「遠野物語」 柳田國男 新潮文庫
遠野物語拾遺より
あの世から戻った話 p136〜
「一五六 佐々木君の友人某という人が、或時大病で息を引取った時のことである。絵にある竜宮の様な門が見えるので、大急ぎで走って行くと、門番らしい人が居て、どうしても其内に入れてくれない。すると其処へつい近所の某という女を乗せた車が、非常な勢いで疾って来て、門を通り抜けて行ってしまった。口惜しがって見て居るところを、皆の者に呼び戻されて蘇生した。後で聞くと、車に乗って通った女は、其時刻に死んだのであったと謂う。」
「一五七 俵田某という人は佐々木君の友人で、高等教育を受けた後、今は某校の教授をして居る。此人は若い頃病気で発熱する度にきまって美しい幻を見たそうである。高等学校に入学してから後も、そう言うことを経験し、記憶に残って居るだけでも、全部では六七回はあると言う。まず始めに大きな気体の様な物が、円い輪を描きつつ遠くから段々と静かに自分の方に進んで来る。そうしてそれが再び小さくなって行って終いに消える。すると今度は、言葉では何とも言い表せぬほど綺麗な路が何処までも遠く目の前に現われる。萱(かや)を編んだような物が其路に敷かれてあり、其処へ自分の十歳の時亡くなった母が来て、二人が道連れになって行くうちに、美しい川の辺りに出る。其川には輪形の橋が架かって居るが、見たところそれは透明でもなく、また金や銀で出来て居るものでもない。其輪を母はすうっと潜って、お前もそうして来いと言う様に、向こう側から頻りに手招きをするが、自分にはどうしても行くことが出来ない。其うちに段々と本気に返って来るという。斯うした経験の一番はじめは、此人が子供の時に鍋倉山の坂路を駆けてくだる際、ひどく転んで気絶した時が最初だと言った。倒れたと思うと、絵にある竜宮のような綺麗な処が遠くに見えた。それを目がけて一生懸命に駈けて行くと、先に言ったような橋の前に行き当たり、死んだ母が向こう側で頻りに手招きを下が、後から家の人達に呼び戻されて気が附いたのだと言う。同君が常に語った直話である。」
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体験してみたい気もする。
サービス料
「おじゃま虫」 山本夏彦 中公文庫 1992年
チップ出すよりほかはない p151〜
「日本はチップがいらない国と聞いて勇んで来たら、至るところサービス料というものをとられた。あれはチップではないのか。
いかにもサービス料をとらないホテルはない。ホテルばかりでなくこれに付属するレストランやバーで飲食すると改めてここでもとる。トタルと書いてあるからこれで全部かと思うと、それに税を加えサービス料を加えもう一つトタルがある。…
サービス料はそもそも誰がどういう理由でとるのだろう。ホテルがとるならホテルはセルフサービスが原則ということになる。食堂で客の注文をきいて、それを持参することが飲食料代とは別に請求できる商行為だと思われない。
とるのは主として一流ホテル、一流のつもりのレストランで、特にホテルでは自室の冷蔵庫内のチーズを肴にビールを飲んでもサービス料をとる。あれは客が自分で扉をあけ、せんを抜き肴をつまんで誰の手もわずらわしてない。
これもサービス料をとるのは外国人とあなどってのことかと詰問され、返事ができるホテルはあるまい。イエどこの国の客様からも頂戴しております。むろん日本のお客様からもと答えても観光客にはそれが本当かどうか確かめられない。日本の一流ホテルは客をあざむくと帰って言いふらされても仕方がない。
東京人と大阪人では金銭に対するセンスが違う。東京人はみえ坊でろくに勘定書を見ないで払う傾向があるが、大阪人はそうでないと聞いている。確かめて納得しない限り払わないと聞いているが、ほんとうにそうなら文句を言うはずなのに、言ったと聞かないのは関西人も堕落したのか。
サービス料はたいてい一割だが、私の知る和風レストランでは昼は一割、夜は一割五分とる店がある。格別上等でない店でもかりに「石榴(ざくろ)」と名づけておくが、この店がそうである。席はイス席で昼のメニューと夜のメニューに値段差はないから、五分アップするわけが分からない。
これならいっそチップの昔に返ったほうがいい。チップならサービスの有無、またはよしあしによって客は給仕に酬いることができる。僅かな金で人の親切を買うのか、と問うものがあるなら買うのだと答えたい。これによって客は優越感も味わえるし、サービスは向上する。チップの煩に耐えないというが、海外を旅するときは耐えているではないか。
大阪人も東京人も勘定書を吟味しなくなった。この上は西洋人を案内するとき、西洋人と共にマネージャーに一々問うてはどうか。私は一流ホテルに不案内だが、問うには世界にその名をとどろいているあの犬丸親子が経営する「帝国ホテル」が一番いいと思っている。」
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チップ出すよりほかはない p151〜
「日本はチップがいらない国と聞いて勇んで来たら、至るところサービス料というものをとられた。あれはチップではないのか。
いかにもサービス料をとらないホテルはない。ホテルばかりでなくこれに付属するレストランやバーで飲食すると改めてここでもとる。トタルと書いてあるからこれで全部かと思うと、それに税を加えサービス料を加えもう一つトタルがある。…
サービス料はそもそも誰がどういう理由でとるのだろう。ホテルがとるならホテルはセルフサービスが原則ということになる。食堂で客の注文をきいて、それを持参することが飲食料代とは別に請求できる商行為だと思われない。
とるのは主として一流ホテル、一流のつもりのレストランで、特にホテルでは自室の冷蔵庫内のチーズを肴にビールを飲んでもサービス料をとる。あれは客が自分で扉をあけ、せんを抜き肴をつまんで誰の手もわずらわしてない。
これもサービス料をとるのは外国人とあなどってのことかと詰問され、返事ができるホテルはあるまい。イエどこの国の客様からも頂戴しております。むろん日本のお客様からもと答えても観光客にはそれが本当かどうか確かめられない。日本の一流ホテルは客をあざむくと帰って言いふらされても仕方がない。
東京人と大阪人では金銭に対するセンスが違う。東京人はみえ坊でろくに勘定書を見ないで払う傾向があるが、大阪人はそうでないと聞いている。確かめて納得しない限り払わないと聞いているが、ほんとうにそうなら文句を言うはずなのに、言ったと聞かないのは関西人も堕落したのか。
サービス料はたいてい一割だが、私の知る和風レストランでは昼は一割、夜は一割五分とる店がある。格別上等でない店でもかりに「石榴(ざくろ)」と名づけておくが、この店がそうである。席はイス席で昼のメニューと夜のメニューに値段差はないから、五分アップするわけが分からない。
これならいっそチップの昔に返ったほうがいい。チップならサービスの有無、またはよしあしによって客は給仕に酬いることができる。僅かな金で人の親切を買うのか、と問うものがあるなら買うのだと答えたい。これによって客は優越感も味わえるし、サービスは向上する。チップの煩に耐えないというが、海外を旅するときは耐えているではないか。
大阪人も東京人も勘定書を吟味しなくなった。この上は西洋人を案内するとき、西洋人と共にマネージャーに一々問うてはどうか。私は一流ホテルに不案内だが、問うには世界にその名をとどろいているあの犬丸親子が経営する「帝国ホテル」が一番いいと思っている。」
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posted by Fukutake at 10:16| 日記