「論語の新研究」 宮崎市定 岩波書店
第三部 譯解篇 より P156〜
「自ら意譯を以て任ずるわたしの譯文に、敢えて新譯と名付けた理由は、私なりに新工夫を考案した點があると思うからである。先ず第一に一字一譯も主義を採らない。論語には徳目として仁、信、禮、また人格として君子、仁者などの言葉が繰返される。そこで例えば仁を人道主義、君子を紳士という風に現代語でおきかえれば、全篇を通じてそれで押し通せそうな氣がするが、實際にやってみると、それで仲々すっきり意味の通らぬ場合が多いのである。これは同じ言葉でも時と場合によって重さに軽重があり、ニュアンスが違い、言葉の意味の幅にも廣狭があるからである。更に同一語で善悪両様の響をもつもの、例えば秦・諒のような字さえある。秦は泰然とした君子の形容になるかと思えば、奢秦の意味にもある。諒(まこと)は友人として頼みになる美徳かと思えば、君子は諒(かたくな)ならず、ともある。そこで一字に數譯が生ずる一方、原文では異った文字を譯語の方は同じ言葉で譯すという場合も生ずる事を免れない。…
或いは更に進んで、飜譯の範囲を逸脱した結果になりはせぬかと、自ら危ぶむ程度まで自由譯した點があるかも知れない。日本文を英語譯する際に、和英辭書を引いただけでは不十分で、もう一度英和辭書を引いてみないと駄目なことは、我々未熟者にとっては常識であるが、私は論語なる古典を、現代の日本語に譯す際に、この原則がある程度通用するのではないかと考えた。つまり現代に日本人が斯く斯く言いたいことを、論語の文章に飜譯したらばどうなるであろうか、と考えたのである。論語の文章は相當豐富な表現力をもっていることは事實であるが、何といっても何千年も前の言葉である。單語の數もまだ少ない。少數の言葉をもって、千差萬別の具體的な事柄を言い表わそうとする時には、どうしても抽象的な言葉を使い、一様化された文體を用いることを餘儀なくされる。併しその言葉の奥には何かもっと具體的な事實があったに違いないと思われて仕方がない。論語は多く、子曰く、で始まっているが、これは決して孔子が教壇に立って、用意したノートを読みあげたのではなく、弟子たちに對して禮の作法を教え、詩を歌い、人物を評論し、弟子たちの質問を受けなどして、色々な場面の進行中に孔子が發した言葉を、弟子たちが其處だけを抽出して記録したのである。その前奏曲がなければ分からない所だけ、論語の中に書き込まれて殘っているが、本来は、子曰く、の前に其場其場の情景が書き残されるべき出会った。論語は決して孔子の一方的な教訓集ではなく、弟子たちと合作の對話篇であった筈である。そこで論語を理解するためには、それが具體的な事實としては如何なることを言おうとしているのかを一応考えて見るべきである。それには弟子たちに圍まれた孔子の其時の情況を復原できれば良いわけであるが、それは殆んど望まれない。
そこで孔子の立言から連想して、たとえ現代の言葉でこのように言いたいことを孔子の論語の言葉で何と言ったであろうか、という想像をめぐらした時に、案外孔子の真意を言いあてた譯語を発見できるのではなかろうか。もちろんこれには大きな危険が伴うが、これも譯文を真の現代語とするためには避けられぬ場合ができてくる。要するに古代から一方的に流れてくる思想をそのまま受けとめるだけでなく、現代の思想を過去に投影するのである。古代の言葉を現代語で解釋するばかりでなく、現代語を古代の言葉に飜譯する氣持ちで現代語譯を行おうというのである。」
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孔子の具体的経験事実の現代語訳
2021年09月28日
論語の背景を現代語訳で
posted by Fukutake at 07:54| 日記
論語 小林秀雄
「小林秀雄全集 第十一巻」− 近代繪畫 − 新潮社版 平成十三年
「論語」 p544〜
「「論語」に現れた思想は、封建的なイデオロギイであつて、現代に通用しないといふ今日誰でも言ふきまり文句は、根本的に未熟な考てから成り立つてゐる。なるほど、「論語」の思想は、西紀前六世紀の中國の思想に相違なく、當時の歴史的條件に規定されてゐる。しかし、この思想が、當時の人々を深く動かした現實の力といふものは、さういふ見地から充分に解明出来るかどうか疑つてみなくてはなるまい。或る物的現象は、その原因である外的條件を數へあげれば説明がつかうが、内的原因を隱し持つてゐる人間の思想を、同じ方法で説明しようとしたら、無理が生ずるであらう。孔子は、誰の口眞似をしたわけでもなく、誰から強制されたわけでもなく、自身の體験から、自由に新しい思想を工夫したのである。そして又、當時の人々が、彼の思想に動かされたのも、孔子といふ人間においてこのことを感得したが爲であらう。
