2021年11月18日

信じること

「棚から哲学」 土屋賢二 文春文庫 2002年

デタラメな信じ方 p164〜

 「わたしのことばは信じてもらえない傾向があるが、信じられることもある。不幸なことに、信じてほしくないときにかぎって、信じられてしまうのだ。たとえば「わたしは人に尊敬されたことがありません」というと、まず文字通りに信じられてしまう。むろん、わたしだって人から尊敬されたことはある。以前、「アンパンマンと友達だ」といって幼稚園児に尊敬されたことがある。

 信じてほしくないつもりでいったことが信じられてしまうのは困ったものである。どうしてこうなるのか、よく分からないが、わたしに対する悪い先入観が根底にあるような気がする。たとえばわたしが「ピアノが下手です」というと、わたしの演奏を聞いたことがない人は、謙遜だろうと思って、わたしのことばを信じようとしないが、一度でも演奏を聞いたことがある人は、先入観をもっているため、例外なく、わたしのことばをそのまま信じてしまうのだ。
 信じる・信じないを人はどうやって決めているのだろうか。わたしの例からも分かるように、人々は合理的な根拠に基づいて信じているわけではない。科学よりも占いを信じ、医学より民間療法を信じる人がいるし、宗教家の中には、「何の根拠もないから信じる」と考えている人さえいる。

 だが、科学的な信念なら合理的といえるだろうか。人は納得できることしか信じないが、その「納得」そのものがいいかげんである。たとえば、地球の裏側にいる人が落下しないという事実は、小学生でも納得し、信じているが、考えてみれば、どうして納得できるのか不可解である。裏側にいる人が、磁石もないのに、なぜ地球にくっついていられるのか。かりに磁石で引きつけているのだとしても、接着剤を使うわけでもないのになぜ磁石はくっつくのか。かりに接着剤でくっついているとしても、接着剤も物体だ。物体と物体の間に物体を入れただけでどうしてくっつくのか。
 ニュートンの万有引力の法則によって説明できる、といわれるかもしれないが、ニュートンの説明は結局のところ、「磁石や接着剤がなくても、物体は引っ張り合う。りんごも天体もみなそうだ」と主張しているだけだ。引力という現象そのものが納得できないのに、それが何の原因もなくあらゆる所で成り立っているといわれても、ますます納得できなくなるだけではなかろうか。一匹のゴキブリが怖いなら、ゴキブリを全部集めてもよけい怖くなるだけだ。
 これだけ信じられない材料がそろっているのに、人々はなぜ科学を簡単に信じているのか。ニュートンを信じられるなら、わたしのことばがどうしてしんじられないのか。人間の信じ方はデタラメだ。

 それどころか、人間は、信じているくせに「信じられない」ということがあるから、ますます信用できない。宝くじが当たったなど、都合のよすぎることが起こったとき、われわれは「とても信じられない」と驚き、「夢ではないか」と疑うが、むろん、内心では信じている。とても信じられないから賞金を受け取らない、という人はいないのだ。
 もしかしたら、「自分は宝くじを当てるような何十万人に一人という特別な人間ではない」と謙虚に考えているのかもしれないが、そもそも何十万人に一人になってもおかしくないと思うから宝くじを買っているのだし、第一、宝くじが外れ続けたら、なぜ自分がこんな不当な扱いを受けなくてはならないのか、と憤慨するに違いないのだ。
 むしろ、「信じられない」といっても、「常識では信じられないほど自分は特別だ」ということを強調したいだけではなかろうか。これはちょうど、他人の愚かな行動を見て「信じられない行動だ」というのと同じである。最初から他人は愚かだと信じているのだが、「常識では考えられないほど愚かだ」と強調したいだけなのだ。
 だから「信じられない」とだれがいっても信じてはならない。」
(初出 「週刊文春」)

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posted by Fukutake at 12:55| 日記

2021年11月17日

女ごころ

「夜中の薔薇」 向田邦子 講談社 

四角い匂い p42〜
 「部屋を出てエレベーターに乗ると、菊の匂いがした。
 乗っているのは私ひとりである。他人の体臭がないので、匂いは余計はっきりしていた。足許に菊が一枚落ちていた。
 ほんの少し前に、菊の花を持った人が乗り降りしたに違いない。
   散りてのち 面影にたつ 牡丹かなたしか蕪村の句である。花の姿はないのに匂いだけ残っている、花のないほうが匂いは鮮烈であるという句はなかったかと考えてみたが、思い出せなかった。
 マンションのエレベーターは、さまざまな匂いをのせて上り下りする。
 朝は出勤する人たちの整髪料の匂い。ひる近くなると、出前そばの匂い。衣更えの時季には樟脳の匂い。
 小学校一年に入学した坊やと乗り合わせたときは、新品のランドセルの革の匂いはいっぱいに立ちこめ、私まで弾んだ気分になった。

 マンションのお葬式は、エレベーターの残り香でも判る。お香と花の匂いが一日中残って、ときどき顔を合わせていただいたどなたかに不幸があったのかと、重い気分になる。すこしたって、このふたつの匂いはまた一日中エレベーターに立ちこめる。ああ、もう初七日になったのかと、日の立つ早さに溜息がでてしまう。
 四角い鉄の小部屋は風がない。匂いの逃げ場がないせいか、残り香は四角くなって、あとまで残るであろう。」


