「プラトン I ー生涯と著作ー」田中美知太郎 著 岩波書店刊行
ソクラテスの魅力(2) p76〜
「(ソクラテスの吟味の仕方とは)どのようなものであったかを、今日われわれがすぐ に理解できるかどうか。プラトンの『饗宴』において、プラトンが一代の驕児たるアルキ ビアデスをして語らしめているものが、ちょうど若いプラトンの経験であったと言うこと ができるだろう。
「とにかくわれわれとしては、誰かほかの人が話すのを聞くとすると、それがとても上 手な弁論家の話す場合だとしても、話がほかのことがらにかかわるのなら、それに気 をとめる者は誰もいないと言っていいだろう。しかしあなたから話を聞くとなると、ある いはあなたの言われたことを他の誰かが話すのを聞くのだとしても、われわれはひど く心を打たれ、すっかりそのとりこになってしまうのだ。......というのは、ひとたびそれ を聞くと、わたしの心臓はコリュバンテスのおどりをおどる人たちのそれよりも、もっと 激しく鼓動し、この人の話に動かされて涙が流れ落ちるのだ。しかもこれはわたしだ けのことではなく、他にも同じ感動を受けている人がとてもたくさんいるのをわたしは 見ているのだ。これに反して、ペリクレスその他のすぐれた演説家の話を聞いても、う まい演説だとは思うけれども、このような感銘を受けることは少しもかなったのだ。つ まりわたしの心はかき乱されることもなく、自分はつまらない人間なのだというような みじめな気持ちに落とされることもないのだが、このマルシュアスにも比すべき人のた めには、何度も何度もすっかりそんな気持ちにされてしまい、今あるような自分にとど まる限り、おれは生きるに値しないのだと、わたしは考えるようになる。......そして今 なお。もしわたしが耳を藉すつもりになれば、打ちまかされ、これまでと同じ感動を受 けるだろうということを、自分自身よく知っているのだ。というのは、きっとこの人はわ たしに白状させるにきまっているからだ。まだ足りないところが自分にはたくさんある のに、その自分自身のことをなおざりにして、アテナイ人の世話をやく仕事をしている なんて、とね。だからわたしは、さながらセイレンたちに対するように、無理にも耳をふ さいで逃げ去るのだ。そうでもしなかったら、この人の側(そば)に坐ったまま年老いる ことになりはしないかと恐れてね。また世の中でただこの人に対してだけわたしのい だく感情があるのだが、それは誰にもわたしのうちにあるとは思えないようなもの、す なわち何びとにもせよ人に恥じるということなのだ。ところが、わたしは唯一人この人 に対してだけ恥を感じるのだ。というのは、わたし自身が、この人のなせと命じている ことを、それには及ばないのだと反論することのできないことと、しかしかれの許を離 れると、世の多くの者どもにもてはやされることに敗けてしまうことを、自分でよく知っ ているからだ。だから、わたしはかれの許から逃走し、かれを避けることになる。そし てかれを見ると、きまって前に同意したことに対して恥じることになり、いっそこの人が この世にいないところを見たいものだと思ったりすることも一再ではない。しかしいざ それがまた事実になるとしたら、それを堪え難く思うことは、もっとずっと大きいだろう
ということもよく知っている。そんなふうで、わたしはこの人をどうしたらいいのかわか らないのだ。」」
---
多くの人から愛し求められているアルキビアデスだが、ソクラテスにおいて、その逆を 経験させられている。
ソクラテスの魅力1
「プラトン T ー生涯と著作ー」田中美知太郎 著 岩波書店刊行
ソクラテスの魅力(1) p74〜
「いうところのソクラテスの魅力とは何なのか。アリストパネスBC四二三年に上演した『雲』において、ソクラテスの学校なるものを取り上げたころ、かれは既に注目の人だったのであろう。他の喜劇作家も競ってソクラテスを戯画化したのである。アテナイ人は文化史的には、イオニアやイタリアのギリシャ人よりも後れて登場したのであって、その「自分もじっとしていなければ、ひとをじっとさせておくこともない」と言われるような猛烈な活動性は、まず主として実際的なことがらに向けられ、六世紀はソロン、ペイしストラトス、クレイステネスなどの名の結びつく政治改革を経て、民主制というものを固め、その底力を次の世紀のペルシャ戦争における勝利によって示し、戦後五十年間においてデロス同盟の名で呼ばれるアテナイ帝国の建設に至ったのである。ソクラテスはペルシャ戦争後十年ころに生まれて、アテナイの最も栄光ある時代に青年であったわけだが、かれは他のアテナイ人と異なり、大勢の人たちを相手に大声で有力な発言をすることをせず、むしろ片隅に退いて、そこで若い人たちとこそこそと何かを話し合っていると見られるようなことをしていた。これは何とも奇妙なことであった。ペルシャ戦争後のアテナイは、いわゆるソフィストによって種々の新知識がもたらされ、多くの青年が教養のためにこれを学んだのであるが、しかしそれはあくまでも青年時代の遊びにとどまるべきものであった。