2021年12月03日

読書について

「小林秀雄全作品26」信ずることと知ること 新潮社 平成十六年

「ヴァレリー全集」 p28〜

 「ヴァレリーの作品、特にその散文は、青年時代から愛読し、強い影響を受けた。今度の邦訳全集に、拙訳「テスト氏」の掲載を求められた時、鈴木信太郎先生や佐藤正彰氏から、「テスト氏」に関する未公刊の原稿もあるので、この際新訳して追加してはどうかというお勧めを受けた。試してみたが、どうしても巧くいかなかった。私は、ヴァレリーに対する尊敬の念を決して失ったわけではないが、テスト氏という人間のなかに這入って行くのが、今の私には、実はむつかしい事を感じたのである。そして、「テスト氏」を訳した当時の自分を、ヴァレリーの力が、どんなに強く捕えていたかを今更のように思った。批評という言葉は、多義で曖昧な言葉だが、私としては、批評の精髄とでもいうべきものを教えてくれたのはこの人だと思っている。ヴァレリーの批評的散文の対象は、文化のあらゆる方面にわたっている。そのことごとくが、敢えて言えば、たった一つの批評原理に貫かれている。それは、詩の創造過程という、自分に大変親しいが、又実に分析し難い現実の経験の可能な限りの意識化という努力のうちに育ったものだ。尋常の知性も、専門の知識も大事なところでは殆ど助けにならぬ、この意識化の努力のうちに訓練された現実の直観である。今日は批評の時代と言われて、誰も彼も批評を得意としているが、「批評は詩人ではないにしても、詩人はどうしても批評家である」というボオドレエルの有名な言葉の難しさは変わらないのでる。」(昭和四二年(一九六七)二月、「ヴァレリー全集」内容見本に発表。)

 読書の楽しみ p169〜
 「本は、若い頃から好きで、夢中になって読んだ本もずい分多いが、今日となっては、本ももう私を夢中にさせるわけにはいかなくなった。新しい本を読み漁るという事もなくなり、以前読んだものを、漫然と読み返すということが多くなった。しかしそういう事になって、却って読書の楽しみというものが、はっきり自覚出来るようになったと思っている。
 往年の烈しい知識欲や好奇心を想い描いてみると、それは、自分と書物との間に介在した余計なもののように感じられる。それが取除かれて、書物との直かな、尋常で、自由な附合の道が開けたような気がしている。書物という伴侶、これが、以前はよく解らなかった。私は、依然として、書物を自分流にしか読まないが、その自分流に読むという事が、相手の意外な返答を期待して、書物に話しかける、という気味合のものになったのである。」
(昭和四八年(一九七三)一〇月、『毎日新聞』に発表。)

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老成枯淡。

posted by Fukutake at 07:54| 日記

大事に備えよ

「六韜(りくとう)」 林富士馬(訳) 中公文庫 2005年

 第五巻 豹韜 四十九 少衆(衆寡、敵せず)p186〜
 「1
 武王は太公望に尋ねた。
「少数の兵力で大軍を撃ち、弱い勢力で強敵を撃ち破りたいと思うとき、どんな方策があるだろう」

 太公望は答えた。
「少数の兵力で大軍を撃つには、かならず日暮れに草むらに潜ませ、敵兵を狭い路で要撃します。弱い勢力で強敵を撃ち破るには、かならず大国の同盟と隣国の援助とを得なければなりません」

 2
 武王は尋ねた。
「しかし、草むらもなく隘路もなく、敵はすでに布陣を終わっており、日没にも間があり、同盟関係の大国もなく、また隣国の援助も得られないというような場合、どうすればよいであろうか」

 太公望は答えた。
「そのような時には、わが兵力を誇張して見せつけておいて、敵を詐っておびき出し、敵将の錯覚をさそい、敵の進路を迂回させて、深草の繁茂した地点を通過させるように進撃路を伸ばし、日暮れに隘路にさしかかるように計画を立てます。
 敵の先鋒がまだ河を渡り切らず、後列はまた宿舎に到着しない時機を見計らって、わが伏兵を出動させ、機敏にその左右をたたき、戦車隊、騎兵隊がその前後を混乱させるなら、敵人がいかに多くとも、かならずやその将軍を敗走させることができるでありましょう。

 また、日ごろから大国の君主に仕え、隣国の諸侯にはへり下り、贈物を手厚くし、言葉をていねいに、礼を尽くしておくべきであります。そのようにしていれば、いざというときには大国の同意と隣国の援助とを得られるでありましょう」
「なるほど」と武王はいった。」

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なるほど。

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posted by Fukutake at 07:51| 日記