2021年12月21日

理性に頼る

「方法序説・情念論」  デカルト  野田又夫 訳  中公文庫

p17〜
 「さて、私が他の人々の行動を観察するのみであった間は、私に確信を与えてくれるものをほとんど見いださず、かつて哲学者たちの意見の間に認めたのとほとんど同じ程度の多様性をそこに認めたことは事実である。したがって、私が人々の行動の観察から得た最大の利益はといえば、多くのことがわれわれにとってはきわめて奇矯で滑稽に思われるにもかかわらず、やはりほかの国々の人によって一般に受け入れられ是認されているのを見て、私が先例と習慣とによってのみそう思いこんだにすぎぬ事がらを、あまりに固く信ずべきでない、と知ったことであった。

かくて私は、われわれの自然の光(理性)を曇らせ、理性に耳を傾ける能力を減ずるおそれのある、多くの誤りから、少しずつ解放されていったのである。しかしながら、このように世間という書物を研究し、いくらかの経験を獲得しようとつとめて数年を費やしたのち、ある日私は、自分自身をも研究しよう、そして私のとるべき途を選ぶために私の精神の全力を用いよう、と決心した。そしてこのことを、私は、私の祖国を離れ私の書物を離れたおかげで、それらから離れずにいたとした場合よりも、はるかによく果たしえた、と思われる。」

 「It is true that, while I merely observed the behaviour of others I found little basis in it for certainty, and I noticed almost as much diversity as I had done earlier among the opinions of philosophers. Hence the greatest profit I derived from it was that, seeing many things which, although they may seem to us very extravagant and ridiculous, are nevertheless commonly accepted and approved by other great peoples, I learned not to believe too firmly those things which I had been persuaded to accept by example and custom only;

and in this way I freed myself gradually from many errors which obscure the natural reason. But, after spending several years studying thus in the book of the world and seeking to gain experience, I resolved one day to study also myself and to use all the powers of my mind to choose the paths which I should follow. In this I was much more successful, it seems to me, than if I had never left either my country or my books.」

(DESCARTES "DISCOUSE ON METHOD AND THE MEDITATIONS" Penguin Classics)


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違いの分かる!?

「やぶから棒 ー夏彦の写真コラムー」 山本夏彦 新潮文庫 平成四年

違いがわかる男十余年 p203〜

 「「違いがわかる男」「松山善三四十九歳」とおもしろく言ってコーヒーを飲んで見せたから、このCMは松山氏を本ものとにせものの違いがわかる男だと言いたいのだなと、むかし私が思ったのはムリないだろう。
 
 しかも氏は「挽きたての味と香り、ネスカフェゴールドブレンド」と結んだからこれこそ本ものだと言っているのだなと思ったのもこれもまたムリないだろう。
 私はわが家ではコーヒーを飲まない。朝は紅茶にきめている。そのかわり喫茶店ではコーヒーを飲む。銘柄は問わない。値段は席料だと思うからこれも問わない。客があれば何杯でも飲む。

 統計によるといま日本人は一人当り年間百六十四杯飲むそうで。アメリカ人は五百三十六杯飲むそうである。してみれば私くらいでもわが国では飲むほうだろう。
 十なん年、私はこのCMをまにうけていた。それがふとしたことからあれはインスタント・コーヒーだと知って、そのだまされること何ぞながきと、事務所で仰天したら、事務所中の笑いものになった。何がおかしいとけげんな顔をしたので、再び三たび笑いものになった。

 思えば松山氏をはじめ岩城宏之 会田雄亮以下の面々は、ま顔で「挽きたての味と香り」と言ったのである。もし本当に彼らが違いがわかる男たちなら、まっさきにこのコーヒーを唾棄したはずである。

 聞けばネスカフェはネッスルだそうだ。ネッスルなら私は子供の頃から馴染みである。やわらかいキャラメルの製造元である。してみればこれ以上図々しいCMは考えられないほど図々しいCMで、怒ろうと思っても怒れないほどそれは秀逸で、私ははじめ社員に追随して笑い、やがてこらえかねて爆笑したのである。」

(週刊新潮 昭和五十六年三月二十六日号)
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