「フロイスのみた戦国日本」 川崎桃太 中公文庫2006年
安土城を訪れる p60〜
「五機内を制覇した信長は「天下人」の位と称号を手に入れた。東西の敵と休む暇もなく死闘を繰り返してきた末の勝利である。それらはいずれも運命に支えられたと思わせるものばかりであった。殿にはデウスが味方しておられる、時おり伴天連がそういうのを信長は半信半疑で聞いていた。しかし、過ぐる日の不敵な行動を振り返れば、そんな加護があったようにも思えてくるのだった。
天下を取った信長は、都に近い安土を戦略と経済の要衝と定め、それまで誰も考えたこともなかったような、新奇で豪華な居城を構えることにした。安土山の頂上に天守閣を築き、豪華な館と御殿を配し、麓から山腹までを家臣団の屋敷で固めた。入口と上部に監視所を置き、高い石垣に囲まれたそれらの屋敷は、それ自体が手ごろな城をなしており、山全体が城塞として機能するよう考案されていた。
安土山は、今もそこを訪れる者を過去の夢に誘ってくれる。信長時代の安土山は、湖の水が入江となって麓を取り巻いていた、と記述にはある。もしそうだとすれば、当時湖面をなしていた相当量の面積が、今では干拓地に変わったことになる。狭い西側の入口から石段を登り、樹木に覆われた小路をしばらく行くと、突如、周囲を圧するように、巨大な石の城壁が右手に現れる。その豪奢な七層の天守閣が聳えていたとされる跡地がその先にある。
干からびた固い土に覆われた高台の一角に立てば、美しい湖水が望見される。信長も塔の外廊からこの眺めを楽しんだことだろう。信長は四年の歳月を掛けてここに城を完成させた。すべての工事が終わったのは一五七九年(天正七年)*のことであった。現在では模型を通してその輪郭は知られてきたものの、天守閣を含めた城の全貌を正確に伝えることのできる者は誰もいない。そうなると、信長に招かれて城をつぶさに観察したフロイスこそ、安土城を後世に伝える上での最高の適任者といえるだろう。
信長は、中央の山の頂に宮殿と城を築いたが、その構造と堅固さ、財宝と華麗において、それらはヨーロッパのもっとも壮大な城に比肩し得るものである。(中略)塔は七層からなり、内部、外部とも驚くほど見事な建設技術によって造営された。事実、内部にあっては、四方の壁に鮮やかに描かれた金色、その他色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている、外部では、これら(七層)の層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは(中略)黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、(中略)他のあるものは赤く、あるものは青く塗られており、最上層はすべて金色となっている。この天守は(中略)堅牢で華美な瓦で掩われている。(フロイス『日本史』)
フロイスの眼が捉えた安土城の記述はこのほかにもある。それによると、山頂の建設現場に引き揚げるのに、四、五千人を要したほどの大きな石もあったという。ある時など、石が滑り出して百五十人の引き手がその下敷きとなって死んだと書かれてる。
「この城の一つの側に廊下で互いに続いた、自分の邸とは別の宮殿を造営した」との証言もある。
最近、地元で進められている大規模な調査の結果、あの七層の天守が、廊下伝いに他の宮殿に繋がっていたことが確かめられた。その宮殿は、御所の清涼殿に肖(あやか)って造営された御殿であることも疑いないようである。」
*本能寺の変は、一五八二年(天正十年)
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2021年10月27日
フロイスの見た安土城
posted by Fukutake at 10:25| 日記
2021年10月26日
自分の悪を避け得ない
「自省録」 マルクス・アウレーリウス 神谷恵美子訳 岩波文庫
p119〜
「六八
たとえ万人が君に抗して勝手なことを叫ぼうとも、たとえ野獣どもが君のまわりに厚く蓄積した捏(ひね)り物(すなわち肉体)の四肢を八つ裂きにしようとも、なんの強制を受けることなく、喜びに満ちた心で生涯をすごせ。すべてかかる苦境において自分の心を平静に保ち、周囲の物事に関して正しい判断を持ち、遭遇するものをつねによく利用するだけの心がまえをしておくのになんの差支えがあろうか。こうしておけば自分の出くわす物事にたいして判断力はつぎのごとくいえるはずである。「たとえ一般の人の意見はちがったもののようであっても、本質においてはこれなのである」と。また物事を利用する能力は自分に起こった事柄に向ってつぎのごとく言えるはずである。「私は汝を求めていた。なぜなら私にとって現在与えられているものはつねに理性的および社会的な徳を発揮するための材料であって、一言にしていえば人間または神のわざに用うべき素材なのである」と。まことにすべて生起する事柄は神または人間に関係の深いもので、新しくもなければ扱い難くもなく、親しみ深く処理しやすいものである。
六九
完全な人格の特徴は、毎日をあたかもそれが自分の最後の日であるかのごとくすごし、動揺もなく麻痺もなく偽善もないことにある。
七〇
不死なる神々は、こんなに長い間こんな人間ども、それもこんなに大ぜいのやくざな人間どもを絶えず我慢しなくてはならないことを不快に思ってはいられない。それのみか、種々さまざまのやりかたで人間どもの世話を焼いて下さる。ところが君ときたら、もうすぐ死ぬくせに、参ってしまうのか。しかも君自身そのやくざな人間の一人でありながら?
