2021年10月22日

筑前藩主黒田公

「福翁自伝」 福沢諭吉 著 富田正文 校訂 岩波文庫

緒方洪庵 黒田公の原書を写す p89〜

 「筑前の国主黒田美濃守という大名は、今の華族黒田のお祖父さんで、緒方洪庵先生は黒田家に出入りして、勿論筑前に行くでもなければ江戸に行くでもない、ただ大阪に居ながら黒田家の御出入医といことであった。…ある歳安政三年か四年と思う。筑前公が大阪通行になるというので、先生は例のごとく中ノ島の屋敷に行って、帰宅早々私を呼ぶから、何事かと思って行ってみると、先生が一冊の原書を出して見せて「今日筑前屋敷に行ったら、こういう原書が黒田候の手に入ったといって見せてくれたから、一寸と借りて来た」と言う。これを見ればワンダーベルトという原書で、最新の英書をオランダに翻訳した物理書で、書中は誠に新しいことばかり。就中(なかんずく)エレキトルのことが如何にも詳らかに書いてあるように見える。私などが大阪で電気のことを知ったというのは、ただ纔(わずか)にオランダの学校読本の中にチラホラ論じてあるより以上は知らなかった。ところがこの新舶来の物理書は、英国の大家ファラデーの電気説を土台にして、電池の構造法などがちゃんと出来て居るから、新奇とも何ともただ驚くばかりで、一見直ちに魂を奪われた。それから私は先生に向かって「これは誠に珍しい原書でございますが、何時まで拝借していることが出来ましょうか」と言うと、「左様さ。何れ黒田候は二晩とやら大阪に泊まるという。御出立になるまでは、あちらに入用もあるまい」「左様でございますか。一寸と塾の者にも見せとうございます」と言って、塾へ持って来て「如何(どう)だ、この原書は」と言ったら、塾中の書生は雲霞の如く集って一冊の本を見ているから、私は二、三の先輩生と相談して、何でもこの本を写して取ろうということに一決して、「この原書をただ見たって何の役にも立たぬ。見ることは止めにして、サア写すのだ。しかし千頁もある大部の書をみな写すことは迚(とて)も出来られないから、末段のエレキトルのところだけ写そう。一同筆紙墨の用意して総掛りだ」といったところで、ここに一つ困ることには、大切な黒田様の蔵書を毀すことは出来ない。毀して手分(てわけ)て遣れば、三十人も五十人もいるから瞬く間に出来てしまうが、それは出来ない。けれども緒方の書生は原書の写本に慣れて妙を得ているから、一人が原書を読むと一人はこれを耳に聞いて写すことが出来る。ソコデ一人は読む、一人は写すとして、写すものが少し疲れて筆が鈍って来ると直ぐに外の者が交代して、その疲れた者は朝でも昼でも直ぐ寝ると、こういう仕組にして、昼夜の別なく、飯を食う間も煙草をのむ間も休まず、一寸とも暇なしに、およそ二夜三日の間に、エレキトルのところは申すに及ばず、図も写して読み合わせまでして出来てしまって、紙数はおよそ百五、六十枚もあったと思う。ソコデ出来ることなら外のところも写したいと言ったが時日が許さない。マアマアこれだけでも写したのは有り難いというばかりで、先生の黒田候はこの一冊を八十両で買い取られた聞いて、貧書生らはただ驚くのみ。固より自分に買うという野心も起こりはしない。いよいよ今夕、候の御出立と定まり、私共はその原書を撫でくりまわし誠に親に暇乞いをするよう別れを惜しんで還したことがございました。それから後は、塾中にエレキトルの説が全く面目を新たにして、当時の日本国中最上の点に達していたと申して憚りません。私などが今日でも電気の話を聞いておよそその方角のわかるのは、全く写本の御蔭である。誠に因縁のある珍しい原書だから、その後たびたび今日の黒田候の方へ、ひょっとしてあの原書はなかろうかと問い合わせましたが、彼方でも混雑の際であったから如何なったか見当たらぬという。惜しいことでございます。」

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当時の向学心、推して知るべし。

posted by Fukutake at 08:13| 日記

2021年10月20日

「大鏡」冒頭

「大鏡」 全現代語訳 保坂弘司 講談社学術文庫 

京の紫野の雲林院(うりんいん)の菩提講に参詣した大宅世継という百九十歳の老翁が、偶然出逢った昔なじみの百八十歳の夏山繁樹が、雲林院に説教に集まった善男善女の前で、昔話をする。

p38〜

 「せんだって、私が雲林院の菩提講に参詣しましたところ、普通の人よりはひどく年とって、異様な感じのする老人が二人と、それに老女とが、説教の席で偶然出逢って、同じ場所に坐っていました。じつにまあ、揃いも揃って同じように、超高齢の老人たちだなあと、驚きの目で見ていますと、この老人たちは、笑いながら顔を見合わせて、さてその一人の世継の翁がいうには、

