2021年12月02日

精神分裂症的世界

「われわれ自身のなかのヒトラー」 ピカート 佐野利勝訳 みすず書房

「正常人」と精神分裂症 p173〜

 「精神分裂症、つまり人格の分裂は、現代社会に特徴的な精神病であって、それはあらゆる精神病のうちでも最も頻繁な疾患である。この病気の場合には、人格が自己から切りはなされている。しかし、現代の非連続な世界における「正常」な人間の場合も、精神分裂者の場合と大して異なるところはないのである。どちらの場合にも、その本質的構造はおなじなのだ。なぜなら、今日の世の中で「正常人」と見做されている者も、やはり自己自身及びその他一切の者から切りはなされているのだかである。

 しかし、両者のあいだに全然差異がないというのではない。いわゆる「正常人」は、自己に内在している分裂をまるで自明のものと極めこんでいて、ことさら分裂を気に病むこともなく、平気でそれと同居しているのである。彼は自分自身の分裂をたづさえたままで、これまた全面的に分裂した世界のなかを、大手をふって歩いている。つまり、分裂となかよく手をつなぎあっているのだ。

 精神分裂者はそれに反して、おのれの分裂した人格をどうすることもできないで、茫然自失しているのである。彼は分裂した自己自身を、もはや自己以外の分裂した世界と結びつけるための手がかりを発見することができないのだ。これは、彼に知性及び感情の欠陥が内在していることに原因している。しかし、彼の人格の奥ふかくに、自己以外の分裂した世界との連繋を妨害するために、このような欠陥をひき起こすところの何物かがひそんでいるのではないかということは、誰も考えてみないのである。とにかく精神分裂者の場合には、非連続性がそのまま破滅へとつながっている。そして、このことは、いわゆる「正常人」のやり方よりもー 非連続性による人格の破壊を単に自明のものと見るだけでなく、まるで非連続性が正当なものであるかのようにそれとつき合っている「正常人」のやり方よりもー よほど人間的だと言わねばなるまい。精神分裂者にはまだ破滅への力がある。彼においては、分裂し関連性をうしなった人格は、非連続な一般世界のために機能する力をもっていない。そして破滅へと身を捧げるのである。このような分裂した人格は、存在するだけの価値を自己自身に対して認めない。精神分裂者は、いわゆる「正常人」のような非連続的世界の寄食者(いそうろう)ではないのである。「正常人」においては、欠陥、つまり関連性の喪失や分裂が、常態化されているのだ。それに反して、精神分裂者においては、非連続性という罪が意識されているのである。精神分裂者とは非連続性を重大視する人間、或いは、もっと適切な言葉を用いていえば、その人において非連続性が重大視されるところの人間、のことである。彼が、(無意識的にではあっても)おのが一身をこの罪のために犠牲にしている、ということもあり得る。しかし、彼が犠牲に供されているということも、またあり得るのである。なぜなら、個々の人間の内部では、意識的にせよ或いは無意識的にせよ、その人自身に依存していることのみが生起しているのではない。彼は、それとは別に、一つの現象として現実のなかに置かれているのであって、この現象のなかでは、現実そのもの、或いは主ー すなわち神ーが、この現実に関して何か決定的なことがらを表現しているのだからである。そして、今ここに論じている精神分裂者において、非連続によって生じた崩壊の様相が、まざまざと人間の像(すがた)のうえに表現されているのである。非連続性の罪と、この罪の結果とが、精神分裂者において明らかになるのだ。つまり、非連続性によって人間の像が無慙に破壊されることが、ここに明示されているのだ。」

----
ナチ(ヒトラー)によって作り出されら非連続的な世界で人々が無慙にも破壊された。 

posted by Fukutake at 11:22| 日記

首斬り役人

「明治百話(上)」篠田鉱造著 岩波文庫 1996年

首斬朝右衛門 p25〜

 「手前が山田朝右衛門の八世を嗣ぎました吉亮(よしふさ)でございます。山田家は稼業が稼業でしたから世間の誤解が多い、しかし決して好んで刀を握ったのではありません。…

 お話ししたいのですが、人を斬る呼吸ですな。これはとても一朝一夕にお話は出来ませんし、先祖伝来の秘術もありますが、素より万物の霊長の首を斬るんですから、気合呼吸、こいつに真念覚悟という事が何より大事なのです。それゆえ刑場へ参りますと多くは罪人の方を見ません。罪人を見るとどうもいけませんから、まず自分の役廻りとならない間は、刀を手(たばさ)んで空を仰いだり草木を眺めたりしています。

 さてそうしているうちに用意万端が整って、よろしいとなると、いきなり罪人の側へ出まして、ハッタと睨み付け「汝は国賊なるぞッ」といって一歩進める、途端に柄に右手をかけます。コレは今まで誰にも口外しませんでしたが、この時涅槃経(こんじゃくきょう)の四句を心の中で誦むのです。第一柄に手をかけ、右手の人差指を下す時「諸行無常」中指を下す時「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」無名指(くすりゆび)を下す時「寂滅為楽」という途端に首が落ちるんです。

 弟子達が、先生のお斬りになるときは、いつも綺麗にすっぱり斬るが、どうもその呼吸が判りませんと申して居りましたが、呼吸というのは。この涅槃経の四句であります。雲井(竜雄)氏を斬る時もこの呼吸で美事に斬(や)りましたが、実を言いますと、始めのうちは斬ります時には眼が眩んで四辺(あたり)が真暗になり唯一筋の刀光がキラリと閃いて斬った時始めて眼が醒めます。三人四人と数を重ねて参りますと、今度は四辺もはっきりして、罪人が婦人(おんな)だと後れ毛が風にゆらいでいるのまでよく見えて来ます。精神作用とでも申しましょうか、これはちょっと不思議です・

 島田一郎を斬りました時は、明治十一年の七月二十七日でした。島田とその連累(なかま)が大久保卿を刺したのが同年の五月十四日ですから、ちょうど三ヶ月後に刑が定まったわけです。島田一郎の牢内の噂をよく聞きましたが、非常な豪放な態度だったそうです。愈々刑場に引出された日の扮装(いでたち)は、黒紋付の単衣で、三ヶ月間の入牢ゆえ髭は茫々と生えきらきらするが眼光は、俗にいう一癖ありげな人物でした。牢を出る時、大声で「愛国の諸君お先へ」と怒鳴りましたが、これは布(きれ)で目隠しっをされてあるし、共々刑に処せられることを知らなかったからです。
 ところが一郎ばかりでなく、同累の者らが、同日同所で斬罪なのでした。で、島田も牢を出てからこの事を知ったので大いに喜び。最後の見納めに目隠しをとって貰いたい、という依頼(たのみ)なので、係官もその心を思いやって目隠しを外してやりました。今生の対面に一同の感激はいうまでもありませんでした。…
 島田一郎に向かって、「何か申残す事でもあれば」と、辞世の詩歌か何かあるだろうと思って問いましたが、「この期に及んで申遺す事はない」とあったのでいかにも無造作に斬って棄てました。」

----



posted by Fukutake at 11:19| 日記