2021年11月29日

魯迅の仙台時代

「朝花夕拾」 魯迅 松枝茂夫訳 岩波文庫

藤野先生 p88

「… たしか土曜日の日、彼(藤野先生)は、助手に命じて私を呼ばせた。研究室へ行ってみると、彼は、人骨やら多くの単独の頭蓋骨やらー 当時、彼は頭蓋骨の研究をしていて、のちに本校(仙台の医学専門学校)の雑誌に論文が一篇発表されたー の\あいだに坐っていた。
「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
「すこしできます」
「持ってきてみせなさい」
私は、筆記したノートを差し出した。彼は、受け取って、一二日してからかえしてくれた。そして、今後毎週持ってきて見せるように、と言った。持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで、全部朱筆で添削してあった。多くの抜けた箇所が書き加えてあるばかりでなく、文法の誤りまで、一々訂正してあるのだ。かくて、それは、彼の担任の学課、骨学、血管学、神経学が終わるまで、ずっとつづけられた。

遺憾ながら、当時、私は一向に不勉強であり、時にはわがままでさえあった。今でもおぼえているが、あるとき、藤野先生が私を研究室へ呼び寄せ、私のノートから一つの図をひろげて見せた。それは下膊の血管であった。彼はそれを指さしながら、おだやかに私に言ったー
「ほら、君はこの血管を少し変えたねー むろん、こうすれば比較的形がよくなるのは事実だ。だが、解剖図は美術ではない。実物がどうあるのかということは、われわれは勝手に変えてはならんのだ。いまは僕が直してあげたから、今後、君は黒板に書いてある通りに書きたまえ」
だが私は、内心不満であった。口では承諾したが、心ではこう思ったー
「図はやはり僕の方がうまく書けています。実際の状態なら、むろん、頭のなかに記憶していますよ」

学年試験が終わってから、私は東京へ行って一夏遊んだ。秋のはじめに、また学校に戻ってみると、すでに成績が発表になっていた。百人余りの同級生のなかで、私はまん中どころで、落第はせずに済んだ。こんどは、藤野先生の担任の学課は、解剖実習と局部解剖学とであった。

解剖実習がはじまってたしか一週間目ごろ、彼はまた私を呼んで、上機嫌で、例の抑揚のひどい口調でこう言ったー
「僕は、中国人は霊魂を敬うと聞いていたので、君が屍体の解剖をいやがりはしないかと思って、随分心配したよ。まずまず安心さ、そんなことがなくて」

しかし彼は、たまに私を困らせることあった。彼は、中国の女は纏足をしているそうだが、くわしいことがわからない、と言って、どんな風に纏足をするのか、足の骨はどんな畸形になるか、などと私に質し、それから嘆息して言った。「どうしても一度見ないとわからないね、いったい、どんな風になるものか」


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posted by Fukutake at 13:07| 日記

2021年11月19日

破滅のもと

「ベーコン」 世界の名著25 責任編集 福原麟太郎 中央公論社 

随筆集より「富について」 p170〜

 「富を徳性の邪魔物だというより、よいいい方を私は知らない。ローマの言葉の方がいっそうよい。軍隊輸送の荷物といっている。というのは荷物と軍隊との関係と同じようなのが、富と徳性との関係である。それは、無しでもすまされないし、後へ置いていくわけにもいかない。そして、前進をさまたげる。そのとおりである。しかも、それに気を取られるために、時として勝利を失うことになったり、その邪魔になったりすることになる。非常な富については、実際の効用はない。ただ、分けるためなら、このかぎりでない。その他の場合は、空想にすぎない。だから、ソロモンがいっていることであるが、「ものが多いところでは、それを消費する者が多い。そして、所有主にはそれを目で見るという以外に何があるか?」。誰の場合でも、個人的なよろこびがあるといっても、大きな富は手でさわってみるまでにはなれない。それを保管しておくということはある。それを分けたり与えたりする力がある。あるいはその評判がある。だが所主にとって実質的な効用があるわけではない。…

 ソロモンのいうところに従うと、「富は、金持ちの人間の想像の中では要塞みたいなものだ」。しかし、それは想像の中でのことで、事実の中では、必ずしもそうでないということを表現しているのはみごとである。というのは、たしかに大きな富は人を売る方が、買いだすより多かった。誇るための富を求めてはいけない。正しく得、まじめに使い、たのしく分け、満足して残すことのできるようなものにしたい。しかし、世捨て人的あるいは修道士的な軽蔑を、それらにたいしてももってはならない。キケロが巧みに述べている言葉に、「自分の財産をふやそうと求めるにあたって、明らかなのは、彼が貪欲の餌食でなく、善行の道具を手に入れようとしたことである」というのがある。またソロモンのいうことをきいて、富を急いで集めることのないように注意した方がよい。「急いで金持ちになろうとする人は無実ではいられないだろう」という。
 一文惜しみをしてはいけない。富には羽根がある。そしてときどきひとりでに飛び立たせられなければならないこともある。人はその富を親類か公共社会に残す。ほどよい額が、どちらの場合もいちばんよい。」

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富の独り占めは破滅の元。
posted by Fukutake at 16:38| 日記

2021年11月18日

三舎をさく

「中国の思想 第11巻 左伝」 徳間書房

三舎を避く p111〜

 「一行は楚国についた。
 楚の成王は盛大な宴を催して、一行をもてなした。その席上のことである。成王は重耳に、「あなたが本国にお帰りになったあかつきには、返礼に何をくださるかな」と、たずねた。
「美女とか玉とか帛のたぐいは、いくらでもお持ちでしょう。さりとて、鳥の羽、獣の毛皮、牙などは、みなお国の特産。わが国のほうがお余りを頂戴しているくらいです。さて、何にしたものか」
「それはそうでしょうが、わたしとしては何か一つくらい頂戴したい」
「では、こうしましょう。もし、あなたのお力で本国に帰ることができたとします。そして将来わが晋と貴国とが、軍勢をととのえて中原の地で相まみえるようなことになったとき、わたしは九十里だけわが国の軍勢を後退させましょう。これでご納得いただけるかと思います。
 もしこれで納得がいかないとおっしゃるのでしたら、やむをえません。はばかりながらこのわたくし、弓をとってお相手つかまりましょう。」

 そばできいていた楚の令尹子玉は、これこそ未来の強敵と思い、今のうちに重耳を暗殺するように成王に申し出た。しかし、成王は、
「晋の公子は大きな理想を抱きながらも、足取りは着実だ。派手にふるまっている一面、けっして礼にもとるようなことがない。従者たちにしてもそうだ。慎み深く仕えていながら、窮屈そうではない。誠実に努力をつみ重ねている。それに引きかえ、今の晋侯(恵公、名は夷吾、重耳の異母兄弟)はどうだ。心を許せる臣下に恵まれず、国内はもちろん国外からも怨みを買っている。晋は姫姓の国、唐叔の後裔で、どこの国よりも長く栄えると聞き及んでいる。重耳こそ、晋の国力を盛り返す人物にちがいあるまい。天が復興させようとしているものを、だれが押しとどめられよう。これに逆らえば、必ず天罰がくだろう」
 こう言って、重耳を秦国に送り届けた。」

<九十里…> 原文は「君を辟(さ)けること三舎(舎:距離の単位)」当時、軍隊の行程は一日三十里(12km)で宿営する慣わしであった。三舎とは九十里(36km)である。「三舎を避ける」という語源。

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posted by Fukutake at 12:58| 日記