「久しい以前から、昔馴染みの人にお逢いして、どうかして、自分が今まで、世の中で見たり聞いたりしてきた色々な出来事を話し合いたい、またちょうど全盛の現在の入道殿下道長公*のご様子も語り合いたいものだ、と思っていましたのに、まったくまあ、今日は望みどおり、あなたがたにお逢いいたして、hんとうにうれしいですなあ。もうこれで、年来の望みも達しらたれたので、今は思い残すこともなく、冥途へも参れます。胸のうちに思っていることをいわないでいるのは、まったく、諺にもいうように、腹が張っているような重苦しい気持ちになるものですね、それですから、昔の人は何かいいたくなってくると、土に穴を掘っては、そこに思うことをいって埋め、それで気を晴らしたとかいうことですが、なるほどと思われます。それにしても、ここでお会いできたとは、ほんとうにうれしいことですなあ。ところで、あなたはおいくつにおなりでしたか」
といいますと、もう一人の老人の繁樹が、

「さあ、いくつということは、いっこうに覚えておりません。ですが、私は、亡くなった忠平太政大臣貞信公*が、まだ蔵人少将*と申しておられた時分の、小舎人童*(ことねりわらわ)を勤めておりました大犬丸という者ですよ。あなたは、たしか、その御代ー 宇多天皇の皇太后宮さまの召使いで、大宅世継(おおやけのよつぎ)と申したお方でいらっしゃっいましたなあ。そうしますと、あなたのお年は私よりはずっと上でいらっしゃるでしょうよ。私がまだほんの子供でしたとき、あなたはもう二十五、六歳ほどの男ざかりでおいででした」
と、いいますと、世継の翁が、
「そうそう、そういうことでしたね。ところで、あなたのお名前はなんとおっしゃいましたかな」とたずねます。すると、相手の老人が、
「私が、忠平太政大臣殿のお邸で元服いたしましたとき、貞信公が、『お前の姓はなんと申すか』とおっしゃいましたので、、『夏山(なつやま)と申します』とお答えしましたところ、即座に、夏山にちなんで、私の名を繁樹(しげき)とおつけくださったのでした」
などというので、聞いている私は、あまりにも遠い昔ばなしに、すっかり驚きあきれてしまいました。」

入道殿下* 藤原道長、殿下は摂政、関白の称。
太政大臣貞信公* 藤原忠平
蔵人少将* 近衛少将で、蔵人を兼ねた人
小舎人童* 近衛中将または少将が召し使う少年。

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posted by Fukutake at 08:17| 日記

2021年10月19日

日本の微笑

「新編 日本の面影」 ラフカディオ・ハーン 池田雅之=訳 角川ソフィア文庫

 日本人の微笑(2) p309〜

 「日本人の微笑を理解するには、昔ながらの、あるがままの、日本の庶民の生活に立ち入る必要がある。西洋かぶれの上流階級からは、なにも学び取ることはできない。

 民族的な感情や感情表現の面で、西洋と極東とに見られる、明らかな相違の意味を探るには、常に変化に富んだ、あるがままの庶民の生活に目をむけなければならない。生にも愛にも、また死に対してすらも微笑を向ける、あの穏やかで親切な、暖かい心を持った人たちとなら、ささいな日常の事柄についても、気持ちを通じ合う喜びを味わうことができる。そうした親しみと共感を持つことができたなら、日本人の微笑の秘密を理解することができるのである。

 日本の子供なら、生まれながらに備わっている、微笑を生む暖かい心根は、家庭救育のすべての全期間を通して養われる。しかもそのやり方は、庭木を自然な勢いに乗じて育てるのと、同じ絶妙さで行われる。微笑は、お辞儀や、手をついてする丁寧なお辞儀と同じように教えられる。それは、目上の人に挨拶をしたあと、喜びのしるしに、小さく音をたてて息を吸い込む作法のように、あらゆる昔流儀の入念で美しい作法のひとつとして教えられる。声をたてて大きく笑うのが勧められないのは、わかりきっている。反対に、微笑しているのであれば、愉快な場面ではいつでも、目上の人を相手にする場合だろうと、同輩相手だろうと大丈夫だし、不愉快な場面でさえ、可能である。微笑は、教養のひとつなのである。

 相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑(ほほえみ)を向けるのがしきたりである。そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。
 反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をかけたり、苦しみをもたらしたりするからである。さらに愚かなことには、自分に好意的でない人々の、意地悪な気持ちをかき立ててしまうことだって、ありうるからである。…」

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微笑みは義務。

posted by Fukutake at 13:57| 日記