2021年08月20日

看取り

「「お迎え」されて人は逝く ー終末期医療と看取りのいまー」 奥野滋子 ポプラ新書

看取りの役割 p126〜

「旅立つ人を最期のときまで世話をし、静かに見守っていくのが「看取り」です。 いわば逝く者と遺される者の双方が、自らの死生について学び、死生観を養う。とり わけ、看取る側にとっては貴重で有益な経験です。
何しろ、私たちにとっての死は、たった一度限りです。死が目前に迫ってきて初めて 死に向き合う方法がわかるのだとしたら、あらかじめ死にゆく人から直接的にも間接 的にもさまざまな教えを乞うことができれば、自分の死の準備をすることができます。

看取りとは、そうした「死の予習」ができる大切な機会だと私は考えています。 最期が近づいている、いわば不安の中にいる人が何を感じ、何を考えているのか。 どのようにつらいのか、どんなことをしてほしいのか、そしてどんな言葉をかけてほし いのか。 看取りをする人は、このとき、ひたすら旅立つ人に接します。変わりゆく体の変化を 観察し、小さなつぶやきに耳を傾け、世話をしながら相手をもっと理解しようと努力し ます。
当然、「お迎え」現象が起きたとしても、単なる終末期の意識障害として片づけること なく、逝く人の言動の意味を探るようになります。 これが死というものをリアルに考える契機となり、いざ自分のときに大いに役に立つ のです。

麻酔科医、そして緩和ケア医として数多くの看取ってきた私が思うに、看取る人の 役割は二つあるのではないでしょうか。 ひとつは死にゆく人のためのもの。つまり旅立つ人を安心させ、彼らが自分の人生 を肯定する作業をそっと脇で手伝う役割です。 もうひとつは看取る人が、自分のその後の成長に看取りで得た経験、大切な人を失 うという「喪失感」をも取り込んで、それを糧にして成長していくことです。」
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posted by Fukutake at 16:08| 日記