2021年10月22日

笑える英会話2

「参考書や英会話本に載っている 『笑う英会話2』」 
草下シンヤx北園大園 彩図社 より  第二弾

「1 He was all but nude.
彼はほとんど裸同然だった

2 Grow up, man! How old do you think you are?
 大人になれよ! いったい何歳になると思ってるんだ   

3 She made the most of her sex appeal.
 彼女はその性的魅力を十分に利用した

4 When told, “What a Cinderella story!” She chucked happily. 
「玉のこしね」と言われて、彼女はくくっと嬉しそうに笑った。

5 The man became more dismal since his devorce.
 彼は離婚後よりいっそう陰気になった

6 A tramp set the house on fire.
 浮浪者が放火した

7 That hair style is out.
 あの髪型は流行遅れだ

8 I didn’t know Mr.Rea, our math teacher, does moonlighting at Seven-Eleven.
 知らなかったけど、私の数学の担任レア先生がセブン・イレブンで夜のバイトをしているの

9 Today’s meal is fuss-free!
 今日のごはんは手抜きします

10 baldhead!
 ハゲ頭!

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posted by Fukutake at 08:18| 日記

筑前藩主黒田公

「福翁自伝」 福沢諭吉 著 富田正文 校訂 岩波文庫

緒方洪庵 黒田公の原書を写す p89〜

 「筑前の国主黒田美濃守という大名は、今の華族黒田のお祖父さんで、緒方洪庵先生は黒田家に出入りして、勿論筑前に行くでもなければ江戸に行くでもない、ただ大阪に居ながら黒田家の御出入医といことであった。…ある歳安政三年か四年と思う。筑前公が大阪通行になるというので、先生は例のごとく中ノ島の屋敷に行って、帰宅早々私を呼ぶから、何事かと思って行ってみると、先生が一冊の原書を出して見せて「今日筑前屋敷に行ったら、こういう原書が黒田候の手に入ったといって見せてくれたから、一寸と借りて来た」と言う。これを見ればワンダーベルトという原書で、最新の英書をオランダに翻訳した物理書で、書中は誠に新しいことばかり。就中(なかんずく)エレキトルのことが如何にも詳らかに書いてあるように見える。私などが大阪で電気のことを知ったというのは、ただ纔(わずか)にオランダの学校読本の中にチラホラ論じてあるより以上は知らなかった。ところがこの新舶来の物理書は、英国の大家ファラデーの電気説を土台にして、電池の構造法などがちゃんと出来て居るから、新奇とも何ともただ驚くばかりで、一見直ちに魂を奪われた。それから私は先生に向かって「これは誠に珍しい原書でございますが、何時まで拝借していることが出来ましょうか」と言うと、「左様さ。何れ黒田候は二晩とやら大阪に泊まるという。御出立になるまでは、あちらに入用もあるまい」「左様でございますか。一寸と塾の者にも見せとうございます」と言って、塾へ持って来て「如何(どう)だ、この原書は」と言ったら、塾中の書生は雲霞の如く集って一冊の本を見ているから、私は二、三の先輩生と相談して、何でもこの本を写して取ろうということに一決して、「この原書をただ見たって何の役にも立たぬ。見ることは止めにして、サア写すのだ。しかし千頁もある大部の書をみな写すことは迚(とて)も出来られないから、末段のエレキトルのところだけ写そう。一同筆紙墨の用意して総掛りだ」といったところで、ここに一つ困ることには、大切な黒田様の蔵書を毀すことは出来ない。毀して手分(てわけ)て遣れば、三十人も五十人もいるから瞬く間に出来てしまうが、それは出来ない。けれども緒方の書生は原書の写本に慣れて妙を得ているから、一人が原書を読むと一人はこれを耳に聞いて写すことが出来る。ソコデ一人は読む、一人は写すとして、写すものが少し疲れて筆が鈍って来ると直ぐに外の者が交代して、その疲れた者は朝でも昼でも直ぐ寝ると、こういう仕組にして、昼夜の別なく、飯を食う間も煙草をのむ間も休まず、一寸とも暇なしに、およそ二夜三日の間に、エレキトルのところは申すに及ばず、図も写して読み合わせまでして出来てしまって、紙数はおよそ百五、六十枚もあったと思う。ソコデ出来ることなら外のところも写したいと言ったが時日が許さない。マアマアこれだけでも写したのは有り難いというばかりで、先生の黒田候はこの一冊を八十両で買い取られた聞いて、貧書生らはただ驚くのみ。固より自分に買うという野心も起こりはしない。いよいよ今夕、候の御出立と定まり、私共はその原書を撫でくりまわし誠に親に暇乞いをするよう別れを惜しんで還したことがございました。それから後は、塾中にエレキトルの説が全く面目を新たにして、当時の日本国中最上の点に達していたと申して憚りません。私などが今日でも電気の話を聞いておよそその方角のわかるのは、全く写本の御蔭である。誠に因縁のある珍しい原書だから、その後たびたび今日の黒田候の方へ、ひょっとしてあの原書はなかろうかと問い合わせましたが、彼方でも混雑の際であったから如何なったか見当たらぬという。惜しいことでございます。」

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当時の向学心、推して知るべし。

posted by Fukutake at 08:13| 日記