「「私が、答えます」ー動物行動学でギモン解決!」 竹内久美子 文藝春秋
酒とタバコと出世の関係 p50〜
「(質問)酒もタバコもやらない人は出世しない、とは老親の口癖です。私はどちらもたしなみませんが、本当に酒もタバコもやらない男は出世しないのでしょうか。(三九歳、男)
「(答え)まず酒についてですが、そもそも飲むかどうか、という前に、飲めるかどうか、の問題がありますね。日本人の中には時々、酒をほとんど一滴も飲めない、下戸の人がいます。さらに、飲めることは飲めるが、ある量(たとえば日本酒で言えば二〜三合)を超えると気持ち悪くなる(私はこれです)、そしてぐいぐいいける、気持ち悪くなるのは相当飲んでから(たとえば五合〜一升、あるいはもっと)である、と大体三段階くらいの強さがあるように思われます。
ところがコーカソイドや二グロには下戸はまったくいない。我々のように、中間段階というのもない。彼らは全員、酒は極めていける口、実際に飲むかどうかは別として、酒には滅法強いのです。
なぜ、モンゴロイドには下戸や中間段階がいるのか。それは今から二万年くらい前を寒さにピークとする最後の氷河期の頃です。当時、中国大陸のどこかに住んでいた誰かに、ある突然変異が起きたことに始まります。
アルコール(エチルアルコール)は体内で、アセトアルデヒド、酢酸という順番で変化します。このアセトアルデヒドを酢酸に変える酵素をアルデヒドデヒドロゲナーゼと言います。この酵素には二種類あるのですが、突然変異は、より重要な酵素をコードしている遺伝子に起きました。結果、肝心の酵素が正しくつくられなくなった。アセトアルデヒドを、効率よく酢酸に変えることができなくなってしまったのです。
このアセトアルデヒド。実は、二日酔いや飲みすぎたときの気持ち悪さの原因で、一種の毒物です。下戸の人は、酒を飲めば、必ずアセトアルデヒドが溜まる(その先の酢酸に変わりにくいわけだから)。よって二日酔いみたいに気持ち悪くなるのです。
一方、酒が飲める人でも、飲み過ぎれば、この過程は渋滞。一時的に多くのアセトアルデヒドが溜まる。やはり気持ち悪くなる、という次第です。この突然変異の起きた状態の遺伝子は「下戸遺伝子」と呼ばれています。
とはいえ、下戸遺伝子を、親から一つしか受け継いでいないのなら、まだ大丈夫。下戸ではありません。そうでない方の遺伝子が働いてアセトアルデヒドを変化させます(これが酒の強さの中間段階)。下戸遺伝子を親から一つずつ、計二つ受け継いでしまった場合、これが下戸なのです。
ともあれこの突然変異が起きて以来、それまで全員、極めていける口だったモンゴロイドが、突如そうではなくなってしまいました。…
二万年以前、南方から島づたいに日本列島にやってきた縄文人は全員、いける口だったが、後から(BC三世紀からAD七世紀にかけて)、主に朝鮮半島経由でやってきた渡来人が、下戸遺伝子をもたらした。よって今日、日本人に、酒の強さについて様々な個人差があるわけです。」
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高知、鹿児島、熊本など大酒のみが多いのは、縄文系ということでしょうか。
まあ、明治期には、質問のようなこともあったのかも知れませんね。
カルタゴの最後
「戦史の名言 −戦いに学ぶ処世訓−」 是本信義 PHP文庫
スキピオ・エミリウス p59〜
「第二次ポエニ戦争の敗北もものかは、より以上の繁栄を誇るカルタゴに対しローマは、ついにこれの討滅を決意したのである。
まず、カルタゴの隣国ヌミジア王国を扇動してカルタゴ領を侵略させ、たまりかねたカルタゴがヌミジアに開戦するや、「ローマの許可なく、他国と開戦しない」との前戦役の平和条項を盾に取ってこの戦争に介入、そして次々と無理難題を吹きかけた。
まず、カルタゴ貴族の子女三百人を人質に取ってローマに送った。
次いで、「貴国の安全は、以後ローマが保障するので、無用となった武器はすべて差し出せ」と強要し、カルタゴの持つ武器、鎧、盾、槍、剣など一式二十万組、投石機(カタパルト)二千基を押収した。
この武器解除により、カルタゴの防衛力を全く奪ったローマは、最後の難題を吹きかけた。彼らは、カルタゴが常に事を起こし地中海の平和を損なうのは、その海洋国家としての対外進出にあるとして、現在のカルタゴ本市を捨て、内陸十二マイルへの移転を命じたのである。