この孔子の自由を、今日の私達も感得することが出来る。何によつて感得するか。古典に直接に接し得たとしか言ひやうのない經驗によつてである。「論語」といふ歴史的文獻を、知的に分析する者は、封建的イデオロギイといふ物的構造しか見ないが、「論語」といふ古典を直觀的に讀む者は、其處に構造の明らかなイデオロギイを見る代わりに、孔子の體得した自由の象徴的な姿を感ずるであらう。そして、孔子の思想を限定した歴史的條件なるものは、孔子が獨徳な思想を發明し、それを表現する爲に、止むなく採つた手段、とさへ逆に感ずるであらう。この感ずることが大切なのである。何故かといふと、ある鑄型に流し込まれた材料が、鑄型通りに固まるやうに、思想は、歴史的環境にしつくり合ふやうに産み出されるものではない。そんなことで、どうして思想は生きられようか。人々に働きかけれようか。環境が思想を作るのではない。環境に自由に反應する精神が思想を作るのである。古典を讀むとは、この精神の働きを、その強さなり、力なりを共感によつて取戻すことなのである。
「論語」の思想構造は、當時のあれこれの知識を、取り集め、巧みに合成したといふ風なものではない。曖昧で複雑で、見透しの利かぬものを持つてゐながら、全體としての統一は否定出来ぬ有機體のやうなものだ。自分の經驗に照らして感得しなければならぬものに滿ちてゐる。」
(「講座現代倫理」、昭和三十三年十一月)
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孔子が経験した思想
「論語」 p544〜
「「論語」に現れた思想は、封建的なイデオロギイであつて、現代に通用しないといふ今日誰でも言ふきまり文句は、根本的に未熟な考てから成り立つてゐる。なるほど、「論語」の思想は、西紀前六世紀の中國の思想に相違なく、當時の歴史的條件に規定されてゐる。しかし、この思想が、當時の人々を深く動かした現實の力といふものは、さういふ見地から充分に解明出来るかどうか疑つてみなくてはなるまい。或る物的現象は、その原因である外的條件を數へあげれば説明がつかうが、内的原因を隱し持つてゐる人間の思想を、同じ方法で説明しようとしたら、無理が生ずるであらう。孔子は、誰の口眞似をしたわけでもなく、誰から強制されたわけでもなく、自身の體験から、自由に新しい思想を工夫したのである。そして又、當時の人々が、彼の思想に動かされたのも、孔子といふ人間においてこのことを感得したが爲であらう。
この孔子の自由を、今日の私達も感得することが出来る。何によつて感得するか。古典に直接に接し得たとしか言ひやうのない經驗によつてである。「論語」といふ歴史的文獻を、知的に分析する者は、封建的イデオロギイといふ物的構造しか見ないが、「論語」といふ古典を直觀的に讀む者は、其處に構造の明らかなイデオロギイを見る代わりに、孔子の體得した自由の象徴的な姿を感ずるであらう。そして、孔子の思想を限定した歴史的條件なるものは、孔子が獨徳な思想を發明し、それを表現する爲に、止むなく採つた手段、とさへ逆に感ずるであらう。この感ずることが大切なのである。何故かといふと、ある鑄型に流し込まれた材料が、鑄型通りに固まるやうに、思想は、歴史的環境にしつくり合ふやうに産み出されるものではない。そんなことで、どうして思想は生きられようか。人々に働きかけれようか。環境が思想を作るのではない。環境に自由に反應する精神が思想を作るのである。古典を讀むとは、この精神の働きを、その強さなり、力なりを共感によつて取戻すことなのである。
「論語」の思想構造は、當時のあれこれの知識を、取り集め、巧みに合成したといふ風なものではない。曖昧で複雑で、見透しの利かぬものを持つてゐながら、全體としての統一は否定出来ぬ有機體のやうなものだ。自分の經驗に照らして感得しなければならぬものに滿ちてゐる。」
(「講座現代倫理」、昭和三十三年十一月)
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孔子が経験した思想
posted by Fukutake at 07:45| 日記