「今昔物語」<若い人への古典案内> 西尾光一著 教養文庫
だまされた盗人 (巻二十八 第四十六話) P207〜
「今は昔、阿蘇の某という史(さかん:役所の四等官)がいました。背丈こそ低かったが、気性の烈しいしたたか者でした。家は西の京にありましたが、ある日宮中の用事で内裏に残り、夜ふけてから帰宅することになりました。待賢門から出て、東大宮大路を南に向かって牛車を走らせていましたが、車内で自分の着ていた着物を次々にぬいでしまいました。片はしからたたんで、車の畳をあげ、その下にきちんとそろえ、その上にまた畳を敷いて、裸のまま冠をつけ足袋をはいて、車の中に坐っていました。
二条大路を右折して西へ進ませていますと、美福門のあたりを通り過ぎた頃、傍から盗人どもがばらばらと駈け出してきて、車の轅(ながえ)に取りつき、牛飼童をなぐりつけましたので、童は牛を捨てて逃げてしましました。車の後には雑色(下男)二、三人が供をしていた筈ですが、これもみな逃げてしまいました。盗人どもは車に近寄り、簾を引きあげてみて驚きました。中には裸の史が、冠をつけて坐っているではありませんか。あきれて、
「いったい、どうしたんだ。」
と尋ねますと、史はすましたものです。
「はい、左様、東大宮大路におきまして、皆さまがたのようなやんごとなき公達が現われ、わたしの装束をすべてお召し上げになったのでございます。
笏を手に、高貴な方に言上するような調子で、大まじめに答えましたので、盗人どもも思わず笑い出してしまい、さては一足先にしてやられたかと、そのままどこかへ行ってしましました。
史は声を上げて、牛飼童や雑色を呼ぶと、みなどこからか出てきました。家に帰りついて妻に話しますと、
「あなたにかかっては、どろぼうもかないませんね。」
と笑いました。
何とも驚き入った心構えではありませんか。装束を予め脱いでおいて、盗人が出たらこう言おうと考えたこの人物の用意たるや、まことにもって普通の人の考えつくことではありません。これは特別な人物だという評判になったということであります。」
----
2021年12月29日
年賀状
「やぶから棒 ー夏彦の写真コラムー」 山本夏彦 新潮文庫 平成四年 生きているしるし年賀状 p171〜
「あなたは年賀状を出すか」「出すとすれば何通か」と道行く人にマイクをつきつけて 聞いてる図をテレビで見たことがある。 人品いやしくない老人のひとりは「三十通」と答えていた。「もうそれくらいの交際し かないので」と言ったので私は心を打たれた。 この老人は盛んな頃は三百通も四百通もやりとりしていたのだろう。それは職を退 いたとたん絶えて、以来十なん年三十人しか出すあてがないと言っているのだと私は その口ぶりから察したのである。
私の家には八十九になる妻の母がいる。十年前までは年賀状はまだ十通くらい来 ていた。その半ばは印刷したもので、半ばは知人からのものだった。それも一枚へり 二枚へり、とうとうまったく来なくなった。 幼な子と老人には年賀状は来ない。幼な子にはいずれ来る見込みはあるが、老人 にはない。去年くれて今年くれない知人は、あるいは死んだのではないかと案じられ る。死んでも知らせが来ないのは、その知人の子に自分は亡き人に数えられている からだと思われる。
年賀状は虚礼だという。ことに印刷した年賀状には広告としか思われないものが あって、不愉快だという人がある。私はそうは思わない。歯医者が独立して開業したと いうたぐいの年賀状は充分役立つ。 私は毎年五百通あまり出すが、むろん印刷したものである。それでも署名しきれな いことがある。各界名士が千通も二千通ももらうのは、商売繁昌のしるしである。それ をくれるのは先方の勝手、当方からは出さぬと言うのは自慢しているのである。「人み な飾って言う」と私は旧著のなかに書いたことがある。
芸術家はウソだけはつかない。それが唯一のとりえだとほかでもない自分で言うか ら、そうかと思っていたら凡夫凡婦がつくウソをつく。元旦に年賀状を山と積んで嬉しく ないものがあろうか。これしきの本当のことが言えないものに、これしきでない本当の ことが言えようか。」
(昭和五十五年十二月十一日号)
----
虚礼こそ実質
「あなたは年賀状を出すか」「出すとすれば何通か」と道行く人にマイクをつきつけて 聞いてる図をテレビで見たことがある。 人品いやしくない老人のひとりは「三十通」と答えていた。「もうそれくらいの交際し かないので」と言ったので私は心を打たれた。 この老人は盛んな頃は三百通も四百通もやりとりしていたのだろう。それは職を退 いたとたん絶えて、以来十なん年三十人しか出すあてがないと言っているのだと私は その口ぶりから察したのである。
私の家には八十九になる妻の母がいる。十年前までは年賀状はまだ十通くらい来 ていた。その半ばは印刷したもので、半ばは知人からのものだった。それも一枚へり 二枚へり、とうとうまったく来なくなった。 幼な子と老人には年賀状は来ない。幼な子にはいずれ来る見込みはあるが、老人 にはない。去年くれて今年くれない知人は、あるいは死んだのではないかと案じられ る。死んでも知らせが来ないのは、その知人の子に自分は亡き人に数えられている からだと思われる。
年賀状は虚礼だという。ことに印刷した年賀状には広告としか思われないものが あって、不愉快だという人がある。私はそうは思わない。歯医者が独立して開業したと いうたぐいの年賀状は充分役立つ。 私は毎年五百通あまり出すが、むろん印刷したものである。それでも署名しきれな いことがある。各界名士が千通も二千通ももらうのは、商売繁昌のしるしである。それ をくれるのは先方の勝手、当方からは出さぬと言うのは自慢しているのである。「人み な飾って言う」と私は旧著のなかに書いたことがある。
芸術家はウソだけはつかない。それが唯一のとりえだとほかでもない自分で言うか ら、そうかと思っていたら凡夫凡婦がつくウソをつく。元旦に年賀状を山と積んで嬉しく ないものがあろうか。これしきの本当のことが言えないものに、これしきでない本当の ことが言えようか。」
(昭和五十五年十二月十一日号)
----
虚礼こそ実質
posted by Fukutake at 09:18| 日記