「歴史の目撃者」 ジョン・ケアリー編 仙名紀訳 朝日新聞社 1997年
奴隷売買の現場 一八四六年十二月 エルウッド・ハーヴェイ博士 p181〜
「私たちは、ヴァージニア州ピーターズバーグの近くで開かれた土地をはじめとする資産の競売に出かけた。その際、はからずも奴隷が競りにかけられている場面に出くわした。奴隷たちは売られることはないと告げられたうえで、建物の前に集められていた。彼らは、人々の群れをじっと眺めていた。土地の売買が終わると、競売人が大声てどなった。
「黒んぼを連れて来い!」
奴隷たちの表情に、驚きと恐怖の色が走った。彼らは互いに顔を見合わせ、自分たちに注目している買い手のほうに視線を移した。自分たちはここで売られる運命にあり、肉親や友人たちとも永久に離されてしまうという恐ろしい事実に、激しく動揺した。女たちは自分の赤ん坊を急いで抱き取り、悲鳴をあげながら小屋に駆け込んだ。子どもたちは、小屋や木の陰に隠れた。男たちは絶望のあまり、無言で立ち尽くしていた。競売人が建物の玄関に立ち、「男と少年」が品定めを受けるために前庭に一列に並ばせられた。「丈夫かどうかの保証はないので、買い手が自分で確かめるようにという説明だった。数人の老人が、十三ドルから二十五ドルで売られていった。長年にわたる苛酷な労働ですっかり腰の曲がった年老いた男たちが心ない買い手にからかわれ、体が悪くて働けないことを告げる姿は哀れを誘う。彼らは奴隷商人に買われ、南部の奴隷市場で売り飛ばされるのを恐れているのである。
年のころ十五ぐらいの白人の少年が、競り台のうえに立たされた。茶色の髪は縮れていないし、肌はまったく白人と変わらない。顔つきにも、黒人を思わせるものはなかった。
少年の肌の色について下品な言葉が交わされ、二百ドルの値がつけられた。「若いし使えそうな黒んぼなのに、それじゃ安すぎる」という声が上がった。「ただでもいらない」という者もいた。白い黒んぼは、むしろやっかいのタネだと言う者もいる。「白人」を売り買いするのはいけないことだ、と言う声も聞こえた。黒人を売ることより、もっと悪いことなのかと私は質問してやったが、その男は答えなかった。少年が競りにかけられたとき、母親が叫び声をあげながら家から走り出してきた。彼女は、悲しみで気も狂わんばかりだった。
「わたしの息子なのよ。お願いだから、連れて行かないで…」
そこで、母親の声は聞こえなくなった。乱暴に引き戻され、ドアが閉められたからだった。この間も売買は少しも中断することなく続けられ、集まった人びとはこのような場面を当たり前だと思っているようだった。哀れな少年は、自分になんら同情や哀れみの気持ちを持たない大勢の人の前で声をあげて泣いてもどうしようもないと思ったのだろう、震えながら頰に伝わる涙を服の袖で拭いていた。この子は二百五十ドルほどで売られていった。競りの進行中、広場は叫び声や悲しむ声に包まれ、わたしの心は痛んだ。次に、一人の女の名が呼ばれた。彼女は幼児を老女に託す前にぎゅっと抱き締めると、機械的な足取りで進んだ。だが立ち止まると両手を高く差し上げ、悲鳴をあげたかと思うと、そのまま動けなくなってしまった。
連れの一人が、私の肩をたたいて言った。
「もう、行こう。これ以上は耐えられない」
私たちは、その場を離れた。ピーターズバーグから乗った馬車の黒人の御者は、農園で働く小さな息子が二人いるそうだ、その子たちは売らない、と農園主が約束してくれたという。子どもはその二人だけか、と聞いてみた。
「八人いましたが、いまはあいつらだけです」
三人は南部へ売られ、彼らの消息はこらからもいっさい分からないだろうと、御者はつぶやいた。
(Dr.Elwood Harvey, in Harriet Beecher Stowe, A key to Uncle Tom's Cabin, 1953)
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幸福のコツ
「アランの幸福論」 アラン
ディスカヴァー・トウェンティーワン 2007年
「160 自ら実行する
おとなしく言いなりになるのではなく、自分で実行すること、そこに喜びの本質があるのだ。
あめ玉は口の中で溶けるにまかせているだけでちょっとしたおいしさが味わえるものだから、幸せも同じように味わいたいと考える人が多いが、それは間違っている。音楽の楽しみも、一度も自分で歌ったことがなくてただ聞くだけならば、たいしたことはない。それで、ものわかりのよい人は、自分は音楽を耳ではなくのどで楽しむ、と言っているのである。
