2021年12月29日

若山牧水

「若山牧水歌集」 若山喜志子選 岩波文庫

抜粋

 「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよう

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今日も旅ゆく

山上(さんじょう)や目路(めじ)のかぎりのをちこちの河光るなり落日の國

夕さればいつしか雲は降り来て峰に寝るなり日向高千穂

白雲のかからぬはなし津の國の古塔に望む初秋の山

いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや

火の山にしばし煙の絶えにけりいのち死ぬべくひとのこひしき

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posted by Fukutake at 09:23| 日記

年賀状

「やぶから棒 ー夏彦の写真コラムー」 山本夏彦 新潮文庫 平成四年 生きているしるし年賀状 p171〜

「あなたは年賀状を出すか」「出すとすれば何通か」と道行く人にマイクをつきつけて 聞いてる図をテレビで見たことがある。 人品いやしくない老人のひとりは「三十通」と答えていた。「もうそれくらいの交際し かないので」と言ったので私は心を打たれた。 この老人は盛んな頃は三百通も四百通もやりとりしていたのだろう。それは職を退 いたとたん絶えて、以来十なん年三十人しか出すあてがないと言っているのだと私は その口ぶりから察したのである。

私の家には八十九になる妻の母がいる。十年前までは年賀状はまだ十通くらい来 ていた。その半ばは印刷したもので、半ばは知人からのものだった。それも一枚へり 二枚へり、とうとうまったく来なくなった。 幼な子と老人には年賀状は来ない。幼な子にはいずれ来る見込みはあるが、老人 にはない。去年くれて今年くれない知人は、あるいは死んだのではないかと案じられ る。死んでも知らせが来ないのは、その知人の子に自分は亡き人に数えられている からだと思われる。
年賀状は虚礼だという。ことに印刷した年賀状には広告としか思われないものが あって、不愉快だという人がある。私はそうは思わない。歯医者が独立して開業したと いうたぐいの年賀状は充分役立つ。 私は毎年五百通あまり出すが、むろん印刷したものである。それでも署名しきれな いことがある。各界名士が千通も二千通ももらうのは、商売繁昌のしるしである。それ をくれるのは先方の勝手、当方からは出さぬと言うのは自慢しているのである。「人み な飾って言う」と私は旧著のなかに書いたことがある。

芸術家はウソだけはつかない。それが唯一のとりえだとほかでもない自分で言うか ら、そうかと思っていたら凡夫凡婦がつくウソをつく。元旦に年賀状を山と積んで嬉しく ないものがあろうか。これしきの本当のことが言えないものに、これしきでない本当の ことが言えようか。」
(昭和五十五年十二月十一日号)
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虚礼こそ実質
posted by Fukutake at 09:18| 日記