「「お迎え」されて人は逝く ー終末期医療と看取りのいまー」 奥野滋子 ポプラ新書
看取りの役割 p126〜
「旅立つ人を最期のときまで世話をし、静かに見守っていくのが「看取り」です。 いわば逝く者と遺される者の双方が、自らの死生について学び、死生観を養う。とり わけ、看取る側にとっては貴重で有益な経験です。
何しろ、私たちにとっての死は、たった一度限りです。死が目前に迫ってきて初めて 死に向き合う方法がわかるのだとしたら、あらかじめ死にゆく人から直接的にも間接 的にもさまざまな教えを乞うことができれば、自分の死の準備をすることができます。
看取りとは、そうした「死の予習」ができる大切な機会だと私は考えています。 最期が近づいている、いわば不安の中にいる人が何を感じ、何を考えているのか。 どのようにつらいのか、どんなことをしてほしいのか、そしてどんな言葉をかけてほし いのか。 看取りをする人は、このとき、ひたすら旅立つ人に接します。変わりゆく体の変化を 観察し、小さなつぶやきに耳を傾け、世話をしながら相手をもっと理解しようと努力し ます。
当然、「お迎え」現象が起きたとしても、単なる終末期の意識障害として片づけること なく、逝く人の言動の意味を探るようになります。 これが死というものをリアルに考える契機となり、いざ自分のときに大いに役に立つ のです。
麻酔科医、そして緩和ケア医として数多くの看取ってきた私が思うに、看取る人の 役割は二つあるのではないでしょうか。 ひとつは死にゆく人のためのもの。つまり旅立つ人を安心させ、彼らが自分の人生 を肯定する作業をそっと脇で手伝う役割です。 もうひとつは看取る人が、自分のその後の成長に看取りで得た経験、大切な人を失 うという「喪失感」をも取り込んで、それを糧にして成長していくことです。」
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