「与謝蕪村 郷愁の詩人」 萩原朔太郎著 岩波文庫
秋の部 p68〜
「 門(かど)を出て 故人に逢ひぬ 秋の暮
秋風落莫、門を出れば我もまた落葉の如く、風に吹かれる人生の漂泊者に過ぎない。たまたま行路に逢う知人の顔にも、生活の寂しさが暗く漂っているのである。宇宙万象の秋、人の心に食い込む秋思の傷を咏じ尽くして遺憾なく、かの名句「秋ふかき隣は何をする人ぞ」と双璧し、蕪村俳句の一名句である。
几董の句集には「門を出れば我も行く人秋の暮」と出ている。
秋の燈(ひ)やゆかしき奈良の 道具市
秋の日の暮れかかる灯ともし頃、奈良の古都の街はずれに、骨董など売る道具市が立ち、店々の暗い軒には、はや宵の燈火が灯っているのである。奈良という侘しい古都に、薄暗い古道具屋の並んだ場末を考えるだけで寂しいのに、秋の薄暮の灯ともし頃、宵の燈火の黄色い光をイメージすると、一層情趣が侘しくなり、心の古い故郷に思慕する、或る種の切ないノスタルジアを感じさせる。蕪村俳句の詩境である。
飛尽くす 鳥ひとつづつ 秋の暮
芭蕉の名句「何にこの師走の町へ行く鴉」には遠く及ばず、同じ蕪村の句「麦秋や何に驚く屋根の鶏」にも劣っているが、やはりこれにも蕪村の蕪村らしいポエジイが現れており、捨てがたい俳句である。
おのが身の 闇より吠えて 夜半の秋
黒犬の絵に讃して咏んだ句である。闇夜に吠える黒犬は、自分が吠えているのか、闇夜の宇宙が吠えているのか、主客の認識実体が解らない。ともあれ蕭条たる秋の夜半に、長く悲しく寂しみながら、物におびえて吠え叫ぶ犬の心は、それ自ら宇宙の秋の心であり、孤独に耐え得ぬ、人間蕪村の傷ましい心なのであろう。彼の別の句「愚に耐えよと窓を暗くす 竹の雪」とやや同想である。
冬近し 時雨の雲も 此所(ここ)よりぞ
洛東に芭蕉庵を訪ねた時の句である。蕪村は芭蕉を崇拝し、自分の墓地さえも芭蕉の墓と並べさせたほどであった。その崇拝する芭蕉の庵を、初めて親しく訪ねた日は、おそらく感激無量であったろう。既に年経て、古く物さびた庵の中には、今もなお故人の霊がいて、あの寂しい風流の道を楽しみ、静かな瞑想に耽っているように見えたか知れない。「冬近し」という切迫した語調に始まるこの句の影には、芭蕉に対する無限の思慕と哀悼の情が含まれており、同時にまた芭蕉庵の物寂びた風流が、よく景象的に描き尽されている。さすがに蕪村は、芭蕉俳句の本質を理解しており、その「風流」とその「情緒」とを。完全に表現し得たのであった。
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故人に遇う宵
戦争と道徳のごたまぜは、ひどい
「裁かれた戦争」 アラン 白井成雄訳 小沢書店 1986年
自己欺瞞 p81〜
「私はいわゆる健気な手紙をたくさん読んだ。それらは確かにある意味健気なものだった。その内の幾通かはごく親しい若い友人から来たものだった。彼らは皆、殺されてしまったか、あるいはそれに近い体験をしていた。私は彼らの手紙をすぐ焼き捨て、返事を出さなかった。なぜなら、もし出すとすれば、次のようにいわねばならなかったろう。「君たちは戦闘の真只中から、また、目前に戦闘をひかえながら手紙をくれた。だが私の見るところ、君たちはいさぎよく戦死することを願っているようだ。私はそんなことは望んでいない。それは余りに美しすぎる。私はシーザーでは断じてない。君たちの行為に決して慰められることのない悲しい人間なのだ。否、否。私は君たちが苦い盃を唇から離さず、苦いままに飲みほしてくれたらと思うのだ。それは実際に君たちが苦い盃を飲んだではないか。私をだますことはできない。旧師はだませないものだ。君たちは多少シニックになっていたかもしれない。そうなる権利はあるとしても、随分高くついたものだと思う。