「方法序説」 デカルト著 落合太郎訳 岩波文庫
冒頭 p12〜
「良識(ボンサンス、bon sense)はこの世のもので最も公平に配分されている。なぜかというに、だれにしてもこれを十分にそなえているつもりであるし、ひどく気むずかしく、他のいかなる事にも満足せぬ人人でさえ、すでに持っている以上にはこれを持とうと思わぬのが一般である。このことで人人がみなまちがっているというのはほんとうらしくない。このことはかえって適切にも、良識あるいは理性(レゾン、raison)とよばれ、真実と虚偽とを見わけて正しく判断する力が、人人すべて生まれながら平等であることを証明する。そこでまたこのことが、私どもの意見の多様なのはある者が他の者よりよけいに理性を具えたところからくるのではなく、私どもが思想を色色とちがった道でみちびくところから、同じような事を考えるわけでもないところからくるのである。そもそも良き精神を持つだけではまだ不完全であって、良き精神を正しく働かせることが大切である。きわめて偉大な人人には最大の不徳をも最大の徳と全く同様におこないうる力がある。また、ごくゆっくりでなければ歩かぬ人でも、つねに正しい道をたどるならば、駆けあるく人や正しい道から遠ざかる人よりも、はるかによく前進しうるのである。」
DESCARTES “DISCOUSE ON METHOD AND THE MEDITATIONS”
「Good sense is the most evenly shared thing in the world, for each of us thinks he is so well endowed with it that even those who are the hardest to please in all other respects are not in the habit of wanting more than they have. It is unlikely that everyone is mistaken in this. It indicates rather that the capacity to judge correctly and to distinguish the true from the false, which is properly what one calls common sense or raison, is naturally equal in all men, and consequently that the diversity of our opinions does not spring from some of us being more able to reason than others, but only from our conducting our thoughts along different lines and not examining the same things. For it is not enough to have a good mind, rather the main thing is to apply it well. The greatest souls are capable of the greatest vices as well as if the greatest virtues, and those who go forward only very slowly can progress much further if they always keep to the right path, than those who run and wander off it.」(Penguin Classics)
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誰もこれ以上いらないと言うもの。良識。
大人の対応
「徒然草 第二百六段」
「亡くなられた徳大寺大臣殿(藤原公孝)が検非違使の長官をしておられた時、邸宅の中門の廊で、検非違使庁関係の会議を行われた時に、官人中原章兼の牛車の牛が車からはなれて会議場の中へ入って来て、長官の座席の浜床*の上に登って、むにゃむにゃと反芻しながら寝そべっていた。これは重大な不祥事だというので、この牛を陰陽師の許へ送り届けて占わせる要があるということを、役人たちが口々に申し上げたのを、長官の父の太政大臣(藤原実基)がお聞きになって、「牛に善悪を判断する能力はない。足がある以上どこだって登らないことがあろうか。微禄の官人が偶然こんなことがあったからといって、出仕のための牛を取り上げなさってよいという法はない。」と言って、その牛を持ち主に返し、牛が寝そべっていた畳を取り替えておしまいになった。それで、不吉なことは全然怒らなかったということである。「怪異なる現象を見ても、それを怪しむことをしなければ、怪異は成り立たなくなる」と言ってある。」
(原文)
「徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれる程に、官人章兼が牛放えて、庁の内に入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いずくへか登らざらん。尫弱*の官人、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなし」とて、牛を主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかえりて破る」と言へり。」
浜床* 貴人の後座所。畳をしく。
尫弱* (おうじゃく)つまらないもの
訳文:イラスト古典全訳徒然草 橋下武 日栄社
原文:岩波文庫 新訂 徒然草
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つまらぬことにオタオタするな。
「亡くなられた徳大寺大臣殿(藤原公孝)が検非違使の長官をしておられた時、邸宅の中門の廊で、検非違使庁関係の会議を行われた時に、官人中原章兼の牛車の牛が車からはなれて会議場の中へ入って来て、長官の座席の浜床*の上に登って、むにゃむにゃと反芻しながら寝そべっていた。これは重大な不祥事だというので、この牛を陰陽師の許へ送り届けて占わせる要があるということを、役人たちが口々に申し上げたのを、長官の父の太政大臣(藤原実基)がお聞きになって、「牛に善悪を判断する能力はない。足がある以上どこだって登らないことがあろうか。微禄の官人が偶然こんなことがあったからといって、出仕のための牛を取り上げなさってよいという法はない。」と言って、その牛を持ち主に返し、牛が寝そべっていた畳を取り替えておしまいになった。それで、不吉なことは全然怒らなかったということである。「怪異なる現象を見ても、それを怪しむことをしなければ、怪異は成り立たなくなる」と言ってある。」
(原文)
「徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定行はれる程に、官人章兼が牛放えて、庁の内に入りて、大理の座の浜床の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いずくへか登らざらん。尫弱*の官人、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなし」とて、牛を主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかえりて破る」と言へり。」
浜床* 貴人の後座所。畳をしく。
尫弱* (おうじゃく)つまらないもの
訳文:イラスト古典全訳徒然草 橋下武 日栄社
原文:岩波文庫 新訂 徒然草
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つまらぬことにオタオタするな。
posted by Fukutake at 08:20| 日記