七一
笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。
七二
我々の理性的および社会的能力が理性的とも社会的とも認めぬものは、自分よりも低いものであると判断して充分根拠のあることだ。
七三
君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをしたときに、なぜ君は馬鹿者どものごとく、そのほかにまだ第三のものを求め、善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。
七四
なんぴとも利益を受けることに倦み疲れはしない。しかるに自然にかなった行為こそ有益なのである。ゆえに人を益することによって自分の身をも益することに倦むな。
七五
「全体」の自然は自己の衝動によって宇宙の創造に向った。ところが現在は、すべての出来事は因果律に従って生ずるか、もしくはすべて非合理的であって、宇宙の指導理性が自己の固有の衝動を向けるもっとも重大なことでさえも例外ではない。多くの場合においてこのことを思い起こせば君ももっと平静になるだろう。」
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「本書の原題「自分自身に」の示すとおり元来ひとに読ませるつもりで書いたものではない。」訳者
自分自身に向っての手記であった。
p119〜
「六八
たとえ万人が君に抗して勝手なことを叫ぼうとも、たとえ野獣どもが君のまわりに厚く蓄積した捏(ひね)り物(すなわち肉体)の四肢を八つ裂きにしようとも、なんの強制を受けることなく、喜びに満ちた心で生涯をすごせ。すべてかかる苦境において自分の心を平静に保ち、周囲の物事に関して正しい判断を持ち、遭遇するものをつねによく利用するだけの心がまえをしておくのになんの差支えがあろうか。こうしておけば自分の出くわす物事にたいして判断力はつぎのごとくいえるはずである。「たとえ一般の人の意見はちがったもののようであっても、本質においてはこれなのである」と。また物事を利用する能力は自分に起こった事柄に向ってつぎのごとく言えるはずである。「私は汝を求めていた。なぜなら私にとって現在与えられているものはつねに理性的および社会的な徳を発揮するための材料であって、一言にしていえば人間または神のわざに用うべき素材なのである」と。まことにすべて生起する事柄は神または人間に関係の深いもので、新しくもなければ扱い難くもなく、親しみ深く処理しやすいものである。
六九
完全な人格の特徴は、毎日をあたかもそれが自分の最後の日であるかのごとくすごし、動揺もなく麻痺もなく偽善もないことにある。
七〇
不死なる神々は、こんなに長い間こんな人間ども、それもこんなに大ぜいのやくざな人間どもを絶えず我慢しなくてはならないことを不快に思ってはいられない。それのみか、種々さまざまのやりかたで人間どもの世話を焼いて下さる。ところが君ときたら、もうすぐ死ぬくせに、参ってしまうのか。しかも君自身そのやくざな人間の一人でありながら?
七一
笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。
七二
我々の理性的および社会的能力が理性的とも社会的とも認めぬものは、自分よりも低いものであると判断して充分根拠のあることだ。
七三
君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをしたときに、なぜ君は馬鹿者どものごとく、そのほかにまだ第三のものを求め、善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。
七四
なんぴとも利益を受けることに倦み疲れはしない。しかるに自然にかなった行為こそ有益なのである。ゆえに人を益することによって自分の身をも益することに倦むな。
七五
「全体」の自然は自己の衝動によって宇宙の創造に向った。ところが現在は、すべての出来事は因果律に従って生ずるか、もしくはすべて非合理的であって、宇宙の指導理性が自己の固有の衝動を向けるもっとも重大なことでさえも例外ではない。多くの場合においてこのことを思い起こせば君ももっと平静になるだろう。」
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「本書の原題「自分自身に」の示すとおり元来ひとに読ませるつもりで書いたものではない。」訳者
自分自身に向っての手記であった。
posted by Fukutake at 08:17| 日記
死せる不滅の天皇制
「決定版 三島由紀夫全集 37」 月報より
思想の航海術 「失われた王国へ」抄出 田中美代子 p5〜
「…昭和二十年八月十五日。この日を境に、私たちは全く異質な不可解な世界に堕ち込んだ。しかしそんな気象学的体験に、人々はたちまち適応する。ただ、ある少数のみが、鋭くこれを感受し、歴史の証言者となるのである。
これまで現人神の存在を、自明のものとして受け容れてきた民族にとって、「天皇の人言宣言」がいかに奇態な体験であったか。それは、近代日本の精神史を二分した決定的な事件であり、昭和を<二十年でプッツリ>切断する一瞬だったのだ。以来、日本には、戦後世代という別の人種が生まれたのだ、といってもいい。
現場に居合わせた人々には、風景がにわかに暗転したかのようであり、…深海から引き上げられた魚が、みるみる変色し、目はとび出して息絶える異様な有様に立ち会う心持ちだったのかもしれない。
…
三島は、「天皇の人間宣言」による日本人のこうした魂の激震に焦点をあて、二・二六事件三部作をはじめとする数々の作品によってこの問題を追求しなければならなかった。彼はひたすら”平和日本”から消え失せた魂の行方を追っていたのである。
…
では、この不可思議な「死せる不滅の天皇制」とは、一体どんな構造を秘めているのだろう。そして死せる神聖は、今日どのように恢復可能だろうか?
