「考えるヒント 4」−ランボオ・中原中也− 小林秀雄 文春文庫
死んだ中原 p79〜
「君の詩は自分の死に顔が
わかって了った男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさえあつたつけ
僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音を立ててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな
ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言はれぬ君の額の冷たさに触れてはみたが
たうとう最後の灰の塊りを竹箸の先きで積つてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただらう
夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄らしい谷間ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確かめるやうな様子であつた。
ああ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉が言へようか
君に取返しのつかぬ事をして了ったあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうちやつた
ああ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗つて行け
何の不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば」
(昭和十二年十二月『文學界』)
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ワーグナー的世界の破壊
「性的變質から政治的變質へ −−ヴィスコンティ「地獄へ堕ちた勇者ども」をめぐって」 三島由紀夫 「三島由紀夫全集34」 新潮社 1975年
p373〜
「久々に傑作といへる映畫を見た。生涯忘れがたい映畫作品の一つにならう。
この荘重にして暗鬱、耽美的にして醜怪、形容を絶するやうな高度の映畫作品を見たあとでは、大ていの映畫は歯ごたへのないものになつてしまうにちがひない。
ヴィスコンティは「夏の嵐」とほぼ同じ手法で、オペラ的演出の瑰麗を極めたものを示すが、あれがイタリー・オペラなら、これはドイツ・オペラであり、ワグナー的官能性が圧倒的に表現されてゐる。ワグネリアンは狂喜するに相違ない。日本でこれに匹敵するものを探すなら、わづかに市川崑の「雪之丞變化」があるだけであらう。
冒頭の人物紹介は、落着いた悠々たるペースで進められ、この部分に「古き良きドイツ」が集約的に描冩されてゐる。それは厚味のある傳統的な文化(生活様式)の、視覺的音樂的な表現であり、立派な家長ヨアヒムを中心に、ブッデンブロークスの頽廃以前の一族の生活のやうなものが、簡潔に、きわめてよい趣味を以って、堂々と展開される。
雪中の二人の不吉な客、アッシェンバッハとフリードリッヒの紹介によつて、またマーチンの女装の唄によつて、さらに、國會炎上のニュースによつて、最初の不協和音が介入して来る。晩餐の描冩は、なほ、豫感を内に孕みながら、イプセン劇のやうな正統派の室内劇の力強い劇的對立を、ほとんど教範的に示す。
ふつうの劇的常識では、かうした性格、状況、野心、嫉妬、競争、權力、愛、その他の十分な設定は、劇的對立をレールに乗せ、心理劇や性格悲劇の十分な展開を豫想させるのである。なぜなら一定の高度の教養と富と文化的環境の設定は、教養ある悲劇をしか連想させないからである。もしある文化が滅びるんら、永い時間をかけて、その内的必然によつて瓦解する筈である。…
おつとどつこい、さうは行かない。深夜突然、生の暴力が、この一族をまるでヤクザ一家の悲劇のやうな、色も香もない、實も蓋もない、直接的暴力悲劇の結末へ一氣に運んでしまふのである。生の、生粋の暴力の前に一瞬にして崩壊してしまうのだ。
かくてこの劇を推進させる本當の力がはじめて露呈される。それこそナチスである。文化と文明の畫布を、何のためひもなく、一ト突きで破って突き出された「鐵拳」である。まるであるべきでないものがあり、起こるべきでないことが起こるといふ、この苛烈なコントラストに、ナチスの眞の特徴があつた。もし美しい座敷のまん中で糞をひることが公然と行なわれるにいたれば、全教養體系はあつけなく崩壊するのだ。…」
(<初出>映画芸術・昭和四十五年四月)
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いかにも凄惨な映画と記憶する。
p373〜
「久々に傑作といへる映畫を見た。生涯忘れがたい映畫作品の一つにならう。
