2021年10月06日

明治日本から見た西洋事情

「日本の心」 小泉八雲 平川祐弘編 講談社学術文庫

永遠に女性的なるもの より p33〜

 「「先生、イギリスの小説にはなぜあんなに恋愛や結婚のことがしょっちゅう出て来るのですか、そのわけを教えて下さい−−私たちには奇想天外のことに思えます」

 この質問が発せられたのは、私の受け持っている文学のクラスにおいてであった −−生徒は十九歳から二十歳までの男子ばかりである。ジェヴォンズの論理学とかジェームズの心理学とかは十分理解できるのに、ある標準的な小説の何章かが理解できなかったので、私はその理由を生徒たちに説明しようとしていたのである。そのような情況のもので、これは簡単に答えられるような質問ではなかった。実際、もう日本に住んで数年という経験が私になかったら、満足のいく答えは覚束ないことだったろう。私としては出来るだけ明晰簡潔な解答を心がけはしたものの、説明はたっぷり二時間以上もかかる始末であった。

 われわれの社会を描いた小説で、日本の学生が本当に理解できるものはまずないと言っていい。理由は単純である。イギリスの社会は、日本の学生の正確な理解を全く超えているからである。実際、何もイギリス社会に限らず、広い西洋の生活全般が、日本人には謎なのでる。親に対する孝行が道徳の基盤になっていないような社会、子供が自分の家庭を築くために親のもとから離れていくような社会、自分を生んでくれた人よりも妻や子を愛することの方が、自然であり当然でもあると考えられているような社会、結婚が親の意志とは無関係に、当人同士の気持ちだけで決められるような社会、姑が嫁の従順な奉仕を当然のものとして受けられないような社会 −−このような社会は必然的に日本人の眼に、空飛ぶ鳥、野に棲む獣とほとんど変わらない生活状態、よく言ってもせいぜい一種の道徳的無秩序としか映らないのである。われわれの通俗小説に反映されているこのような生活は、すべて日本人には神経を逆撫でされるような謎なのである。われわれが恋愛について持っている考え方も、結婚について色々思い悩むのも日本人には得心がいかないところである。日本の若者にとっては、結婚は当然の務め以外の何ものでもない。しかるべき時が来てそれを果たさなければならなくなれば、必要な取り決めの一切は親がやってくれると心得ている。外国人が結婚に際してあんなに大騒ぎをするのも分からないことだが、日本人がそれ以上に理解に苦しむのは、れっきとした詩人や作家がそういうものを題材とした作品を書くこと、しかもそれらの詩や小説が広く賞賛をかちえているということである −−これが日本人には「奇想天外のこと」なのである。」

奇想天外=「みだら」なこと

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明治は遠くなりにけり。

posted by Fukutake at 11:54| 日記

御先祖

「柳田國男全集 13」 ちくま文庫

先祖の話 p158〜

 「御先祖様になるという言葉には、二つのややちがった意味があると言っておいたが、煎じ詰めてみれば二つとも、盆にこうして還って来て、ゆっくりと遊んで行く家を持つように、という意味であることは同じであった。以前はあるいは正月と二度、もしくは春秋の彼岸の中日その他、別に定まった日があったように私は考えるのだが、その点はどうきまろうとも、とにかくに毎年少なくとも一回、戻って来て子孫後裔の誰彼と、共に暮し得られるのが御先祖であった。死後にはなんらの存在もないものと、考えている人々は言うに及ばず、そうでなくともそんな事は当てにならぬと、疑っている者にもこれは重要な話ではないだろうが、我々の同胞国民は、いつの世からともなくこれを信じ、また今でもそう思っている人々が相当の数なのである。この信仰の一つの強味は、新たにだれからも説かれ教えられたのではなく、小さい頃からの自然の体験として、父母や祖父母とともにそれを感じて来た点で、若い頃にはしばらく半信半疑の間にあったものでも、年を取って後々のことを考えるようになると、たいていは自分の小さい頃に、見たり聴いたりしていた前の人の話を憶い出して、かなり心強い気持ちになってこれを当てにするようになるのみか、家の中でもそれを受け合うべく、毎年の行事をたゆみなく続けて、もとはその希望を打ち消そうとするような、態度に出づる者は一人もなかった。すなわちこの信仰は人の生涯を通じて、家の中において養われて来たのである。証拠がないというようなことを、考えてみる折はちっともなかったという以上に、むしろその信仰に基いて、新たに数々の証拠を見たのである。

 誰でも自分の郷里だけの、珍しい例だと思っている一つの言い伝えが、北は秋田県の八郎湖畔から、南は鹿児島の一つの離れ島まで、十数箇所の土地に分布していることを知って、私などは喫驚(びっくり)したことである。昔よく稼ぐ若い夫婦者が、盆にも休まず畠に出て働いていると、路を通る話し声だけは聴こえて、その話をする人の姿は見えない。せっかくこうして戻って来たのに、何の支度もしていなかった。あんまり腹が立つから突き落として来たと言っている。はっと思って胸騒ぎがして、急いて飛んで帰って来てみると、小さい子が炉に落ちて怪我をしていたという話、たったこれだけのことであり、また持ってあるく者もあるまいと思うような話だが、それでもこういう言葉にはっと思い当たる人が、至る処にいたということは判るのであった。…」


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お盆の風習は今の時代でもなかなかなくならない。

posted by Fukutake at 11:50| 日記