「プラトン全集15」岩波書店
「定義集*」より抜粋 p2〜
「27 自足。 もろもろの善いものの所有という点で完全であること。その状態にある人々は、自分で自分自身を支配するような(心の)状態。
34 自由。 人生を(自ら)指導すること。万事にわたっての自律。人生において、思うがままに生きる能力。財の使用と獲得におおらかであること。
49 平和。 戦いをもたらす敵意へ向かう静けさ。
59 政治学。 立派なこと、利益あることの知識。国家において正義を実現する知識。
79 国家。 仕合せに生きる上で充足している、多数の人々の共同体。多数の人々の、法律を守る共同体。
哲学(愛知)。 いつも変わらずにあるものの知識を希求すること。真理を、そしてどうしてそれが真(実)であるかを観想する心のもち方。正しい道理をともなう魂の配慮。
104 証拠。 明らかでないものを明らかに(証明)するもの。
105 証明。 推論による真実の説明。前もって知られていることによって明らかにする説明。
114 自由。 自己自身を支配すること。
129 仮定。 証明されえない原理。論議の要約。
149 独裁政治。 責任のとわれることのない、しかし合法的な支配。
168 無恥。 利益のために、悪評に甘んじられる(心の)状態。
177 教養。 魂を医療しうる力。」
定義集* 中世写本はプラトン全集に約二百からなる定義集をつけ加えた。
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2021年11月16日
自由、自己自身で支配すること
posted by Fukutake at 09:29| 日記
空虚の怖さ
「紳士の言い逃れ」 土屋賢二 文藝春秋(文春文庫) 2013年
空白の時間 p17〜
「乗っていた電車が架線事故でストップした。当分待たなくてはならない。こういうときのために本を持ち歩いている。非力なわたしが重くなるのをいとわず、カバンの中に本を入れてもち歩くのは、何もすることがない状態が非常に怖いからだ(「非常に」と書いたのは、そう書けば注目してもらえると思ったからだ)。
空白の時間がなぜ怖いのだろうか。パスカルが言うように「人間は自分の空虚さや惨めさに直面するのが怖いため、何もせずにじっとしていられず、気を紛らわせようとする」のかもしれない。わたしに自覚できるのは、貴重な時間を無駄にしたくないということだけだ。ただ、時間をどう使えば無駄にならないかがよく分からない。何をしても無駄かもしれないという気もするが、何でもいいからとにかく時間を埋めれば、何もしないより安心できるような気がするし、時間が無駄になっているかどうかという問題も忘れていられる。
このときのためにもっている本を取り出そうとして衝撃を受けた。本がない。今日カバンを替えたとき本を入れ忘れたのだ。
だがあきらめるのは早い。こういうときのために英語の電子書籍が読めるキンドルを持ち歩いている。キンドルはカバンに移し替えた覚えがある。わたしは軽率かもしれないが、自分は軽率だと自覚している点がただの軽率男とは違う。
軽率だと分かっているから、もち歩いている本が読み終わって困った経験を活かし、電車がストップする場合に備えて読みかけの本以外に予備の本を入れる慎重さだ。それでも上巻を読んでないのに、カバンには下巻しか入れてなかったことがある。こういう失敗を何度も重ねてきたのだ。何重にも予防策を講じてある。
自分の用心深さに感謝しながらキンドルを取り出し、スイッチを入れる。だが待てど暮らせど電源が入らない。電池切れだ。わたしの軽率さは手強い。
周りの客の大部分は携帯をいじっているが、わたしの携帯の電池残量は残りわずかだ。わたしの軽率さは非常に手強い。何かの間違いでカバンに新聞が入っていてくれたらと思う。せめて五年前の古新聞の端切れでもスワヒリ語の新聞でもあればいいのにと思う。徒手空拳で空白の時間に立ち向かうしかない。
電車内の広告という広告を、女性誌の広告も含め五回読んだところで飽きてしまう。やむなく窓に映った自分の顔を観察し、表情を変えてみる。一番いい男に見えるように工夫してみたが、あまり変化は見られない。どこまでへんな顔になるか試してみたが、たいした変化は見られなかった。いい男というものは、顔をどう変えてもいい男にしかなれないことが分かった。