すばらいい絵画を楽しむにしても、収集して見たり、時には自分でカンバスに塗ってみたりしないうちは、あくまで受け身の中途半端な楽しみでしかない。重要なのは、ただ評価するだけでなく、自ら求めていき、自分のものにしてしまうことなのである。」
「165 かけ足でものごとを見ない
滝から滝を見てまわれば、わたしには、どれも同じように見える。しかし岩から岩へと移動すれば、同じ滝でも、一歩ごとに違う様子に見えてくる。そうしてさらに、はじめて見るものなのだ。
生活が単調にならないようにするには、豊かでさまざまなものをじっくり見るだけでいい。つけ加えれば、よく見ることが身につくと、なんということのない景色にさえ、つきない喜びを感じられるようになる。
それに、星空はどこにいてもながめられる。これこそが壮観だ。」
「165 幸せになるため努力する
不幸になることは難しくない。難しいのは幸せになることである。
だからといって、それはあなたが努力しない理由にはならない。その逆である。ことわざにあるように、やりがいのあることはなんでも難しいのだ。」
「天気の悪いときにこそあ晴れやかな顔をする
雨が降っている。ばらばらと屋根を打つ音がする。雨だれが幾筋にもなって流れている。ちりがほとんど洗い流され、空気が澄んでいる。嵐雲は錦を裂いたようだ −− こうした美しさを理解できるようにならなければいけない。
収穫がだめになる、泥だらけになる、草の上に座りたいのに −− とぶつぶつと言ってもはじまらない。雨のときはなおさら晴れやかな顔を見たいものである。だから、天気の悪い時こそにこやかな顔をしよう。」
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幸せに生きるコツ。
ディスカヴァー・トウェンティーワン 2007年
「160 自ら実行する
おとなしく言いなりになるのではなく、自分で実行すること、そこに喜びの本質があるのだ。
あめ玉は口の中で溶けるにまかせているだけでちょっとしたおいしさが味わえるものだから、幸せも同じように味わいたいと考える人が多いが、それは間違っている。音楽の楽しみも、一度も自分で歌ったことがなくてただ聞くだけならば、たいしたことはない。それで、ものわかりのよい人は、自分は音楽を耳ではなくのどで楽しむ、と言っているのである。
すばらいい絵画を楽しむにしても、収集して見たり、時には自分でカンバスに塗ってみたりしないうちは、あくまで受け身の中途半端な楽しみでしかない。重要なのは、ただ評価するだけでなく、自ら求めていき、自分のものにしてしまうことなのである。」
「165 かけ足でものごとを見ない
滝から滝を見てまわれば、わたしには、どれも同じように見える。しかし岩から岩へと移動すれば、同じ滝でも、一歩ごとに違う様子に見えてくる。そうしてさらに、はじめて見るものなのだ。
生活が単調にならないようにするには、豊かでさまざまなものをじっくり見るだけでいい。つけ加えれば、よく見ることが身につくと、なんということのない景色にさえ、つきない喜びを感じられるようになる。
それに、星空はどこにいてもながめられる。これこそが壮観だ。」
「165 幸せになるため努力する
不幸になることは難しくない。難しいのは幸せになることである。
だからといって、それはあなたが努力しない理由にはならない。その逆である。ことわざにあるように、やりがいのあることはなんでも難しいのだ。」
「天気の悪いときにこそあ晴れやかな顔をする
雨が降っている。ばらばらと屋根を打つ音がする。雨だれが幾筋にもなって流れている。ちりがほとんど洗い流され、空気が澄んでいる。嵐雲は錦を裂いたようだ −− こうした美しさを理解できるようにならなければいけない。
収穫がだめになる、泥だらけになる、草の上に座りたいのに −− とぶつぶつと言ってもはじまらない。雨のときはなおさら晴れやかな顔を見たいものである。だから、天気の悪い時こそにこやかな顔をしよう。」
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幸せに生きるコツ。
posted by Fukutake at 07:53| 日記