2021年09月07日

進化と時間

特別対談「いま改めて、人間と生命について考える」産経新聞 令和二(二〇〇二)年九月一日 

山極寿一(京都大学学長) x 松井孝典(千葉工業大学学長)

生命、人間の意識が関係する時間概念

 「山極 生命の進化や起源、という話を考えるときに、どうしても出てくるのが時間という概念です。長い間の変化を考えるので当然ではあるのですが、しかし西洋近代科学では、元来、時間の流れを想定していませんでした。たとえば幾何学という学問に表れているように、変化するものの時間を止めて、対象をぶつ切りの静止した要素として考えるという方法をとってきました。

 松井 物理学においても、時間が一方向に流れるという現象は、もともと前提として受け入れるべきものではありませんでした。物理学の法則には、基本的に時間の向きがないのです。たとえば物を斜めに投げ上げると放物線を描きますが、時間を巻き戻しても物体の描く曲線は同一になる。それはつまり、過去と未来が区別できないということです。ミクロな世界を扱う量子力学においても同じです。

 山極 なるほど。そうした中で、ダーウィンなど、生命の進化を考えてきた人たちは時間というものを意識してきた。私は、おそらくそこに生命の本質があるのではないかと考えています。生物学者の福岡伸一さんはこう言っています。生物の営みとは、時間とともに解体されてバラバラになるはずのものを、それ流れに抗って秩序を保とうとすることだ、と。つまり増大するはずのエントロピーを、そうならないように捨て続けているのであり、それが生命の働きなんだと。生命というものに、時間が深く関わっていることを感じさせます。

 松井 そのような生命の働きには納得ですが、しかしそれは、生命だけに限ったことではないように私は思います。生命は、境界で区切られた「開放系」とそれを取り巻く「環境」から成り立っているわけですが、それは、地球や他の星についても同じことです。宇宙が経てきた歴史を見れば、さまざまなレベルで、そのような系と環境が生まれてきたのであり、そのすべてに等しく進化という現象と、時間の流れを見ることができるはずです。」


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意識と生命。

posted by Fukutake at 08:14| 日記

採録地再訪

「宮本常一著作集 25」 村里を行く 未来社

旅行地その後 p234〜

「一度歩いたところは、その後どうなっているかをたしかめるために歩いてみたいと 思っているが、それがなかなかはたせない。
「国学発祥の家」の伏屋氏邸など大阪からなにほどもへだたっていないし、昭和一 九年、二〇年頃はその近くにいたのだから、たずねていってみる時間はないことはな いはずであったが、とうとう今日までたずねていってみてない。

御一新のあとさき」については、その後各地での聞書をとってみたが、それも終戦ま でのことで、終戦後は維新を知っている人はほとんどいなくなった。それほど遠いもの になったのである。それでも昭和二一年、神奈川県湯河原の近くの部落で七〇歳以 上の老人五、六人にあつまって話してもらったとき、いちばんおどろかされたものは、 その中の一人が東京へいった経験があるのみで、他は生まれて一度も東京へいった 経験を持っていないことであった。それだけではない。
「東京へいったことがありますか」という質問に対して、「ハァ江戸かね、江戸には 行ったことァねえな」と答えられたのにはまったくおどろいた。東京を江戸として終戦当 時まで記憶していたのである。そこで、いちばん遠くへいったのはどこだときくと、老人 のすべてが、伊勢まいりと京まいりをしている。なぜ東京へいかないのかときくと、「江 戸はまいるところがねえから...江戸は見物だね」という。家のすぐ近くを東海道線の 汽車が走っているところ、二時間あまりで東京へいけるところに住んでいる老人たち の心の中にある東京は異郷にも似た遠いところであった。

それから半年あまり後、秋田県田沢湖の奥であった老人から、その親がやはり京 都、伊勢まいりをしつつ、東京へはいかなかったという話をきいた。日本海岸をあるい て京都、伊勢まいり、かえりは木曽路を通り善光寺へまいって来た。もう汽車もぼつ ぼつ敷かれはじめたころであり、東京の発展のめざましい時代であったにもかかわら ず、「東京は見物するところ」として敬遠して来ている。

京都府相楽郡山中であうた郷士の老人が、「徳川三代というから三代でほろびたん であろう」と、こともなげに言ったのはおどろかされたことがあったが、これは京都に近 い関係もあるから武家政治に対する認識もひくかったかと思ったが、とにかく、湯河原 や秋田の話には、民衆の政治や世相についての認識についてあらためて考えさせら れたのである。と同時に、世相一般とは別に、さらにその下に底流ともいうべきものが 大きく流れていることを感じた。

この人たちは一方では維新以来大きく世の中がかわって来たことをみとめたが、そ れが自分たちの生活を向上させるかたちでかわって来たと思うものは少なかった。
「昔はよかった」というのが終戦までのつぶやきのほとんどであった。そういう意味で 明治をうけとった庶民を理解することは大切なことであると思った。

それが、終戦後はまるでかわってくる。ほとんどの老人が「今はよい。生きていてよ かった」という。昔がよかったというものはほとんどいない、これは明治維新と、敗戦と では庶民に与えた影響が本質的に違っていることを意味する。そういう意味で、敗戦 後の変化はそれこそ綿密な観察と調査によって記録しておく必要がある。」
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やはり農地改革か。
posted by Fukutake at 08:11| 日記