…
いずれにせよ三島由紀夫は、根こそぎされた日本人の魂の蘇生という”不可能な使命(ミッション・インポッシブル)”を帯びて、その理論武装に渾身の力を傾けようとした。
彼はまず<日本における唯一の革命原理は天皇にしかない>と人々の意表をついた、大胆な定言を掲げる。なぜなら天皇制は、もともとザインとゾルレンの、即ち人と神との二重構造を持つ神学だからだ。
<この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは歴史と伝統によって存続し得るし、又その観念的、連続的、理想的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと私は考へる。そして現在われわれの前にあるのはゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になる得るといふことを主張してゐるのである。そこで私はその観念的、空想的あるひは理想的な天皇を文化的天皇と名づけ、これの護持を私の政治理念の中核に置いてゐるのである>(「砂漠の住民への論理的弔辞ー討論を終へて」)
しかし人々は当然のことに、この耳新しい二元論を理解しなかった。大方の予想通り、ワッとばかりに押し寄せたのは、政治的諸勢力だった。天皇制と軍隊、…権力にとってこれほどの好餌があるだろうか。
昭和四十五年、ライフ・ワークの最終巻「天人五衰」がにわかに短縮され、あれほど傷ましい大円団に到ったのは何故か?
実際、敵も味方も、この時、「地上の天皇制」をしか、見てはいなかったのである。」(文芸評論家)
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思想の航海術 「失われた王国へ」抄出 田中美代子 p5〜
「…昭和二十年八月十五日。この日を境に、私たちは全く異質な不可解な世界に堕ち込んだ。しかしそんな気象学的体験に、人々はたちまち適応する。ただ、ある少数のみが、鋭くこれを感受し、歴史の証言者となるのである。
これまで現人神の存在を、自明のものとして受け容れてきた民族にとって、「天皇の人言宣言」がいかに奇態な体験であったか。それは、近代日本の精神史を二分した決定的な事件であり、昭和を<二十年でプッツリ>切断する一瞬だったのだ。以来、日本には、戦後世代という別の人種が生まれたのだ、といってもいい。
現場に居合わせた人々には、風景がにわかに暗転したかのようであり、…深海から引き上げられた魚が、みるみる変色し、目はとび出して息絶える異様な有様に立ち会う心持ちだったのかもしれない。
…
三島は、「天皇の人間宣言」による日本人のこうした魂の激震に焦点をあて、二・二六事件三部作をはじめとする数々の作品によってこの問題を追求しなければならなかった。彼はひたすら”平和日本”から消え失せた魂の行方を追っていたのである。
…
では、この不可思議な「死せる不滅の天皇制」とは、一体どんな構造を秘めているのだろう。そして死せる神聖は、今日どのように恢復可能だろうか?
…
いずれにせよ三島由紀夫は、根こそぎされた日本人の魂の蘇生という”不可能な使命(ミッション・インポッシブル)”を帯びて、その理論武装に渾身の力を傾けようとした。
彼はまず<日本における唯一の革命原理は天皇にしかない>と人々の意表をついた、大胆な定言を掲げる。なぜなら天皇制は、もともとザインとゾルレンの、即ち人と神との二重構造を持つ神学だからだ。
<この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは歴史と伝統によって存続し得るし、又その観念的、連続的、理想的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと私は考へる。そして現在われわれの前にあるのはゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になる得るといふことを主張してゐるのである。そこで私はその観念的、空想的あるひは理想的な天皇を文化的天皇と名づけ、これの護持を私の政治理念の中核に置いてゐるのである>(「砂漠の住民への論理的弔辞ー討論を終へて」)
しかし人々は当然のことに、この耳新しい二元論を理解しなかった。大方の予想通り、ワッとばかりに押し寄せたのは、政治的諸勢力だった。天皇制と軍隊、…権力にとってこれほどの好餌があるだろうか。
昭和四十五年、ライフ・ワークの最終巻「天人五衰」がにわかに短縮され、あれほど傷ましい大円団に到ったのは何故か?
実際、敵も味方も、この時、「地上の天皇制」をしか、見てはいなかったのである。」(文芸評論家)
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posted by Fukutake at 08:11| 日記