2021年12月09日

「老い」

「噴飯 惡魔の辭典」 安野光雅、なだいなだ、日高敏隆、別所実、横田順彌
平凡社 一九八六年

「老い」 p39〜
 「生まれた時から始まる過程。でも、親から見ると、その時期は成長と見える。自分一人で生きなくてはならなくなった時、はじめて、これは老いなのだと気が付く。二十一から、二十二になっても、未婚の女性なら成長と感じるのに、結婚した後ではどうしても老いと感じてしまう。(なだ)

 「惡魔の辭典」などを書いてみようと思うこと。(日高)

 便所に入り、便器の前に立ち、ズボンのチャックをおろしたところで、あらためてそのことに気付き、「もしかしたら私は、小便をしようとしているのかもしれないぞ」と考えるようになった時、はじめて自覚する或る傾向のこと。つまり、自分がそいつであることを理解するために、思索が必要になってくる状態のことである。(別府)

 それまで一度も捕まったことのない掏摸が、余生を刑務所の中で過ごそうと考え、わざと警察につかまること。(横田)

 無意識にではあるが、近づいてくる自分の死が、残る者にとって悲しみの少ないものであるようにするために、敢えて醜悪であろうとする……(安野)」


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70になると否応もなく、感じること。
posted by Fukutake at 08:05| 日記

肝心な時に勝つ

「笑う日本史」 伊藤賀一 KADOKAWA 2019年

 織田信長 負けまくっても結果オーライ 信長が天下を手にかけられた理由は? p84〜

 「織田信長は、本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいますが、間違いなく天下に最も近づいた男。なので、連戦連勝、負け知らず… と思う人もいるかもしれませんが、じつは58勝19敗7分けの戦績。案外、負けまくっています。フィリピンやタイのボクサーみたいですね。

 有名な負け戦といえば、1570年に越前国(現在の福井県東部)の朝倉義景と戦った金ヶ崎の戦い。敵の拠点をうち破り進撃しますが、義弟の浅井長政に裏切られ挟み撃ちに遭い、這う這うの体で撤退します。部下もかなり失いました。
 1577年の手取川の戦いでは、越後国(現在の新潟県)の上杉謙信の倍近い戦力を有しながら、多くの戦死者・溺死者を出す大敗を喫しています。また、負けてはいませんが、浄土真宗(一向宗)の石山本願寺とは、11年間も対立を続けたあげく、結局は和睦。

そもそも、戦いの回数がほかの大名より多いから、負け数が多くなる。戦いの回数が多いとは、野球でいえば、試合数が多いということ。それに戦国・安土桃山時代って、甲子園みたいなトーナメント戦ではなく、プロ野球のようなリーグ線です。
 信長が凄いのは、桶狭間の戦い(1560年)や長篠の戦い(1575年)など、「ここぞ」という戦いでは勝っていること。今川義元を破り、武田の騎馬隊を撃退すれば、天下に対するインパクトは絶大です。

 負けが多いからって、信長の軍勢が弱かったわけではありません。信長は直属部隊としていつでも手足のように動かせる傭兵軍団を抱えていたとも言われています。普通、戦国大名の家臣というのは半ば独立しており、地元では殿様扱いされ、自分の領地を持っているものです。例えば、集合をかけても主君の居城に全軍が集まるのは3日後、なんていうのが当たり前です。武田信玄などはその典型でした。
 一方、信長は直属部隊を従えているので、招集をかければ即座に態勢を整えられる。それは、戦力上も、重臣たちに対する抑制上も、非常に大きなことでした。この説も最近は否定の声も大きいですが、まあ誰もタイムスリップできないので、何とも言えないでしょうね。」

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posted by Fukutake at 08:03| 日記