「人生の知恵 −省察と箴言」 ラ・ロシュフコー 吉川浩(訳) 角川文庫
(一六五八年、著者四十五歳の時に書かれた。当時の文芸サロンに流行した人物風刺や個性的特徴を機知に富んだ筆致で描写している)
人間についての箴言集 p15〜
「1 われわれが美徳と思い込んでいるものは、じつは、さまざまの利害の寄せあつめにすぎぬ。運か、われわれの策略が、そのどちらかが、うまい具合に美徳に仕立て上げた場合が多いのだ。したがって、男が勇敢で、女が貞淑なのも、あながち勇気と貞淑のせいだけではない。
2 自己愛は、あらゆるおべっか使いの、最もしたたか者だ。
3 自己愛の領土で、たとえいかなる発見があったとしても、まだまだ、そこには知られざる土地が残っている。
4 自己愛は、この世で最も油断ならぬ人間より、もっと油断がならぬ。
5 われわれの情念の長短は、寿命の長短と同じである。われわれの力ではどうしようもない。
6 情熱は、しばしば、最も抜け目のない人を間抜けにするし、また、最も間抜けな人を抜け目なくもする。
7 目も眩むような偉大で華々しい、こういう行為は、雄大なる計画に基づいて生まれた、と政治家は言い立てる。だが、そんなものは、ふつう、気まぐれや情念のなせる業である。だから、アウグストゥスとアントニウスとの戦いも、互いが世界の覇者たらんとした大望のゆえとされてはいるものの、そのじつは、嫉妬のなせる業だっかもしれない。
8 情熱は、必ず相手を説き伏せずにはおかぬ、唯一の雄弁家である。自然の営みにも似て、この掟に狂いはない。どんなに芸のない人でも、情熱を抱けば、情熱なき最高の雄弁家に勝るのだ。
9 情熱には、なんらかの不正があり、それなりの利害も働いている。これについてゆくのは危険である。いかにその情熱が理に適って見えようと、気を許してはならぬ。
10 人間の心には、果てしなき情念の生成が続く。だから、一つの情念の消滅は、まずたいてい、別の情念の確立を意味する。
11 情念は、しばしば、それとは反対の情念を生み出す。ときには、吝嗇が浪費を生み、浪費が吝嗇を生む。人は、しばしば、弱さによって強く、臆病によって大胆だ。
12 情念に、敬虔や貞節というヴェールをかけて、いかに気をつけて隠していても、それを必ず透けて見えるものだ。
13 われわれの自尊心は、意見を否定されたときより、見識を否定された時の方が、ひどく痛む。
14 人間は、他人から受けた恩恵や侮辱を忘れてしまうだけではない。恩を受けた相手を憎むことさえあるし、侮辱を受けた相手を憎まなくなったりもする。恩に報い、仇を返そうとつねづね心掛けるのは、人間にとってどうも耐えがたい束縛なのだ。
15 王侯の慈悲は、とかく、民の心を得んがための政策にすぎぬ。…」
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一片の真理はある。
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