この荘重にして暗鬱、耽美的にして醜怪、形容を絶するやうな高度の映畫作品を見たあとでは、大ていの映畫は歯ごたへのないものになつてしまうにちがひない。
ヴィスコンティは「夏の嵐」とほぼ同じ手法で、オペラ的演出の瑰麗を極めたものを示すが、あれがイタリー・オペラなら、これはドイツ・オペラであり、ワグナー的官能性が圧倒的に表現されてゐる。ワグネリアンは狂喜するに相違ない。日本でこれに匹敵するものを探すなら、わづかに市川崑の「雪之丞變化」があるだけであらう。
冒頭の人物紹介は、落着いた悠々たるペースで進められ、この部分に「古き良きドイツ」が集約的に描冩されてゐる。それは厚味のある傳統的な文化(生活様式)の、視覺的音樂的な表現であり、立派な家長ヨアヒムを中心に、ブッデンブロークスの頽廃以前の一族の生活のやうなものが、簡潔に、きわめてよい趣味を以って、堂々と展開される。
雪中の二人の不吉な客、アッシェンバッハとフリードリッヒの紹介によつて、またマーチンの女装の唄によつて、さらに、國會炎上のニュースによつて、最初の不協和音が介入して来る。晩餐の描冩は、なほ、豫感を内に孕みながら、イプセン劇のやうな正統派の室内劇の力強い劇的對立を、ほとんど教範的に示す。
ふつうの劇的常識では、かうした性格、状況、野心、嫉妬、競争、權力、愛、その他の十分な設定は、劇的對立をレールに乗せ、心理劇や性格悲劇の十分な展開を豫想させるのである。なぜなら一定の高度の教養と富と文化的環境の設定は、教養ある悲劇をしか連想させないからである。もしある文化が滅びるんら、永い時間をかけて、その内的必然によつて瓦解する筈である。…
おつとどつこい、さうは行かない。深夜突然、生の暴力が、この一族をまるでヤクザ一家の悲劇のやうな、色も香もない、實も蓋もない、直接的暴力悲劇の結末へ一氣に運んでしまふのである。生の、生粋の暴力の前に一瞬にして崩壊してしまうのだ。
かくてこの劇を推進させる本當の力がはじめて露呈される。それこそナチスである。文化と文明の畫布を、何のためひもなく、一ト突きで破って突き出された「鐵拳」である。まるであるべきでないものがあり、起こるべきでないことが起こるといふ、この苛烈なコントラストに、ナチスの眞の特徴があつた。もし美しい座敷のまん中で糞をひることが公然と行なわれるにいたれば、全教養體系はあつけなく崩壊するのだ。…」
(<初出>映画芸術・昭和四十五年四月)
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いかにも凄惨な映画と記憶する。
posted by Fukutake at 08:27| 日記
2021年11月29日
ハエはいなくなったが…
「宮本常一著作集 12 村の崩壊」 未来社 暮らしの周辺
消えた野の声 p303〜
「戦争がすんで二二年になる。敗戦は日本人にとって、実に大きな生活革命をもたらした。
最初におどろいたのはヘリコプターでDDTをまいて、東京で蚊帳をつらなくても眠れるようになったことであった。蚊やハエをいなくする運動が全国的に起こって来るのは昭和三〇年ころからであるが、過去のわれわれの生活の中では考えられない出来事であった。だから、占領軍のヘリコプターがDDTをまいても、日本人自身が同様な方法で蚊、ハエをいなくするような運動を起こすまで、しばらく間があったのである。
だが、DDTがまかれたことによっても一つの大きな変化が起った。セミが鳴かなくなったのがそれである。DDTにかぎらず、農薬の発達から、たんぼのカエルを殺した。土ガエルや殿様ガエルは農村の大事な風物の一つであった。ホタルも飛ばなくなったし、小川のドジョウやメダカも姿を消した。気がつかないうちに、子供たちが野に出てそういう小動物をとったり、楽しんだりすることは、ほとんどなくなってしまった。お盆のころになっても、赤トンボは飛ばなくなった。私にとって、この変化の大きさは、息のつまるほどのおどろきであった。野に生きる者は、そうした鳥や虫や小魚などにとりかこまれていることによって、ゆたかさをおぼえたのである。田畑で働く者にとって、その働く場が、どんなに単調で、つまらないものになっていくのだろうかということが、私にとっては一ばん大きな関心事であった。
私の子供のころには、まだ仕事をしながら歌を歌っている人は多かった。よい声で、草とり歌や草刈歌を歌っているのを聞いたし、木挽の歌を聞いたこともあったが、戦争を境にして、働く人びとのくちびるから歌が消えたばかりでなく、野の声も消えたのである。そして、民謡が仕事をするときに歌うものであったことを知っているいる者は、もう何ほどもいなくなっている。
