2021年12月22日

核の存在

「決定版 三島由紀夫全集 40」 新潮社 2004年

核兵器と国家 (いいだもも氏との対談から) p422〜

 「ぼくは一つの理論を持っているんだ。その理論を批判してもらえばいい。
 今の学生運動は各国でいろいろあって、いろいろ方向が違うでしょう。これを統一する考え方というのは何だろうと思って、いろいろ考えてみたんですけどね、どうも根本は核兵器じゃないか。
 十九世紀の国家権力というのは、国家権力自体が正義だっていう前提があったんですけれど、核兵器を持ってからの国家権力は、やましくなり、ギルティなものをどこかに持つようになった。そこで、力がギルティだという考えがみんなにしみ込み、そんな力は使えなくなった。世界の状況はそういう力のバランス上に、現在のっている。
 そうすると、核兵器にはいろんな欠点がでてくる。一つは国内で使えないということ。これは核兵器の最大欠点だと思うんです。しかも、国際的には、ますます使ったらえらいことになるから、使えない。
 一方、この核兵器というものに支えられた、やましい力に、何をもって対抗するかという考えが出てきます。核兵器よりもっと強い兵器ができてくりゃあ、その国は世界中から恐れられるんですけれども、まだ出てきませんね。ですから、核兵器より弱いもので対抗しなければならない。
 どうやって対抗するかといいますと、一つは世論ですね。もう一つは、ぼくは人民戦争理論だろうと思います。
 人民戦争理論は、国内でも戦える、よその国にはいっていっても浸透して戦える。世論というものは、戦後国際的になって、いろんな国がヴェトナム戦争反対で、連鎖反応しつつある。この二つの武器が、いろんな形で弱いものの立場で使われている。…
 いったい何が正義なのかという問題になりますと、核兵器から遠いものほど正義になっているんですな。力が弱ければ正義量が増すんですから。男よりも女のほうが正義なんだ、女は男より弱いですからね。子供は女より弱いですから、子供は女より正義量が高いんですね。そうすると、世論を支配するものは、いつも正義量の高いものだから、女子供の理論で支配される。
 女子供の理論は、「これはいやだ」、「もっとほしい」、「ドレスがもっとほしい」、おもちゃ一つやったら、「もっとほしい」。現状はみんな不満なんです。女であることはいやだ、子供であることはいやだ、現状を全部変えたいとなる。
 学生運動を簡単にいうと、内面的には女子供のロジックにすぎず、目標がなくてもかまわない、現状変革すればいいんだ。…
 日本は、核兵器を持っていないのに、どうしてこんなにやれるのか。安保条約というものがあって、核のカサの中にはいっておる。ですから、これはどうしたって核に頼っている力に対して戦わなくちゃならないということになりますかね。…」


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核を持っていても使えないというフラストレーションが、逆に緊張を高める。

posted by Fukutake at 09:33| 日記

違う自分を見つけよう

「「今日一日」のヒント」心を癒す365日 へーデルデン編 町沢静夫訳 知的いきかた文庫 三笠書房 

 時には、いつもと違う道を歩かなければ、人生を変えることなどできない。

 「成しとげられたすべての行為は、想像することから始まった。(バーバラ・グリズティ・ハリソン)

 模型の自動車や飛行機を組み立てたり、部屋の家具の位置を変えたり、あるいは特別なパーティーのために装うのでさえも、どんなふうにしようかと想像力を使う。想像力は、自分が見たいものをスケッチするための大きな画用紙のようなものである。

 どんなふうに仕事を始めたらいいのかわからない時には、想像力があと押しをしてくれる。新しいゲームを始めるにあたっての説明のようなものである。未来についての夢、行きたい場所、やりたい仕事は、それを心の中に「描いて」みると。ますます現実的なものになる。想像力はわたしたちに勇気も与えてくれるのだ。

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今日、よりよい自分を想像する勇気があるだろうか?」

posted by Fukutake at 09:22| 日記