「小林秀雄全作品10」中原中也 新潮社 平成十五年
「「文學界」編輯後記 21」 p238〜
「鈴木栄一君という未知の兵隊さんから、編輯部宛に手紙が来た。こんなに「文學界」を愛読してくれた人もあるまいと思い、非常に嬉しく、失敬かも知れないが、左に手紙の一部を載せさせていただく。
「戦地
郷里に残してきた貧しい妻が子供を抱え乍ら(どんな生活をしているか凡そ想像がつきます)月おくれの御誌を夜店か古本屋で買って送ってくれた。戦地に来て、しかも最前線で御誌を手にして感慨無量です。(中略)妻が、いろんな古本や貴方のほしいものを送りたいと気ばかりあせっています云々と書いて寄越した。外の人が今日何を送る、明日何を、と騒ぐ様を見ると胸を締めつけられると愚痴った。だが私は時々でよい、貧しい乍ら読みごたえのあるような本を送ってくれる事に感謝しています。
戦場に来て、増して我が戦闘部隊なぞで、ひもどく「文學界」を読んだ後、捨てる気もせず、誰彼と貸して、表紙も無くなったものを、今でも背のうに大切そうにしまっている。上海附近の戦闘、南京攻略戦、徐州攻撃戦、更に〇〇攻撃に前進中なり。
〇〇ははや我が指呼の間にあります。揚子江に沿う岸なれば時に暇を見て、濁水に身体を洗う。その度にこの揚子江の水がすんでくれたらと思う事屢々です。
揚子江の水の澄む日を、私は心密かに待っている。その日まで生きるかどうかは判らない。
今夜あたり、又敵の盲目飛行機が、来るかも知れぬ。緑色の風が青田を渡って来る。泥臭い匂いをさせて。
日中は百三十度*以上もあります。この頃は、月や星が出ない晩が続く。
〇〇へと、我々は又明日から攻撃前進します。にれの木の木陰で、この手紙を書いています。
貴誌の発展を祈り、拙文をおきます。」
鈴木君の健闘を祈る、雑誌は毎月送って貰う事にした。」
百三十度* セ氏に換算すると約五十四.四度。
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