もし本もテレビもゲームも音楽も仕事も携帯もないばかりか、考えることも空想することも動くことも許されなかったら、とてつもなく恐ろしいことになるに違いない。
だが昔、座禅を体験したとき、何も考えず身動きもできない状態に身を置くと、恐ろしいどころか非常にすっきりすることが分かった。空白の時間を恐れていたのがウソのようだった。本も空想もなしで空白の時間に向き合う強さをもてはいいのだ。足りないのは本ではなく心の強さだ。
これまでのわたしは抜本的に間違っていたと反省しながら電車を降りて家に帰ると、翌日の外出に備えてキンドルを充電し、本を三冊カバンに入れた。」
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空白の時間 p17〜
「乗っていた電車が架線事故でストップした。当分待たなくてはならない。こういうときのために本を持ち歩いている。非力なわたしが重くなるのをいとわず、カバンの中に本を入れてもち歩くのは、何もすることがない状態が非常に怖いからだ(「非常に」と書いたのは、そう書けば注目してもらえると思ったからだ)。
空白の時間がなぜ怖いのだろうか。パスカルが言うように「人間は自分の空虚さや惨めさに直面するのが怖いため、何もせずにじっとしていられず、気を紛らわせようとする」のかもしれない。わたしに自覚できるのは、貴重な時間を無駄にしたくないということだけだ。ただ、時間をどう使えば無駄にならないかがよく分からない。何をしても無駄かもしれないという気もするが、何でもいいからとにかく時間を埋めれば、何もしないより安心できるような気がするし、時間が無駄になっているかどうかという問題も忘れていられる。
このときのためにもっている本を取り出そうとして衝撃を受けた。本がない。今日カバンを替えたとき本を入れ忘れたのだ。
だがあきらめるのは早い。こういうときのために英語の電子書籍が読めるキンドルを持ち歩いている。キンドルはカバンに移し替えた覚えがある。わたしは軽率かもしれないが、自分は軽率だと自覚している点がただの軽率男とは違う。
軽率だと分かっているから、もち歩いている本が読み終わって困った経験を活かし、電車がストップする場合に備えて読みかけの本以外に予備の本を入れる慎重さだ。それでも上巻を読んでないのに、カバンには下巻しか入れてなかったことがある。こういう失敗を何度も重ねてきたのだ。何重にも予防策を講じてある。
自分の用心深さに感謝しながらキンドルを取り出し、スイッチを入れる。だが待てど暮らせど電源が入らない。電池切れだ。わたしの軽率さは手強い。
周りの客の大部分は携帯をいじっているが、わたしの携帯の電池残量は残りわずかだ。わたしの軽率さは非常に手強い。何かの間違いでカバンに新聞が入っていてくれたらと思う。せめて五年前の古新聞の端切れでもスワヒリ語の新聞でもあればいいのにと思う。徒手空拳で空白の時間に立ち向かうしかない。
電車内の広告という広告を、女性誌の広告も含め五回読んだところで飽きてしまう。やむなく窓に映った自分の顔を観察し、表情を変えてみる。一番いい男に見えるように工夫してみたが、あまり変化は見られない。どこまでへんな顔になるか試してみたが、たいした変化は見られなかった。いい男というものは、顔をどう変えてもいい男にしかなれないことが分かった。
もし本もテレビもゲームも音楽も仕事も携帯もないばかりか、考えることも空想することも動くことも許されなかったら、とてつもなく恐ろしいことになるに違いない。
だが昔、座禅を体験したとき、何も考えず身動きもできない状態に身を置くと、恐ろしいどころか非常にすっきりすることが分かった。空白の時間を恐れていたのがウソのようだった。本も空想もなしで空白の時間に向き合う強さをもてはいいのだ。足りないのは本ではなく心の強さだ。
これまでのわたしは抜本的に間違っていたと反省しながら電車を降りて家に帰ると、翌日の外出に備えてキンドルを充電し、本を三冊カバンに入れた。」
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posted by Fukutake at 09:25| 日記
2021年11月15日
醤油瓶とトルストイ
「井伏鱒二全集 第十二巻」 筑摩書房 昭和四十年
