ウェブ版「考える人」より 抜粋
みうらじゅん氏へのインタビューインタビューより(抜粋)
「――みうらさんらしい仏教エッセイで、楽しく拝読していますが、中でも一番グッと来たのが、以下の一節です。「難しい経典までは読んだことがないけど、僕は勝手に仏像から優しくたって構わない≠ニいうことを学んだんだ」。この「優しくたって構わない」というメッセージにはグッと来ました。
特にタイの「寝釈迦」(註・涅槃仏ねはんぶつのこと)は、笑っているんだよね。あれはお釈迦さんが涅槃に入る寸前、つまり死ぬ寸前の姿をあらわしたものですが、きっとお釈迦さんは「死はみんなが思うより怖いもんじゃないよ」ということを伝えたくて、笑って見せたんじゃないかと。やっぱり人間が一番怖がるのは死でしょ。だから、あの方はあえて笑って死んで見せたんじゃないかな。とにかく「怖くないよ」ということを伝えようと思って、笑ってくださったんじゃないかなあと思って。
――「仏教ファン」というのは、「仏教が好きだけど、信心≠ェあるわけじゃない」ということでしょうか?
「仏教ファン」「仏像ファン」というのがいてもいいじゃないですか。
先ほどの「優しさ」だけど、ついつい自分を守るために、他人に優しくなれない時があるでしょう。飲み屋で後輩に説教するのも、自分を守りたいからで。後輩や友達が言うことを、「いや」とか「でも」とかで受けないで、「うんうん。そうだね」と優しく聞いていればいいものをね。それで「みうらさんは、何も知らないんですね」とか言われても、反論しないでニヤニヤしていればいい。どうしても人間は弱いから、それじゃ気が済まないんですよね。だから「俺だって知っているわ!」とか、「バカにすんな!」とか言っちゃう。そこを「僕滅」して、優しくなりたいんです。
――「僕」を「滅する」で、「僕滅」ですか。
「自分なくし」ですよね、第一は。「自分がある」と思うからケンカにもなるわけで、「僕滅」して、自分をなくせばいい。ただ、ずっとニヤニヤしているのは相当な修行が必要で、優しいことは一番難しいことだなと思うんです。
特に還暦を迎えてからは、「優しい老人」になろうと思って(笑)。そのためには自分の意見をなるべく言わない。例えばラーメンを見た時に、「おいしそう」とか「ははーん、これはあの系統の味だな」とか言わない。言うのは、「ラーメンだ」。それだけ。それを「おいしそう」とか言うと、必ず「この前食べたラーメンよりも〜」とか比較を始めるでしょう。「比較三原則」(註・みうらさんの造語。「他人・過去・親」と自分を比較しないこと)はもうやめて、見たまんま「お、ラーメンだ」だけ言えば、優しい人になれるんじゃないでしょうか。
――たしかに老人ホームで嫌われるタイプが、元大学教授と元新聞記者だと聞いたことがあります。
でしょう? どちらも「うまいことを言う」タイプだもんね(笑)。それはかわいくないですよ。空を見上げて、「うわあ、空だ」と言うのが理想で、できるだけ形容詞をなくしていく修行が必要だと思うんです。それが優しくなる第一歩。形容詞をたくさん使うと、どうしても比較≠ニ評論≠ェ出ちゃうでしょう。
みうらじゅん」
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優しい仏像