2021年12月04日

日本の民俗学

「宮本常一著作集 1」 未来社 

国学者と民俗調査 p83〜

 「日本民俗学が、学的な体系をもって一応独立の社会科学となってきたのは、柳田先生の学業にまつものであることはいうまでもないが、その芽生えは古く、かつ遠い。奈良時代初期における風土記撰進の事業なども、その一つと見るべきであろう。しかしこのような学的な意志は、国家が一つに統一せられて共通な国民意識を持ちつつ、お互いの間になおいくつかの異なる慣習を持つことを自覚するか、または異民族と接することによって、自分たちの持つ文化が、相手に比していちじるしい差をもつことを意識するようになってくると、まず自らの立場を明らかにしたいという欲望とともに、強まってくる。

 だから民俗学は内省の学であり、国民の精神的特質をあきらかにしようとすることがおのずから学問のねらいとなり、それは国学の発達と軌をほぼ一にしているとえるのであるが、日本においては、その出発点において一つの大きな矛盾を持った。その学問的態度には、資料蒐集と比較実証の精神がもられていたが、これに携わる者は、このような学問を専攻としなかったために、長く余技的であったということがそれである。今日までこの学問に寄せる非難の一つはディレッタンティズムに陥っているということであるが、それはこの学問を職業とすることができなかったということに一つの原因がある。日本ではどのような学問も、政府がとりあげて国立の大学で講ずるに至れば、人びとは無条件といっていいほど素直に学問として認めたのであるが、民俗学は民間に育って、第二次世界大戦のすむまで官学とはならなかった。官学とならなかったことによって学風が特異であり、官学的表現によらなかった。そのことをもって、学問ではないと考えようとする者さえある。むずかしい表現を用いないと学問ではないように思う人はいまも多い。一方、またこの学問の周囲をめぐる人たちの多くが、好事的な趣味の世界をさまよっていたことも、学問の一般化に障害となっていると見ていい。

 近世に入って平和の永続にともない、諸種の学問がうつ然として起ってきたが、そうした中の一つとして、国学の勃興はまことに目ざましいものがあった。一つには水戸における修史事業に端を発しているが、その鼻祖なる僧契沖の学者としての態度の科学的であったことも、この学問を素直な成長に導いたといえる。儒学からきた勤王家たちが、大義名分論から神がかり的な言動に出た者の多かったのに対し、国学によった人びとの比較的冷静であったのは、国学がその実証的な態度によって古代日本の姿をきわめて、国体の淵源をあきらかにしようとしたのを反映しているといっていい。このような実証態度をもって学問に臨み、かつそのもっとも大きな影響を与えたのは、本居宣長である。これはとくに本居氏が小児科の町医者出会ったということにも原因があろう。

 かくて国学的な観点から、本居氏は村里の習俗の価値を、

    詞(ことば)のみにもあらず、万のしわざにも、片田舎には古(いにし)えざまのみやびたる事の残れるたぐひ多し。さるを例のなまさかし心有者立ちまぢりて、却りてをこがましく覚えて改むるから、いづこにもやうやう古きことの失せ行くは、いと口惜しきわざなり。葬式婚礼など、殊に田舎には古く面白き事多し。すべてかかるたぐひの事共をも国々のやうを海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね聞き集めて、物々もしるし置かまほしきわざなり、葬祭などのわざ、後世の物知り人の考へ定めたるは、中々にから心のさかしらのみ多くまぢりて、ふさはしからず、うるさしかし。(「玉勝間」八)

 と見ている。
民俗学はある意味においてここを出発点としたともいえる。」

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posted by Fukutake at 09:11| 日記

不運を嗤う

「幸・不幸の分かれ道」ー考え違いとユーモアー 土屋賢二 東京書籍 
2011年

どうやって笑うか p165〜

 「イギリスにいたとき、ぼくが書いたふざけたエッセイをいくつか英語に訳して、それをイギリス人に読んでもらったんです。そうしたら完全に扱いが変わって、「ぜひうちに飯を食べに来い」と何人もの人に言われました。近所の小さな本屋をやってるお兄さんにも見せたら、扱いが変わって、「お前は俺の家ではスターだ。お袋は、お前の書くものを読んで大笑いしている。次に読ませてくれるのを楽しみにしているんだ」と言ってくれました。大家さんも自分の家に招いてくれたし、あるカレッジの学長さんをしていた人も家に招待してくれたり、ぼくの家に遊びに来て、イギリスにはこんなユーモラスな詩があるといくつも教えてくれたりしました。ふざけたエッセイであっても、ふざけた見方ができるということが、イギリス人にどれだけ評価されるか、身をもって体験しました。
 日本人はお笑い番組では笑いますが、それ以外の実生活では、ふざけたことを言うと「ふざけるな」と怒る人がいたり、人間的に信用されなくなることもあります。でも、イギリスでは逆に、笑うことができなかったり、笑いがわからなかったりすると軽蔑されることがあります。むしろ重大で深刻なときこそ、可笑しい側面を見つけることが評価されるのです。
 あるイギリス人の男に、「よく『007』などで、危機一髪のときに冗談を言ったりするけど、あなたはいざとなったときに冗談を言えるか」と聞いたら、ちょっと考えて、「やると思う」と答えました。これはたぶん本当だと思います。危機的状況になってもユーモア精神を忘れないというか、そういうときこそユーモア精神が必要なんです。
 ぼくがイギリスにいたときに、船で遭難して、二人きりで材木にしがみついて何日も漂流したあげく助かった事件がありました。その二人はインタビューの中で、お互いに冗談を言い合っていたと言ってました。結局、自分の置かれている不幸な状態を笑うことができたことが、二人の命を救ったんです。
 危機的状況でのユーモアの例は多数あります。第二次大戦中、デパートのハロッズが爆撃を受けたとき、新聞に「ハロッズでは、皆様のご要望にお応えして、出入り口を拡張しました」という広告を出したらしいんです。
 知り合いのイギリス人が友人の家に泊まって寝ていたら、「あなた、悪いけど起きてくれない?」と言われて起こされたらしい。「どうして?」と聞くと、「いま、この家が燃えているみたいなの」と言ったらしいんですね。ぼくはそれを聞いて笑ったんですけど、「それを聞いたとき笑ったんですか」と聞いたら、「どっちも笑わなかった」と言うんです。
「ユーモラスな発言だけど、笑わなかった」というんです。」

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「あるイギリスの新聞が、第二次大戦中に英仏海峡を封鎖したとき、「ヨーロッパ大陸が孤立した」という見出しをつけたらしい」

posted by Fukutake at 09:04| 日記