2021年08月14日

半ば強いられた開戦い

「考える人」 季刊誌 2010年 秋号 No.434 新潮社
それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 p107〜

(第九回小林秀雄賞 受賞作)
「...英米相手の武力戦は可能なのか、この点を怖れて開戦に後ろ向きになる天皇 を、軍としてはどうしても説得しなければならない。四一年九月の時点でなぜ軍が 焦っていたか、...

日本は他のアジア諸国と軍事的、経済的、政治的に緊密な関係を樹立しようとした のに英米蘭は日本の計画に反対している。日本がこの時期にあって後退すれば、ア メリカの軍事的地位は時の経過とともに優位となり、日本の石油の備蓄量は日ごとに 減ってゆく。この時期、開戦を一年、二年と延ばすのは、かえって、歴史が教えている ように不利になるだけだ。
永野軍令部総長が、四十一年九月六日の御前会議の場で、天皇を含む出席者に 向かってこういったのです。

避けうる戦(いくさ)も是非戦わなければならぬという次第では御座いませぬ。 同様にまた、大坂冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような、不 利な情勢のもとに再び戦わなければならぬ事態に立到らしめることは皇国百年の大 計のため執るべきにあらずと存ぜられる次第で御座います。

なにがなんでも戦争しろといっているのではないが、大坂冬の陣の翌年の夏、大坂 夏の陣が起こったときに、もう絶対に勝てないような状態に置かれて騙されてしまった 豊臣氏のようになっては日本の将来のためにならないと思う、こう永野は述べる。豊 臣氏が騙されたといのは、一六一四年十二月二十日の冬、豊臣方と徳川方の間でな された大坂冬の陣の後の和平交渉で、徳川家康が、平和となったのだから、豊臣方 のこもる大坂城の堅固な石垣やお濠は必要ないといって豊臣方を安心させ、濠を埋 めさせた後、翌年夏に再戦して豊臣氏を滅ぼした一件です。当時の講談などで語ら れ、世のなかの誰もが知っている物語でした。 開戦の決意をせずに戦争しないまま、いたずらに豊臣氏のように徳川氏に滅ぼされ て崩壊するのか。あるいは、七割から八割は勝利の可能性のある、緒戦の大勝に賭 けるかの二者択一であれば、これは開戦に賭けるほうがよい、との判断です。このよ うな歴史的な話をされると、天皇もついぐらりとする。アメリカとしている外交交渉で日 本は騙されているのではないかと不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆ く。」

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いたずらに英米の無謀な要求をのみ続ければよかったのか。
posted by Fukutake at 09:56| 日記

誰かの子孫

「考える人」 季刊誌 2010年 秋号 No.434 新潮社

みんなが誰かの末裔 高橋秀実 p209〜

「かつて考古学者の森浩一さんが講演会で宮内庁の管理職らに、指定されている 天皇陵には年代が合わないものがあると指摘すると、会場からこういう反応があった そうだ。

一人の人が立ち上がって、僕(森浩一)にじゃなくて京都の宮内庁の事務所長さん に聞いたんです。「私たちは昨日まで陵墓をそれぞれの天皇の御陵だと思って日夜 お仕えに励んできた。しかし今の講義を聞くと、どうもそれが怪しいという。それでは 明日からどうすればいいんですか」と。そのときに京都事務所長さんがいうには、「も し間違っていても、すでに一〇〇年間は天皇陵としてお祭りしているんです。だから 魂はこっちに来ています。動揺せずに明日からも励んでください」って、まるで両墓制 みたいなことをいうんです(笑)。あの時はじつにうまいこと説明するなと思いましたけ どね。(日本の古墳と天皇陵シンポジウム 2000年)

天皇陵だから祀るのではなく、祀るから天皇陵になるということ。清和天皇の場合 も、「前橋風土記」という文献に「茂木陵 那須群茂木村に在り。相伝う。清和天皇の 陵なりと」(群馬県史料集所収)と群馬県に墓があったような記述も残されているが、 ずっと祀っているのは、こちらの(京都市右京区の山間部にある集落水尾にある)「水 尾山陵」なのである。... 水尾山陵に行くなら、管理人がいないので、行くなら日没までに行けばよいとのこと だが、それで帰りは大丈夫なのか?訊いているうちに何やら「本当に歩いて行くつも りですか」といわんばかりの調子になり、保津峡駅にはタクシーもなく、タクシーに乗り たいなら、ひとつ前の嵯峨嵐山駅で下車しなければいけないと勧められたので、それ に従ったのだが、タクシーもまた危うげなのであった。
「水尾に何しに行かはるの?」
運転手は不審そうに私にたずねた。 ー 清和天皇陵にお参りに行こうと思いまして。
「ホンマに?」 彼は驚いた様子。なんでも当地でタクシー運転手を始めて27年になるが、清和天皇 陵に参るという客は滅多におらず、私が2人目だという。 いうまでもなく清和天皇は清和源氏の祖である。江戸時代につくられた家系図の大 半は彼につながっており、いわば先祖中の先祖。日本人の先祖の祖ともいうべき存 在なのでるが、実際に参る人は少ないらしい。
ー お願いします。
私は運転手に頭を下げた。ここまで来て引き返すわけにはいかない。たとえつなが りがなかろうと、参ろうと思い立った以上、誠心誠意参るべきだと覚悟を決めたのであ る。...」

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先祖の先祖。
posted by Fukutake at 09:42| 日記