2021年12月27日

わがプラトン

「田中美知太郎全集 15」 筑摩書房

 『プラトン』と私 p431〜

 「わたしが『プラトン』(全四巻、岩波書店刊)を書きはじめたのは何時ごろかと訊かれることがある。正確なことは日記その他を調べれば、わかると思われるが、今はわたしひとりでは出来ず、人手を煩わすのも面倒なので、何時と答えることはできない。岩波書店で記録を調べてもらったら、一九七五(昭和五十)年五月に、この書物の企画が編集会議で承認されているということであるから、わたしのこの書物もその頃から初動を始めたものと考えることができる。わたしが編集者になっていた「プラトン全集」(全十六巻、同書店刊)は、一九七六年六月刊行の『ソピステス』と『ポリティコス』で、あと『総索引』(一九七八年)を残して、一応完結することになるので、総解説みたいなものをつけ加えるというような案もあったが、それが全集の附録としてではなくて独立の書物として出すことにきまったというわけである。
 
 わたしはその前からプラトンについての総括的なものを書くつもりでいたから、腹案のようなものをいろいろ考え、原稿にも手を染めていたのではないかと思う。そしてそれから約十年、ようやく今その第四巻を公にすることになった。わたし個人としては無論わたしなりの感慨があるわけだが、しかしそれにもまして、この長い年月わたしのこの仕事を直接また間接に助けて来てくれた友人たち、またわたしのこの仕事に対して関心をもち続けて来てくれた読者その他の人たちに対する感謝の念が大であり、切実である。

 最初この書物は一冊のうちにプラトンの生涯、著作、思想の三つをまとめるつもりであったが、いざ書いてみると、とてもそんなことは出来ず、これを上下二巻にまとめることにしたが、その第二巻は哲学だけをおさめるにも足らず、哲学だけもう一巻増やして第三巻とし、その他を「政治理論」の題目の下にまとめ、これを第四巻とした。プラトンの場合、いわゆる倫理学は政治学とは別ではなく、人間学、教育学、歴史理論その他も、ここに包括されることになる。政治の問題はプラトンの若い時からの関心事であり、彼の哲学のうちにあっても主要な地位を占め、歴史的にも大きな影響力をもち、いろいろな批評の対象ともなり、今日的な現実味をもっている。しかしその本当の意味は、単に今日的な関心や批評だけで捉えられるようなものではない。その基本にある哲学の理解が必要なのである。第二巻と第三巻はその理解を助けるために書かれたのである。

 しかしわたしは早急の理解を読者に求めるつもりはない、今日はプラトンが『国家』第六巻で批評している「にせ哲学」の時代なのであって、プラトン哲学の理解がすぐに達成できるような状況にわれわれはいないのである。だからわたしも、この現代との不断の戦いによってのほか、プラトン理解への道を開拓して行くことは出来なかったのである。無論これはむしろプラトン理解からわれわれを遠ざけるやり方であると笑われるかも知れない。しかしわたしはプラトンを現代に近づけるよりも、われわれをプラトンに近づけるという逆のやり方をしようとしているのである。

 それは現代への対立者としてのプラトンこそが、現代のわれわれにとって最も必要な人ではないかと思うからだ。」

初出 『読売新聞』一九八四(五九)年十二月二十日

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「プラトン哲学の理解とは、プラトンの書いたもののできるだけ忠実な理解に尽きる」
posted by Fukutake at 07:57| 日記

わがプラトン

「田中美知太郎全集 15」 筑摩書房

 『プラトン』と私 p431〜

 「わたしが『プラトン』(全四巻、岩波書店刊)を書きはじめたのは何時ごろかと訊かれることがある。正確なことは日記その他を調べれば、わかると思われるが、今はわたしひとりでは出来ず、人手を煩わすのも面倒なので、何時と答えることはできない。岩波書店で記録を調べてもらったら、一九七五(昭和五十)年五月に、この書物の企画が編集会議で承認されているということであるから、わたしのこの書物もその頃から初動を始めたものと考えることができる。わたしが編集者になっていた「プラトン全集」(全十六巻、同書店刊)は、一九七六年六月刊行の『ソピステス』と『ポリティコス』で、あと『総索引』(一九七八年)を残して、一応完結することになるので、総解説みたいなものをつけ加えるというような案もあったが、それが全集の附録としてではなくて独立の書物として出すことにきまったというわけである。
 
 わたしはその前からプラトンについての総括的なものを書くつもりでいたから、腹案のようなものをいろいろ考え、原稿にも手を染めていたのではないかと思う。そしてそれから約十年、ようやく今その第四巻を公にすることになった。わたし個人としては無論わたしなりの感慨があるわけだが、しかしそれにもまして、この長い年月わたしのこの仕事を直接また間接に助けて来てくれた友人たち、またわたしのこの仕事に対して関心をもち続けて来てくれた読者その他の人たちに対する感謝の念が大であり、切実である。