ところが、いまソクラテスはそれを一生の仕事にしようとしているかのようである。それは外来のソフィストにこそ似つかわしい仕事なのであって、ちゃんとしたアテナイ市民のやることではないとされたのである。アテナイ市民がソフィストになるなどということはとんでもないことだったのである。恐らく喜劇役者のからかいの一因はそのへんにあったのかも知れない。しかしプラトンたち青年にとっては、普通の大人とはちがうソクラテスの変わった生き方が、逆に特別の興味をひく点だったかも知れない。しかしソクラテスは単なる奇人変人の類ではなかった。かれのうちには新しい生き方、金もうけや功名手柄だけではない人生の可能性が開示されていたのである。プラトンは噂のひとソクラテスを遠くの方から眺めながら、次第に近づき、ついにこの新しい発見に触れたのである。かれがソクラテスにこの種の接触をしたのは、その晩年の十年足らずの間のことであろうか。アリストパネス喜劇に描かれた四十代のどちらかといえば隠退的なソクラテスは、いまや六十代にしてー戦争末期の荒廃と敗戦後の混乱のなかでー一種の使命感をもち、人びとの間に入りこんで、神の智を明らかにするために、人間の無知を暴露すること、人間は自分自身を忘れて、金銭、評判、地位など自分の附属物にすぎないようなものに心を奪われているけれども、むしろ自分自身(たましい)をこそ大切にしなければならないことを説く人になっていたのである。ただしかれは、これをただ口だけで説教していたのではなく、その全人格をもってアイロニカルに、きびしい吟味の仕方で、それぞれの人に自得自覚させることを試みていたのである。
それが実際にどんなものであったかは、プラトンのソクラテス的対話篇において、これを見ることができるだろう。(続く)」
----
ソクラテスの実像
ソクラテスの魅力(1) p74〜
「いうところのソクラテスの魅力とは何なのか。アリストパネスBC四二三年に上演した『雲』において、ソクラテスの学校なるものを取り上げたころ、かれは既に注目の人だったのであろう。他の喜劇作家も競ってソクラテスを戯画化したのである。アテナイ人は文化史的には、イオニアやイタリアのギリシャ人よりも後れて登場したのであって、その「自分もじっとしていなければ、ひとをじっとさせておくこともない」と言われるような猛烈な活動性は、まず主として実際的なことがらに向けられ、六世紀はソロン、ペイしストラトス、クレイステネスなどの名の結びつく政治改革を経て、民主制というものを固め、その底力を次の世紀のペルシャ戦争における勝利によって示し、戦後五十年間においてデロス同盟の名で呼ばれるアテナイ帝国の建設に至ったのである。ソクラテスはペルシャ戦争後十年ころに生まれて、アテナイの最も栄光ある時代に青年であったわけだが、かれは他のアテナイ人と異なり、大勢の人たちを相手に大声で有力な発言をすることをせず、むしろ片隅に退いて、そこで若い人たちとこそこそと何かを話し合っていると見られるようなことをしていた。これは何とも奇妙なことであった。ペルシャ戦争後のアテナイは、いわゆるソフィストによって種々の新知識がもたらされ、多くの青年が教養のためにこれを学んだのであるが、しかしそれはあくまでも青年時代の遊びにとどまるべきものであった。ところが、いまソクラテスはそれを一生の仕事にしようとしているかのようである。それは外来のソフィストにこそ似つかわしい仕事なのであって、ちゃんとしたアテナイ市民のやることではないとされたのである。アテナイ市民がソフィストになるなどということはとんでもないことだったのである。恐らく喜劇役者のからかいの一因はそのへんにあったのかも知れない。しかしプラトンたち青年にとっては、普通の大人とはちがうソクラテスの変わった生き方が、逆に特別の興味をひく点だったかも知れない。しかしソクラテスは単なる奇人変人の類ではなかった。かれのうちには新しい生き方、金もうけや功名手柄だけではない人生の可能性が開示されていたのである。プラトンは噂のひとソクラテスを遠くの方から眺めながら、次第に近づき、ついにこの新しい発見に触れたのである。かれがソクラテスにこの種の接触をしたのは、その晩年の十年足らずの間のことであろうか。アリストパネス喜劇に描かれた四十代のどちらかといえば隠退的なソクラテスは、いまや六十代にしてー戦争末期の荒廃と敗戦後の混乱のなかでー一種の使命感をもち、人びとの間に入りこんで、神の智を明らかにするために、人間の無知を暴露すること、人間は自分自身を忘れて、金銭、評判、地位など自分の附属物にすぎないようなものに心を奪われているけれども、むしろ自分自身(たましい)をこそ大切にしなければならないことを説く人になっていたのである。ただしかれは、これをただ口だけで説教していたのではなく、その全人格をもってアイロニカルに、きびしい吟味の仕方で、それぞれの人に自得自覚させることを試みていたのである。
それが実際にどんなものであったかは、プラトンのソクラテス的対話篇において、これを見ることができるだろう。(続く)」
----
ソクラテスの実像
posted by Fukutake at 08:09| 日記