2021年08月27日

個人の死と人間の不死

「ゾウの時間、ネズミの時間、ヒトの時間」 本川達雄 
季刊誌「考える人」最終号 2017年 春号 掲載 p40〜

 「ー『人間にとっての寿命とはなにか」で問題提起された「好き好き至上主義』について聞かせてください。

 本川 倫理学で言うと選好充足功利主義のこと。自分の「好き」を実現するのが一番の幸せという考え方を僕は平たく、「好き好き至上主義」と呼んでいて、これが跋扈しているのが今の世の中だと思っています。でも、これで幸せになれるものでしょうか。だいたい自分が好きと思うものは、他の人も好きなものが多く、結局奪い合いになってしまうので、勝つ確率はとても低くなる。敗者になる確率の高い生き方では、幸せになれません。

 生物多様性を大事にしましょうねと言うと、パンダとかが象徴として出てきます。パンダはかわいいから大事にするというならば、嫌な生物は大事にしなくていい、となるでしょう。これでは生物多様性を守ることはできません。生物多様性も生態系も守らなきゃいけないから、嫌いな生物でも守るんです。嫌でもつき合うというのが、今一番大事な姿勢だと思うのですが、世界の趨勢は逆ですね。日本においても、赤字国債は嫌いでもつき合わざるを得ないのに、つき合わない。死とはつき合わねばならぬのに、なるべく考えないことにする。日本国中が嫌いなものとつき合わない。電力は福島からもらうけど、放射能で汚染された廃棄物は嫌だと言う。それは許されないでしょう。好きなときだけ近づいて、嫌いになると止める。ただしそれができるのが、ネット社会です。好きなものだけを「お気に入り」に登録して自分の周りに集めておけば、嫌いなものとつき合わなくてもいい世界が作れてしまう。でも、掃除だって、日々のつまらないルーティンだって、嫌いでも誰かがやっているから社会が成り立っているのです。さらに言えば、生物の世界が成り立って続いていくためには、老いたものは死ななければらないのです。

 ーところで大学を退官されて、その後はいかがですか?

 本川 これからやるべきだと思っている仕事は、中学生ぐらいの子供たちのために、僕の生物学のエッセンスを書き残すこと。生物の一番の本質は何かを教えたい。生物の本質は何かといえば、ずっと続くということ。もちろん個体には寿命が来ます。でも子供を作って続いていく。なぜ子供を作るのか。それは体には熱力学の第二法則が働いてガタが来てしまうから。体を定期的に更新する。その際に、自分とまったく同じ子を作らないのは環境が変わるから。今の自分とは少し変えた子供を複数作って変わってしまった環境に適応できるようにする。だから子供は「私」なのだと僕はみなしています。子の私、孫の私、ひ孫の私と、私を渡しながら続いていくのが「私」。私を厳密でなくアバウトに見て、子も私とみなそうという見方を持ち込んでいます。こういう「私」観が今こそ大切だと思うのです。そうすれば、未来のことまできちんと考えて、環境保護や赤字国債のことも考えられる。今の「私」が少し貧乏して不自由しても、「次の私」や「次の次の私」がきちんと暮らせるような”トータルの利己主義”を考えるべきです。」

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個は死ぬが、「私」は続く。


posted by Fukutake at 10:42| 日記

霊へのつつしみ

「柳田國男全集 13」 ちくま文庫

六五 あの世とこの世 p167〜

 「いちばんむつかしい点はやはり霊魂の不滅、それを信じた人たちがなおその結末を語り得なかったことだが、これは正直なところ霊自らも、明らかには知らなかったと言ってよいであろう。とにかくもあの世の交通は近いとこほど繁く、時が遠ざかるとともに眼路が霞んで来て、末は幽かになるのもやむを得ぬことと、昔の人は諦めることができたのである。

 そうしてまずあの世はどこにあるか。常にはどういう場処に留まっているのかを、切に知ろうとしたのであるが、これにもはや二つの考え方ができていた。私はこれを新旧時を異にして、一方が他を改めたものと思っている。沖縄諸島などでは、あの世のことをグショウ(後生)と呼んでいるが、それを事のほか近い処のように考えているそうである。眼にこそ見えないが招けば必ず来たり、または自ら進んで人にも近づくことがあるとすると、月や季節の替り目のみに、日を定めて行われることよりは、なお近い処を想像しなければならなかったわけである。日本の学界で幽冥道の問題に注意し始めたのは、平田篤胤翁の頃からと、言ってもよいほどに新しいことであったが、その多くの人はやはり同じ考え方に傾いていた。…

 私が教えを請けた松浦萩坪(しゅうへい)先生なども、幽界とはお互いの眼にこそ見えないが、君と自分とのこと空間も隔世(かくりょ)だ。我々の言うことは聴かれている。することは視られている。それだから悪いことはできないのだと、かの楊震の四知のようなことを毎度言われた。しかし後になって考えてみると、これは一つの可能性というべきもので、誰の霊がそこに来るかということもきまらず、また常に必ず居るとも言えないのであった。多分は霊魂の去来が完全に自由であり、しかもその数はますます多くなり、また定まった居処、行き処を持たぬものが、世とともに増加することを感じた結果が、次第にこういう推理を下さざるを得なくなったので、事によると神々を社殿に常在したまうものと考え、朝昼時刻に構わず詣って拝まれるように、降神・昇神の式などは無用のもののように、思う人が多くなって来たことと、同じ系統に属した信仰の推移であったろう。古人にはそういう風には考えることができなかったものと、私の思っている理由は強い。霊に対する恭敬が篤ければ篤いほど、生者の拘束は大きかった。…

 つまりは我々は霊を拝する日の慎みを、容易ならぬものと思っていたのである。交通往来のはなはだしく自由であったのは、もとはおそらくは無寄の遊鬼ばかりであった。それが世とともに数を増加して、統制が望まれなくなったために、いわゆるみさき風*・神行逢い*の恐怖がいよいよ滋くなって、次第に近代人の幽冥感に影響したものかと思われる。」
みさき風* ミサキは、日本の神、悪霊、精霊などの神霊の出現前に現れる霊的存在の総称。例:八咫烏など
神行逢い*人や動物に行きあって災いを成すとされる神霊の総称。


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もっと自由に霊界交流を。

posted by Fukutake at 08:17| 日記