「小林秀雄全集 第十三巻」− 人間の建設− 新潮社版 平成十三年
人間の建設(對談)アインシュタインという人間 p168〜
「小林(秀雄) こういう(アインシュタインの)言葉がありますよ。私が世の中で一番わからないことは、世の中がわかることである。
岡(潔)これほど何も知らないのに、世の中の一人として暮らしていけるということは、不思議と言えば不思議ですね。
小林 その意味はね、ぼくはこうだと思うのです。あの人は世界を科学的に見て、欠陥のない一つの幾何学的像を書いたわけですね。これはわかるということです。どうしてこうわかるのだろうということが、彼には一番わからぬことだという意味ですよ。
それから波動力学が盛んになったとき、おれはオーストラリアの駝鳥みたいなものだ。おれは「量子(カンタ)」なんか見たくない、とルラティヴィストの砂の中に首を突っ込んでいる、そして隠れたと思っている駝鳥だといっております。これはド・ブロイに宛てた手紙にあります。あの人はたいへん古典的な考えの人ですね。そういう手紙を読んでいますと、ベルグソンの議論に対して、どうしてああ冷淡だったか、おれには哲学者の時間はわからぬと、彼がこたえているのはそれだけですよ。論戦はないのです。あとの論戦は、みんな弟子どもがやったものです。二人は黙っていた。一人は絶版にしてしまうし、一人は哲学者の時間なんていうものは知らぬと言っただけのことです。
岡 哲学者の時間は知らないでいいが、素朴な人として時間は知らなければいけませんね。
小林 もしも知らなければ、どうしてそういうことを手紙に書きますか、わかるということが不思議だというふうなことを。それは哲学者ではないですか。
岡 そうそう。
小林 そこまでわかっているアインシュタインが、なぜベルグソンにああいう態度をとったか。
岡 やはり自我を自分と思っている欧米人の間違った社会的習慣を破ることができなかったと思いますね。
小林 何が原因かわかりません。偉い人の行き違いというものはあるものなのですね。」
(「新潮」、昭和四十年十月)
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2021年11月05日
わかることがわからない
posted by Fukutake at 11:48| 日記
死者のおとずれ
「あの世からのことづてー私の遠野物語ー」松谷みよ子 筑摩書房
死者からの知らせ p3〜
「一昨年のことであった。
東北各地の人々が集まる集会に招かれたとき、秋田在住の滝という青年が次のような話を語ってくれた。
「昭和四十六年の早春、朝五時というのに車がきて、花輪(鹿角市)の母の実家の従兄弟が降り立った。祖母が息をひきとったという。あわてて二階の母の寝室に駆けあがり、
「おふくろ、ばあちゃんが死んだてや」
というと、母親はすでに身支度を整え、帯をひき結んでいるところであった。
「あわてるな。そんなことはとっくに分かっている。さっきガラス戸をドンドンたたく者があって目を覚ますと、ばあちゃんが枕元に立っていて、おれはいま死んだ。あとのことはよろしく頼む。と自分で知らせてきた。だからお前たちを起こさないようにそっと台所にいって、電気釜のスイッチを入れてきた。もう炊けたころだ、みてこい」
青年は呆気にとられて、いわれるままに台所へいってみると、たしかに飯の炊けるうまそうなにおいがただよって、電気釜の蓋がバタバタと動いている。やがてパチンとスイッチが切れた。
そこへ母親がふろしきを持って下りてくると、さっさと釜をくるみ、
「こんなときには死んだ家の者は気が動転して飯の支度どころではない。それで駆けつけてくれた人に申し訳ない。だから持っていくのだ」
とひとりごちて車に飛び乗り、そのままいってしまったのである。
滝青年は呆然と見送った。
あとで聞いた話では。母親は実家に着くなり、いっときは死んだ婆さまの枕元で涙にくれたが、すぐに一升炊きの電気釜の蓋をとって駆けつけた人々に朝食をふるまい、明け方の死者からの知らせを語って皆をおどろかせたという。」
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死者からの知らせ p3〜
「一昨年のことであった。
東北各地の人々が集まる集会に招かれたとき、秋田在住の滝という青年が次のような話を語ってくれた。
「昭和四十六年の早春、朝五時というのに車がきて、花輪(鹿角市)の母の実家の従兄弟が降り立った。祖母が息をひきとったという。あわてて二階の母の寝室に駆けあがり、
「おふくろ、ばあちゃんが死んだてや」
というと、母親はすでに身支度を整え、帯をひき結んでいるところであった。
「あわてるな。そんなことはとっくに分かっている。さっきガラス戸をドンドンたたく者があって目を覚ますと、ばあちゃんが枕元に立っていて、おれはいま死んだ。あとのことはよろしく頼む。と自分で知らせてきた。だからお前たちを起こさないようにそっと台所にいって、電気釜のスイッチを入れてきた。もう炊けたころだ、みてこい」
青年は呆気にとられて、いわれるままに台所へいってみると、たしかに飯の炊けるうまそうなにおいがただよって、電気釜の蓋がバタバタと動いている。やがてパチンとスイッチが切れた。
そこへ母親がふろしきを持って下りてくると、さっさと釜をくるみ、
「こんなときには死んだ家の者は気が動転して飯の支度どころではない。それで駆けつけてくれた人に申し訳ない。だから持っていくのだ」
とひとりごちて車に飛び乗り、そのままいってしまったのである。
滝青年は呆然と見送った。
あとで聞いた話では。母親は実家に着くなり、いっときは死んだ婆さまの枕元で涙にくれたが、すぐに一升炊きの電気釜の蓋をとって駆けつけた人々に朝食をふるまい、明け方の死者からの知らせを語って皆をおどろかせたという。」
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posted by Fukutake at 11:45| 日記