海洋通商民族であるカルタゴから海を取り上げることは、死ねというのに等しい。
この期に及んでようやくローマの本心を知ったカルタゴは、もはやこれまでとローマと戦うことに決して戦備にかかった。
すなわち神殿、家屋に使われている鉄から刀や槍を、屋根の鉛板で投石機の弾丸を作り、女子はその髪を切って弓の弦、投石機のバネに供するなど、またたく間に強力な戦備を再建したのである。こうしてBC一四九年、第三次ポエニ戦争が始まった。
この戦いに運命をかけるカルタゴは一致団結して頑強に戦い、ローマ軍はいたずらに損害を増すばかりであった。そこでローマは、知勇兼備の若い将軍スキピオ・エミリウスを指揮官に登用した。彼はそれまでの力攻めを改め、カルタゴ本市を包囲し、その飢えを待った。
BC一四六年一月、ローマ軍はついに城壁を突破し、七昼夜にわたる凄惨な市街戦の末、七十万を数えた市民のほとんどが殺され、前後三回、百二十年にわたるポエニ戦争は幕を閉じたのである。
ローマ元老院はスキピオにカルタゴ抹殺を命じ、こうして“地中海の女王”カルタゴは、十七昼夜燃え続けて、ついに歴史から姿を消したのであった。
小高い丘から炎上するカルタゴ市を望んでいたスキピオは、秘書であり友人でもある大歴史家ポリビウスを顧み、「アッシリア滅び、ペルシャ、マケドニアもかくして滅びぬ。次に滅びるは必ずローマならんか…」と暗涙を流したと伝えられる。」
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中国も滅ぶ、アメリカも滅ぶ。
スキピオ・エミリウス p59〜
「第二次ポエニ戦争の敗北もものかは、より以上の繁栄を誇るカルタゴに対しローマは、ついにこれの討滅を決意したのである。
まず、カルタゴの隣国ヌミジア王国を扇動してカルタゴ領を侵略させ、たまりかねたカルタゴがヌミジアに開戦するや、「ローマの許可なく、他国と開戦しない」との前戦役の平和条項を盾に取ってこの戦争に介入、そして次々と無理難題を吹きかけた。
まず、カルタゴ貴族の子女三百人を人質に取ってローマに送った。
次いで、「貴国の安全は、以後ローマが保障するので、無用となった武器はすべて差し出せ」と強要し、カルタゴの持つ武器、鎧、盾、槍、剣など一式二十万組、投石機(カタパルト)二千基を押収した。
この武器解除により、カルタゴの防衛力を全く奪ったローマは、最後の難題を吹きかけた。彼らは、カルタゴが常に事を起こし地中海の平和を損なうのは、その海洋国家としての対外進出にあるとして、現在のカルタゴ本市を捨て、内陸十二マイルへの移転を命じたのである。
海洋通商民族であるカルタゴから海を取り上げることは、死ねというのに等しい。
この期に及んでようやくローマの本心を知ったカルタゴは、もはやこれまでとローマと戦うことに決して戦備にかかった。
すなわち神殿、家屋に使われている鉄から刀や槍を、屋根の鉛板で投石機の弾丸を作り、女子はその髪を切って弓の弦、投石機のバネに供するなど、またたく間に強力な戦備を再建したのである。こうしてBC一四九年、第三次ポエニ戦争が始まった。
この戦いに運命をかけるカルタゴは一致団結して頑強に戦い、ローマ軍はいたずらに損害を増すばかりであった。そこでローマは、知勇兼備の若い将軍スキピオ・エミリウスを指揮官に登用した。彼はそれまでの力攻めを改め、カルタゴ本市を包囲し、その飢えを待った。
BC一四六年一月、ローマ軍はついに城壁を突破し、七昼夜にわたる凄惨な市街戦の末、七十万を数えた市民のほとんどが殺され、前後三回、百二十年にわたるポエニ戦争は幕を閉じたのである。
ローマ元老院はスキピオにカルタゴ抹殺を命じ、こうして“地中海の女王”カルタゴは、十七昼夜燃え続けて、ついに歴史から姿を消したのであった。
小高い丘から炎上するカルタゴ市を望んでいたスキピオは、秘書であり友人でもある大歴史家ポリビウスを顧み、「アッシリア滅び、ペルシャ、マケドニアもかくして滅びぬ。次に滅びるは必ずローマならんか…」と暗涙を流したと伝えられる。」
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中国も滅ぶ、アメリカも滅ぶ。
posted by Fukutake at 07:59| 日記