要するに君たちは強制されたのだ。この点をまず考えることから始めるか、さもなくければ何も考えないのがよい。強制された義務とは一体なんだろう。戦争と道徳のごたまぜは一体なんだろう。ひどいごたまぜだ。君たちは強制されたのだ。三文の価値もない一兵卒として強制されたのだ。従わなければ死刑だったのだ。塹壕に無理矢理連れてこられたようなものだ。突撃の瞬間に、兵士たちが将校を掩蓋に立たせ、「先に進め」といった話を聞いたことがある。もちろん君たちはそんなことを期待はしなかった。それはそれで結構だ。君たちは運命に先駆けて走り、力の限りをつくし、無実で罪の宣告された人のすがすがしい顔付きをし、従容と刑についたのだ。だがなぜこの私を慰めようとするのか。なぜ、自分たちは人生を愛していた。命を投げ出すのは辛かったと、最後に私にいってくれなかったのか。君たちはもう少し手厳しくしても良かったのだし、何よりも正しくあるべきだったのだ。君たちには、人を欺いて慰めるような権利は多分なかったのだ。女性に対してさえそうだったのだ。この嘘が、十年もたたぬ内に、また百万の青年を殺しかねないことになるのだ。」
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慟哭の斬鬼。真の反戦のことば。
自己欺瞞 p81〜
「私はいわゆる健気な手紙をたくさん読んだ。それらは確かにある意味健気なものだった。その内の幾通かはごく親しい若い友人から来たものだった。彼らは皆、殺されてしまったか、あるいはそれに近い体験をしていた。私は彼らの手紙をすぐ焼き捨て、返事を出さなかった。なぜなら、もし出すとすれば、次のようにいわねばならなかったろう。「君たちは戦闘の真只中から、また、目前に戦闘をひかえながら手紙をくれた。だが私の見るところ、君たちはいさぎよく戦死することを願っているようだ。私はそんなことは望んでいない。それは余りに美しすぎる。私はシーザーでは断じてない。君たちの行為に決して慰められることのない悲しい人間なのだ。否、否。私は君たちが苦い盃を唇から離さず、苦いままに飲みほしてくれたらと思うのだ。それは実際に君たちが苦い盃を飲んだではないか。私をだますことはできない。旧師はだませないものだ。君たちは多少シニックになっていたかもしれない。そうなる権利はあるとしても、随分高くついたものだと思う。要するに君たちは強制されたのだ。この点をまず考えることから始めるか、さもなくければ何も考えないのがよい。強制された義務とは一体なんだろう。戦争と道徳のごたまぜは一体なんだろう。ひどいごたまぜだ。君たちは強制されたのだ。三文の価値もない一兵卒として強制されたのだ。従わなければ死刑だったのだ。塹壕に無理矢理連れてこられたようなものだ。突撃の瞬間に、兵士たちが将校を掩蓋に立たせ、「先に進め」といった話を聞いたことがある。もちろん君たちはそんなことを期待はしなかった。それはそれで結構だ。君たちは運命に先駆けて走り、力の限りをつくし、無実で罪の宣告された人のすがすがしい顔付きをし、従容と刑についたのだ。だがなぜこの私を慰めようとするのか。なぜ、自分たちは人生を愛していた。命を投げ出すのは辛かったと、最後に私にいってくれなかったのか。君たちはもう少し手厳しくしても良かったのだし、何よりも正しくあるべきだったのだ。君たちには、人を欺いて慰めるような権利は多分なかったのだ。女性に対してさえそうだったのだ。この嘘が、十年もたたぬ内に、また百万の青年を殺しかねないことになるのだ。」
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慟哭の斬鬼。真の反戦のことば。
posted by Fukutake at 13:45| 日記