2021年10月20日

「大鏡」冒頭

「大鏡」 全現代語訳 保坂弘司 講談社学術文庫 

京の紫野の雲林院(うりんいん)の菩提講に参詣した大宅世継という百九十歳の老翁が、偶然出逢った昔なじみの百八十歳の夏山繁樹が、雲林院に説教に集まった善男善女の前で、昔話をする。

p38〜

 「せんだって、私が雲林院の菩提講に参詣しましたところ、普通の人よりはひどく年とって、異様な感じのする老人が二人と、それに老女とが、説教の席で偶然出逢って、同じ場所に坐っていました。じつにまあ、揃いも揃って同じように、超高齢の老人たちだなあと、驚きの目で見ていますと、この老人たちは、笑いながら顔を見合わせて、さてその一人の世継の翁がいうには、

「久しい以前から、昔馴染みの人にお逢いして、どうかして、自分が今まで、世の中で見たり聞いたりしてきた色々な出来事を話し合いたい、またちょうど全盛の現在の入道殿下道長公*のご様子も語り合いたいものだ、と思っていましたのに、まったくまあ、今日は望みどおり、あなたがたにお逢いいたして、hんとうにうれしいですなあ。もうこれで、年来の望みも達しらたれたので、今は思い残すこともなく、冥途へも参れます。胸のうちに思っていることをいわないでいるのは、まったく、諺にもいうように、腹が張っているような重苦しい気持ちになるものですね、それですから、昔の人は何かいいたくなってくると、土に穴を掘っては、そこに思うことをいって埋め、それで気を晴らしたとかいうことですが、なるほどと思われます。それにしても、ここでお会いできたとは、ほんとうにうれしいことですなあ。ところで、あなたはおいくつにおなりでしたか」
といいますと、もう一人の老人の繁樹が、

「さあ、いくつということは、いっこうに覚えておりません。ですが、私は、亡くなった忠平太政大臣貞信公*が、まだ蔵人少将*と申しておられた時分の、小舎人童*(ことねりわらわ)を勤めておりました大犬丸という者ですよ。あなたは、たしか、その御代ー 宇多天皇の皇太后宮さまの召使いで、大宅世継(おおやけのよつぎ)と申したお方でいらっしゃっいましたなあ。そうしますと、あなたのお年は私よりはずっと上でいらっしゃるでしょうよ。私がまだほんの子供でしたとき、あなたはもう二十五、六歳ほどの男ざかりでおいででした」
と、いいますと、世継の翁が、
「そうそう、そういうことでしたね。ところで、あなたのお名前はなんとおっしゃいましたかな」とたずねます。すると、相手の老人が、
「私が、忠平太政大臣殿のお邸で元服いたしましたとき、貞信公が、『お前の姓はなんと申すか』とおっしゃいましたので、、『夏山(なつやま)と申します』とお答えしましたところ、即座に、夏山にちなんで、私の名を繁樹(しげき)とおつけくださったのでした」
などというので、聞いている私は、あまりにも遠い昔ばなしに、すっかり驚きあきれてしまいました。」

入道殿下* 藤原道長、殿下は摂政、関白の称。
太政大臣貞信公* 藤原忠平
蔵人少将* 近衛少将で、蔵人を兼ねた人
小舎人童* 近衛中将または少将が召し使う少年。

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posted by Fukutake at 08:17| 日記