コンプラ醤油瓶 p99〜
「友人數名と長崎に行くと、この土地の天野さんといふ人が私たちにコンプラ醬油瓶を一箇づつくれた。伊萬里系統の正味三合入の徳利である。昔、長崎のコンパニー會社がオランダと貿易してゐたことの輸出品の残物で、立山役所の趾を掘つてゐたら穴蔵から二百箇ばかり見つかつた。そのうちの一部だといふことであつた。ごく雑な出来であるが、徳富蘆花の紀行文によると、この手の徳利をトルストイが書齋に置いて一輪差にしてゐたさうだ。
トルストイは、このコンプラ醬油瓶をどこで手に入れたらうか。モスコーかペテルブルグの古道具屋で見つけ、異國情緒を感じて買つて歸つたのだらうか。トルストイにそんな趣味があつたかどうか。どうしてこんな雑な徳利を座右に置いてゐたのだらうか。
私はかう思つた。トルストイは、この徳利をゴンチャロフから貰つたのかもわからない。どうもさうらしい。ゴンチャロフはロシア皇帝の使節プチャーチン提督の秘書として、嘉永二年に長崎に来航し、川路柳虹(りゅうこう)の曾祖父である川路聖謨(かわじとしあきら)と會談を取りかわしてゐる。歸航のとき船中必要な調味料として、コンプラ醬油を一ダースくらゐ川路から貰つたとしても不自然ではない。するとゴンチャロフはその空瓶をモスコーに持ち歸つて、ロシアの文人仲間にくれてやつたとも思われないこともない。ゴンチャロフが日本渡航を決意した所以は、東洋のむせるような異國情緒を味はいたいためであつたと云われるてゐる。雑なつくりの日本の徳利にも情緒を感じたらう。彼が長崎にきたのは三十歳ぐらゐのときである。そのころトルストイは二十五六歳くらゐであつたろう。
私は天野さんにもたつた醬油瓶を、當座ほんのしばらく机の上に置いていたが、トルストイをまねるのは氣がさすので押入れにしまつた。釉藥もお粗末で、轆轤を亂暴にまわしたらしいあとが目立つてゐる。輸出品となると、昔の人もやはり粗製濫造したのだらうか。」
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幕末 長崎 ゴンチャロフ トルストイ 井伏鱒二
コンプラ醤油瓶 p99〜
「友人數名と長崎に行くと、この土地の天野さんといふ人が私たちにコンプラ醬油瓶を一箇づつくれた。伊萬里系統の正味三合入の徳利である。昔、長崎のコンパニー會社がオランダと貿易してゐたことの輸出品の残物で、立山役所の趾を掘つてゐたら穴蔵から二百箇ばかり見つかつた。そのうちの一部だといふことであつた。ごく雑な出来であるが、徳富蘆花の紀行文によると、この手の徳利をトルストイが書齋に置いて一輪差にしてゐたさうだ。
トルストイは、このコンプラ醬油瓶をどこで手に入れたらうか。モスコーかペテルブルグの古道具屋で見つけ、異國情緒を感じて買つて歸つたのだらうか。トルストイにそんな趣味があつたかどうか。どうしてこんな雑な徳利を座右に置いてゐたのだらうか。
私はかう思つた。トルストイは、この徳利をゴンチャロフから貰つたのかもわからない。どうもさうらしい。ゴンチャロフはロシア皇帝の使節プチャーチン提督の秘書として、嘉永二年に長崎に来航し、川路柳虹(りゅうこう)の曾祖父である川路聖謨(かわじとしあきら)と會談を取りかわしてゐる。歸航のとき船中必要な調味料として、コンプラ醬油を一ダースくらゐ川路から貰つたとしても不自然ではない。するとゴンチャロフはその空瓶をモスコーに持ち歸つて、ロシアの文人仲間にくれてやつたとも思われないこともない。ゴンチャロフが日本渡航を決意した所以は、東洋のむせるような異國情緒を味はいたいためであつたと云われるてゐる。雑なつくりの日本の徳利にも情緒を感じたらう。彼が長崎にきたのは三十歳ぐらゐのときである。そのころトルストイは二十五六歳くらゐであつたろう。
私は天野さんにもたつた醬油瓶を、當座ほんのしばらく机の上に置いていたが、トルストイをまねるのは氣がさすので押入れにしまつた。釉藥もお粗末で、轆轤を亂暴にまわしたらしいあとが目立つてゐる。輸出品となると、昔の人もやはり粗製濫造したのだらうか。」
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幕末 長崎 ゴンチャロフ トルストイ 井伏鱒二
posted by Fukutake at 07:53| 日記