借りる書類を書かせているあいだ、最初に学生に対応した図書係が気づかないように他の人と入れ替わる。そうすると、学生はまったく気づかすに、入れ替わった人とやりとりを続けるそうです。
それからこういう実験。被験者の前に坐って、右手の上に Aという女性の顔写真、左手の上にBという女性の顔写真を載せて、被験者に見せるわけです。「あなたが魅力的だと思う女性を選んでください」と言って、どちらかを指してもらう。たとえばAが選ばれるとする。それから二枚の顔写真を被験者の視界から隠して、選ばれなかったBの写真をもう一度見せながら、「どうしてこの女性を選んだんですか? どこが魅力的だったんでしょう」と聞く。すると疑いもせず、「目元が愛らしい」とか「唇のかたちがきれい」とか説明し始めるんだそうです。事実関係からすると完全な作話です。「僕が選んだ人じゃない」と指摘する人はほとんどいない。認知心理学の世界ではこれを選択盲というそうですが、人間の認知能力というものはかなりあやしいものだということがわかります。…
それから日常的な人間関係においても、人間の脳にあるミラー・ニューロン(鏡神経細胞)というものもあります。目の前の人が何か御飯を食べていたとすると、脳のなかではその行動をなぞるように同じことをやっている状態をつくるわけです。人があくびをしているのを見ると、あくびがでるでるのはその一例で、気持ちは伝染します。そのことを敷衍していくと、連れ合いの気持ちをよい方向に持って行くには、自分が気持ちのよい様子をして見せる。たとえば低血圧で朝はしばらく不機嫌な奥さんがいたとする。しかし人間は行動が先なんです。笑うから愉快になり、泣くから悲しくなる。低血圧の妻の夫が、毎朝、妻の顔を最初に見るときに、ニコッとするようにしてみたそうです。最初はどうしてニコッとされたのかわからなかった妻も、毎日ニコッとされ続けていくうちに、自分からも自然にニコッとする条件づけがされた。相手にとって楽しい存在である、ということを無意識のうちに植えつけていくことが、人間関係から不安をとりのぞく大きな契機にもなっていくということですね。」
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役人の機転
「今昔物語」<若い人への古典案内> 西尾光一著 教養文庫
だまされた盗人 (巻二十八 第四十六話) P207〜
「今は昔、阿蘇の某という史(さかん:役所の四等官)がいました。背丈こそ低かったが、気性の烈しいしたたか者でした。家は西の京にありましたが、ある日宮中の用事で内裏に残り、夜ふけてから帰宅することになりました。待賢門から出て、東大宮大路を南に向かって牛車を走らせていましたが、車内で自分の着ていた着物を次々にぬいでしまいました。片はしからたたんで、車の畳をあげ、その下にきちんとそろえ、その上にまた畳を敷いて、裸のまま冠をつけ足袋をはいて、車の中に坐っていました。
二条大路を右折して西へ進ませていますと、美福門のあたりを通り過ぎた頃、傍から盗人どもがばらばらと駈け出してきて、車の轅(ながえ)に取りつき、牛飼童をなぐりつけましたので、童は牛を捨てて逃げてしましました。車の後には雑色(下男)二、三人が供をしていた筈ですが、これもみな逃げてしまいました。盗人どもは車に近寄り、簾を引きあげてみて驚きました。中には裸の史が、冠をつけて坐っているではありませんか。あきれて、
「いったい、どうしたんだ。」
と尋ねますと、史はすましたものです。
「はい、左様、東大宮大路におきまして、皆さまがたのようなやんごとなき公達が現われ、わたしの装束をすべてお召し上げになったのでございます。
笏を手に、高貴な方に言上するような調子で、大まじめに答えましたので、盗人どもも思わず笑い出してしまい、さては一足先にしてやられたかと、そのままどこかへ行ってしましました。
史は声を上げて、牛飼童や雑色を呼ぶと、みなどこからか出てきました。家に帰りついて妻に話しますと、
「あなたにかかっては、どろぼうもかないませんね。」
と笑いました。
何とも驚き入った心構えではありませんか。装束を予め脱いでおいて、盗人が出たらこう言おうと考えたこの人物の用意たるや、まことにもって普通の人の考えつくことではありません。これは特別な人物だという評判になったということであります。」
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だまされた盗人 (巻二十八 第四十六話) P207〜
「今は昔、阿蘇の某という史(さかん:役所の四等官)がいました。背丈こそ低かったが、気性の烈しいしたたか者でした。家は西の京にありましたが、ある日宮中の用事で内裏に残り、夜ふけてから帰宅することになりました。待賢門から出て、東大宮大路を南に向かって牛車を走らせていましたが、車内で自分の着ていた着物を次々にぬいでしまいました。片はしからたたんで、車の畳をあげ、その下にきちんとそろえ、その上にまた畳を敷いて、裸のまま冠をつけ足袋をはいて、車の中に坐っていました。
二条大路を右折して西へ進ませていますと、美福門のあたりを通り過ぎた頃、傍から盗人どもがばらばらと駈け出してきて、車の轅(ながえ)に取りつき、牛飼童をなぐりつけましたので、童は牛を捨てて逃げてしましました。車の後には雑色(下男)二、三人が供をしていた筈ですが、これもみな逃げてしまいました。盗人どもは車に近寄り、簾を引きあげてみて驚きました。中には裸の史が、冠をつけて坐っているではありませんか。あきれて、
「いったい、どうしたんだ。」
と尋ねますと、史はすましたものです。
「はい、左様、東大宮大路におきまして、皆さまがたのようなやんごとなき公達が現われ、わたしの装束をすべてお召し上げになったのでございます。
笏を手に、高貴な方に言上するような調子で、大まじめに答えましたので、盗人どもも思わず笑い出してしまい、さては一足先にしてやられたかと、そのままどこかへ行ってしましました。
史は声を上げて、牛飼童や雑色を呼ぶと、みなどこからか出てきました。家に帰りついて妻に話しますと、
「あなたにかかっては、どろぼうもかないませんね。」
と笑いました。
何とも驚き入った心構えではありませんか。装束を予め脱いでおいて、盗人が出たらこう言おうと考えたこの人物の用意たるや、まことにもって普通の人の考えつくことではありません。これは特別な人物だという評判になったということであります。」
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posted by Fukutake at 07:46| 日記