 最初この書物は一冊のうちにプラトンの生涯、著作、思想の三つをまとめるつもりであったが、いざ書いてみると、とてもそんなことは出来ず、これを上下二巻にまとめることにしたが、その第二巻は哲学だけをおさめるにも足らず、哲学だけもう一巻増やして第三巻とし、その他を「政治理論」の題目の下にまとめ、これを第四巻とした。プラトンの場合、いわゆる倫理学は政治学とは別ではなく、人間学、教育学、歴史理論その他も、ここに包括されることになる。政治の問題はプラトンの若い時からの関心事であり、彼の哲学のうちにあっても主要な地位を占め、歴史的にも大きな影響力をもち、いろいろな批評の対象ともなり、今日的な現実味をもっている。しかしその本当の意味は、単に今日的な関心や批評だけで捉えられるようなものではない。その基本にある哲学の理解が必要なのである。第二巻と第三巻はその理解を助けるために書かれたのである。

 しかしわたしは早急の理解を読者に求めるつもりはない、今日はプラトンが『国家』第六巻で批評している「にせ哲学」の時代なのであって、プラトン哲学の理解がすぐに達成できるような状況にわれわれはいないのである。だからわたしも、この現代との不断の戦いによってのほか、プラトン理解への道を開拓して行くことは出来なかったのである。無論これはむしろプラトン理解からわれわれを遠ざけるやり方であると笑われるかも知れない。しかしわたしはプラトンを現代に近づけるよりも、われわれをプラトンに近づけるという逆のやり方をしようとしているのである。

 それは現代への対立者としてのプラトンこそが、現代のわれわれにとって最も必要な人ではないかと思うからだ。」

初出 『読売新聞』一九八四(五九)年十二月二十日

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「プラトン哲学の理解とは、プラトンの書いたもののできるだけ忠実な理解に尽きる」
posted by Fukutake at 07:51| 日記

文楽

「日本の身体」対談 桐竹勘十郎 x 内田樹
『考える人』2010年冬号 No31より p150〜

 「桐竹勘十郎 僕らも鳥肌の立つような舞台ってあるんです。でも次の日にもできるかというと、できない。一公演に一回あるかないかですけど、それをまた味わうために何年も何年もやるんです。初めてそれを感じたのは足遣いの時。おやじの足を遣っていたのかな、まだ若かったけど、ものすごく感動したんです。ああ、今日はすごかったと思って、それ以来、次はいつ「来る」んだろうって、毎日。

内田 日本の芸能は能でも歌舞伎でも文楽でも、演出家や指揮者痛いな人はいないでしょう。しかもいつの間にか始まっている。

 桐竹 それもお稽古もせずにね。僕の姉も役者をやっていますが、やはりびっくりしますもの。「ようあんなん、稽古一日でやるなあ、厚かましい」って。でも僕は最近、冗談半分で稽古なんてしても無駄だから、って言っているんです。だって舞台稽古を何日やっても、ただ段取りのお稽古でしかない。初日も二日目も三日目も、舞台の上で起こることは違うんです。同じことを毎日毎日できることならびしっと稽古すればいいけれど、絶対無理。だから舞台稽古は繰り返さないんです。

内田 ものすごく上手な方と一緒に演じる場合、やりやすいということは?

桐竹 ありますね。先ほどの合気道のお話じゃないですが、もう、わかるんです。申し合わせをしていなくても、相手がこう来るな、というのがわかる。さういう方とは非常にやりやすいですね。
 うちの師匠もものすごく段取りが嫌いで、常々「段取り芝居ほどつまらないものはない」とおっしゃっている。だからぶっつけ本番大賛成で、大まかな動きさえわかっていれば、あとは相手と対すればわかる、それが芝居やと。そういう師匠とある時、僕が斬る役、師匠が斬られる役という配役になったことがあるんです。それはもう毎日壮絶な戦いですよ。
 井戸のまわりを、こっちは殺そうとして、向こうは殺されまいと逃げ回るんです。本当にリアルです。
 他の組み合わせの時は、何回回って、ここで斬って、突いて、とか決めてやりはるんです。うちらは毎回やることが違うし、ものも投げてくるし、ホントにこいつ殺したろかなと思えるようになりますよ。

内田 ものを投げるんですか?

桐竹 僕には何を投げるとも言わないで小道具さんに言って用意しておくんです。それでこっちがコケた時に、用意しているものをぱあっとね。僕はおっとなるし。

内田 それは「いい芝居」ですよ。

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毎回ハラハラドキドキが面白い。
posted by Fukutake at 07:48| 日記