2021年08月15日

偏屈老人

「荷風の昭和」川本三郎 第二次世界大戦まで 「波」2021年 3月号 新潮社 より

p113~

「... 第二次世界大戦が迫っている。当然、荷風はこういう時代に背を向ける。 『日乗』昭和十四年七月二十三日には、荷風の時代への怒りがこもっている。「晩 間芝口の千成屋に飰(めし)す。街頭の立札さまざまなるが中に『国論強硬で大勝 利しろ』と云ふが如きものあり。語勢の野鄙陋劣なること円タク運転手の喧嘩に似 たり。空かきくもりて夕立来るべき様子なれば田村町より電車に乗る。車内に貼り たる広告に、挙国注視断乎!!奸物を撃殺せよとかきたり。滑稽却て愛すべし」。 国を挙げて戦争の熱狂にとらわれている状況はもはや笑うしかない。
  笑いといえば、前年の暮れ、荷風は玉の井で笑うしかない珍事に遭遇している。 『日乗』昭和十三年十二月十一日、「薄暮玉の井を歩む。私服の刑事余を誰何(す いか)し広小路の交番に引致す。交番の巡査二人とも余の顔を見知り居て挨拶をな し茶をすすむ。刑事唖然として言ふ処を知らず。亦奇観なり。」 夕暮れ時、一人、玉の井を歩いていると不審者と思われたか、私服の刑事に何者 かと問われ、玉の井広小路の交番に連れてゆかれた。すると交番の巡査は、荷風は もう玉の井ではなじみになっているので挨拶をし、茶まですすめる。これには事情 を知らない刑事は驚く。まさに「奇観」。
  窮屈になってゆく時代だが、荷風は依然として下町歩きをやめていないことが分 かる。やはり昭和十三年の十一月二十七日には、折からの灯火管制のなか玉の井を 歩き、灯りの消えた玉の井の暗い詩情に心動かされている。「今日も燈火を点ずる こと能はざれば哺*刻家を出で浅草を過ぎて玉の井に至り見れば四顧既に暗黒なり。 改正道路は道幅広く折から人家の屋根に懸りたる五日月の光に照らされたれど、女 共の住める路地の中は鼻をつままれてもわからぬばかり暗きが中に、彼方此方の窓 より漏るる薄桃色の灯影に女の顔ばかり浮み出したり。玉の井の光景この夜ほど我 が心を動かしたることは無し」。 暗闇のなかで私娼たちの顔だけが、あちこちから洩れてくる光に浮かびあがる。 荷風はその暗い詩情に心動かされている。」

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閑人の漫筆
posted by Fukutake at 08:41| 日記