「漱石書簡集」 三好行雄編 岩波文庫 1990年
(1916(大正五)年)p297〜
「お手紙が正月十日に着きました。私は御無沙汰をして済まないと思いながらつい億劫だものだから無精を極めてしまうのに貴女は時々厭きもせずに音信を下さる。まことに感心です。尤も用がなくなって怠屈だから仕方なく手紙を書くんだろうと思うと有難味も大分減る訳だが、それでも私よりもよほど人情に篤い所があるからやはり私からいえば感心です。
和子さんにはそれから二、三遍会いました。書をかけというから書きました。下手な字を書かせて御礼をいって持って行く人の気が解らないですね。和子さんといえば貴女も和子さんも御嫁に入ってからの方が様子が好くなりましたね。これは男子というものに対して臆面がなくなるからでしょう。あなた方は結婚前からあまり臆面のある方じゃなかったがそれでも娘の時分より細君になった方が私どもには話やすいような気がします。
あなたのいる方は暑いそうだがこちらはまた御承知の通り馬鹿に寒いんで年寄は辟易です。気分はいつでも若いつもりでいるがもう五十になりました。白髪のじじいです。あなた方から見たら御とっさんのような心持がするでしょう。いやだなあ。
今日は好い天気です。縁側で日向ぼっこをしながらこの手紙をかいています。シャムのお正月は変な心持でしょう。単衣を着て御雑煮を祝うのは妙でしょうね。
シャムといえば長田秋濤さんは死にましたね。あなたの旦那様や西さんたちと一所に撮った写真が『太陽』か何かに出ていたから大方秋濤さんはシャムへ遊びに行ったのでしょう。だからあなたも知っているに違いない。人間の寿命はわかりませんね。この次あなたが日本に帰る時分には私も死んでしまうかも知れない。心細いですね。とはいうものの腹の中ではまだまだ何時までも生きる気でいるのだからその実は心細いほどでもないのです。
昨日は露西亜の皇帝の叔父さんとかに当たるえらい御客さんが東京駅に着いたので天子様が出迎に行ったのです。その何とかいう長い名の御客さんは今日午は伏見宮、晩は閑院宮へ呼ばれて御馳走になるとかで新聞にその献立が出ていましたが、ああつづけて食べた日にゃかえって遣り切れないだろう。余計なお世話だがちょっと御気の毒に思います。
明日から国技館で相撲が始まります。私は友達の桟敷で十日間この春場所の相撲を見せてもらう約束をしました。みんなが変な顔をして相撲がそんなに好きかと訊きます。相撲ばかりじゃありません。私は大抵のものが好きなんです。
一月十三日
井田芳子様 夏目金之助」
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この年の暮れ(十二月九日)に漱石は亡くなった。
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2021年09月14日
漱石の手紙 - 率直かつ丁寧
posted by Fukutake at 08:46| 日記