 口紅 p44〜
 「うちを出てすこし歩いてから、口紅をつけ忘れたことに気がついた。
 急に落ち着かない気分になった。別に気の張るところへ出掛けるわけではない。突っかけサンダルで、ほんのそこまでの買い物である。普段でも居職をいいことにして、白粉気は全くなしのほうだし、口紅もつけたりつけなかったりなのだが、つけたつもりでいたらつけていなかったというのが、虚をつかれたようで、居心地が悪いのである。
 気のせいか商店のショーウィンドーにうつる私の顔は、二つ三つ、いや五つ六つ老けてみえる。たしか川端康成の小説だったと思う。女主人公の口紅が唇の上半分しかついてなくて、手伝いの人に注意される場面があった。
 まず上唇に口紅をつけ、唇をきつく結ぶようにして、上の山を下唇にうつすやりかたは私もよくする。洗面所でこの通りにやりかけたところで御用聞きが来た。 返事をしながら飛び出そうとして、上半分だけしかついていないことに気がつき、あわてたことがあった。口紅のつけ忘れや洋服のほころびに気がつくと、どうしても態度に出る。
 心臆しているせいか楽しくない。いつものように魚屋のおじさんと冗談を言い合ったり、八百屋で値切ったりしないで、まっすぐ帰ってくるのである。」

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posted by Fukutake at 07:42| 日記

グーク

「ベトナム帰還兵の証言」 陸井三郎訳 岩波新書 1973年

日系兵士 p45〜

 「日系兵士の立場
 軍人はみな、グーク*はグークだという態度でいることは明らかです。そしてアメリカでは軍隊に行く以前から、アメリカに住むアジア人にたいして、こうしたひどい人種差別的態度があることもたしかです。しかし、どうやら無関心な態度で軍隊にはいってくる人たちもいますが、いったん軍隊にはいると洗脳されて、アジア人は人間以下だという考えをうえつけられてしまいます。ベトナム人だけでなく、アジア人全部です。

 この点を軍隊でぶつかった私の個人的な経験に関連させてみたいと思います。海兵隊にはいるまえ、私は白人とチカノ*が住むところで育ち、そこでは人種差別はそれほど強くなく、私もそんなに苦しめられずにすみました。海兵隊にはいるとき、私は、おれは国のためにつくすのだ、勇敢な海兵隊、立派なアメリカ市民になるのだ、と思っていました。サンディエゴのUCMDでバスを降りると、私をむかえた最初の言葉ー 訓練係の下士官が私にいったのは、「ほほう。今日はおれたちの小隊にグークが来たぜ」ということばでした。これは私には打撃でした。自分では立派な若者だと思っていたからです。それでもそれ以来、新兵兵舎で過ごした全期間、私はグークのモデルに使われたのです。教室へ行くと、諸君はVC、北ベトナム軍とたたかうのだ、と教えられます。そして教官は私を見て「ほら、あそこにいるやつは、まったくやつらにそっくりだ」というのです。軍隊は人種差別を少しも抑えたことがないのがおわかりでしょう。南ベトナム人、北ベトナム人だけでなく、世界中のアジア人全部に対してそうなのです。アメリカ人がアジアで姿をみせるところはどこでも、このことは証明されています。アジア人と、制度としてのアメリカ軍との間には摩擦が絶えません。かれらは、人びとを服従させ、人間の姿をした人間以下の生きものとして扱うのです。」スコット・シマブクロ上等兵(第三海兵師団第一三連隊第一大隊C中隊)

 「グークの見本
 私は第一海兵師団第五連隊第一大隊にいました。
 私は、軍隊およびベトナムでアジア人にたいしてとられている人種差別を非難します。私は軍隊に行く以前は、人種差別をあまり強くは感じていませんでした。そうです。それはありうることです。軍隊にはいって、私は人種差別がはびこっているのを体験しました。新兵兵舎でバスを降りたとたん、私はホー・チ・ミンといわれました。訓練のあいだじゅう、私はジャップ、グークのモデルに使われました。そして私は知ったのです。おれはこんな国のためにたたかおうとして海外に行くのだ、と。
 私は新兵兵舎での実例を、ほんの少し告発できたにすぎませんが、ここでベトナムでの経験にうつりたいと思います。ベトナムにいるあいだ、私は歩兵部隊にいましたが、なん度か後方へ行ったことがあります。ほとんどの海兵隊員は、ID(身分証明書)もみせないでPXに出入できますが、私はIDをみせても黄色人種だからという理由で入れてもらえなかったことがあります。ベトナムでも私はたえずグークの実物見本に使われました。アメリカに帰ってから、たくさんのアジア人仲間の男女が復員軍人やロサンジェルスのアメリカ人からグークといわれていることを知りました。」(マイク・ナカヤマ兵卒)

グーク* アジア人全体への蔑称
チカノ* メキシコ人
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白人の度し難いアホさ加減。

posted by Fukutake at 07:38| 日記