仕事をしながら歌など歌えるものではないであろう、という疑問を持つ者が多い。それほど野から野の声を失ってしまったら、百姓として楽しみながら働くことができるであろうか。田畑の仕事を、ただ、だまって働くだけのものにしたならば、これほど骨が折れて、疲れる仕事はないのである。悪くすると、百姓たちは野の仕事の辛さだけが気になりはじめて、百姓仕事をいやがりはじめる者が次第にふえて来るのではないかと思ったが、そういう危惧は、意外なほど早く現実になった。それは、都会の方が農村の何倍もにぎやかになって来たからであろう。
しかし、私が危惧したほど野がさびしくはならなかった。トランジスタラジオができたおかげで、それを木の枝などにかけて、聞きながら仕事している人もふえてきた。ただ、ラジオの音楽と仕事とは、リズムの上でかみあわない。だから、音をたてることが仕事をする上のはずみにならなくなっている。いずれにしても、野にみちた自然の声の消えたことが、昔風に働いて来た人たちの中にあった明るさやはずみを消してしまったことは大きい。と同時に、従来の働き方ではなくて、新しい型の働きをそこで生み出すことによって農業は生きのびねばならなくなった。カエルの声よりもトラクターのうなりの方が、農村を農村として維持してゆくためには、もっと大切なことになって来た。
しかし、野の音はそれだけでいいのであろうか。もっと親しみ深いものもほしいのである。」
初出 『朝日新聞』1967年12月16日
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野の声
消えた野の声 p303〜
「戦争がすんで二二年になる。敗戦は日本人にとって、実に大きな生活革命をもたらした。
最初におどろいたのはヘリコプターでDDTをまいて、東京で蚊帳をつらなくても眠れるようになったことであった。蚊やハエをいなくする運動が全国的に起こって来るのは昭和三〇年ころからであるが、過去のわれわれの生活の中では考えられない出来事であった。だから、占領軍のヘリコプターがDDTをまいても、日本人自身が同様な方法で蚊、ハエをいなくするような運動を起こすまで、しばらく間があったのである。
だが、DDTがまかれたことによっても一つの大きな変化が起った。セミが鳴かなくなったのがそれである。DDTにかぎらず、農薬の発達から、たんぼのカエルを殺した。土ガエルや殿様ガエルは農村の大事な風物の一つであった。ホタルも飛ばなくなったし、小川のドジョウやメダカも姿を消した。気がつかないうちに、子供たちが野に出てそういう小動物をとったり、楽しんだりすることは、ほとんどなくなってしまった。お盆のころになっても、赤トンボは飛ばなくなった。私にとって、この変化の大きさは、息のつまるほどのおどろきであった。野に生きる者は、そうした鳥や虫や小魚などにとりかこまれていることによって、ゆたかさをおぼえたのである。田畑で働く者にとって、その働く場が、どんなに単調で、つまらないものになっていくのだろうかということが、私にとっては一ばん大きな関心事であった。
私の子供のころには、まだ仕事をしながら歌を歌っている人は多かった。よい声で、草とり歌や草刈歌を歌っているのを聞いたし、木挽の歌を聞いたこともあったが、戦争を境にして、働く人びとのくちびるから歌が消えたばかりでなく、野の声も消えたのである。そして、民謡が仕事をするときに歌うものであったことを知っているいる者は、もう何ほどもいなくなっている。
仕事をしながら歌など歌えるものではないであろう、という疑問を持つ者が多い。それほど野から野の声を失ってしまったら、百姓として楽しみながら働くことができるであろうか。田畑の仕事を、ただ、だまって働くだけのものにしたならば、これほど骨が折れて、疲れる仕事はないのである。悪くすると、百姓たちは野の仕事の辛さだけが気になりはじめて、百姓仕事をいやがりはじめる者が次第にふえて来るのではないかと思ったが、そういう危惧は、意外なほど早く現実になった。それは、都会の方が農村の何倍もにぎやかになって来たからであろう。
しかし、私が危惧したほど野がさびしくはならなかった。トランジスタラジオができたおかげで、それを木の枝などにかけて、聞きながら仕事している人もふえてきた。ただ、ラジオの音楽と仕事とは、リズムの上でかみあわない。だから、音をたてることが仕事をする上のはずみにならなくなっている。いずれにしても、野にみちた自然の声の消えたことが、昔風に働いて来た人たちの中にあった明るさやはずみを消してしまったことは大きい。と同時に、従来の働き方ではなくて、新しい型の働きをそこで生み出すことによって農業は生きのびねばならなくなった。カエルの声よりもトラクターのうなりの方が、農村を農村として維持してゆくためには、もっと大切なことになって来た。
しかし、野の音はそれだけでいいのであろうか。もっと親しみ深いものもほしいのである。」
初出 『朝日新聞』1967年12月16日
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野の声
posted by Fukutake at 13:10| 日記