「宮崎市定先生のこと」 伊藤淳二* 「宮崎市定全集 月報13」第9巻 1992年11月 岩波書店より
「一昨年(1989年)、韓国盧泰愚大統領が訪日するに当って物議をかもした。大統領が、日本の天皇からの謝罪の意を求め、単に、日韓併合だけでなく、「秀吉の朝鮮出兵、いわゆる文禄の役、慶長の役にまでさかのぼって日本の責任を明らかにする」といっている旨が報ぜられたからである。
古今東西の歴史をひもといていると、数え切れぬ程の戦争があり、滅び去った国もあれば、仇敵視し合った国が仲よくつき合っている場合もある。前者はカルタゴ。後者は仏・独。国と国との関係はいい時もあれば、悪い時もある。両国が不幸にして戦争をした場合、双方とも、如何なる正義の理由をつけようとも、結局殺人し合い、相手が屈服するまで暴力の限りをつくす。その上で決着がつけられ、その時点から新たな関係が生じるのである。
その昔、紀元一世紀のころ朝鮮半島は、地もとの人びとの力が弱く、移住してきた中国人が、王さまになって朝鮮国をつくっていた。その朝鮮国を、漢帝国は滅ぼして植民地をつくった(読売新聞版・日本の歴史)。韓国は中韓復交に際し、それをどうとがめるでのあろうか。それから千年以上たって、秀吉は朝鮮に出兵し、それからまた三百年程たって、日本は朝鮮を植民地としたのである。…
にもかかわらず、今日の時点になって、四百年前の戦争をむしかえす、これはおかしいのではないか。 宮崎市定先生の『中国史(上・下)』を岩波全書でよんだ時、たしか文永の役、弘安の役で、元軍は、南宋や高麗の兵士を同行、博多湾に上陸して、未曾有の残虐をつくしたとかかれてあったように思う。早速、書棚からとり出して開いてみると、果たしてその通りの記述があった。私は念のため、宮崎先生にお会いしてなんとしても確かめたかった。
平成二年、五月十六日、先生をはじめて京都市左京区のお宅におたずねした。
先生は話がこの件に及ぶや、みるみるお顔が紅潮し、更に敷衍された。
人間の歴史は、或る面では戦いの歴史である。しかも、その戦いは長くても百年前後で終結し、新たな関係に入る。しかも、戦いの終わった時点で、歴史のくぎり、けじめがつくのであって、そうでなければ、江戸時代の「仇討」が親の仇に限られた如く、けじめをつけないと際限がつかない。私はこの書にもとづいて朝日新聞の「紙面批評」(平成二年六月三日)を書いた。
先生の『中国史』は韓国でも、中国でも、学術的に高い価値が置かれれいるという。
「それにしても、国を代表する人が相手国を訪問する時、いろいろいいがかりのようなことをいうのは、礼 ー 儒の道に反します」といわれた先生の言葉が強く耳の奥に残った。」
伊藤淳二* (当時、鐘紡 名誉会長)
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礼に反する国。至言
自殺の苦しさ
「新版 発心集 上」 鴨長明 浅見和彦・伊東玉美(訳注) 角川文庫
第三(八)蓮花城が入水したこと(その二) p335〜
「...人の心というものはどうにも予測できないものである。常に清らかで、誠実な思 いが源とは限らない。ある時には他者に勝るという評判を得たいという欲求にとらわ れ、またある時には驕り、高ぶり、怨み、妬みの気持ちから、愚かにも身を焼き、海に 入り、そうすれば浄土に生まれ変わることが出来るし、他人にも勝てると考え、心の はやるままに、そうした行を思いつき、実行してしまうのです。これは全くもって邪道の 世界の者が行う、愚かな苦行と変わることがない。とんでもない間違った考え方であ る。
なぜならば、火の中や水の中に入った時の苦しみは、信じられないくらい劇烈なも のだ。身を捨てて、極楽に行こうという信念が弱かったら、どうしてその苦しみを耐え 切ることができようか。苦痛があれば、心が乱れる。仏のお助けがなければ、平安な 臨終を遂げることは、きわめて難しい。なかには愚かな人の言い草として、「焼身はで きない。入水ならばわけなくできる」などと言っているようであるが、それは見た目に 入水は何でもないように見えるが、水の本当の怖さを知らないからなのだ。
ある聖はこう言っていた。「水に溺れて、もう少しで死にそうになりました時、人に助 け上げられて、かろうじて生き延びることがございました。あの時、鼻や口から水が 入って来て、味わわされた苦しみは、たとえ地獄の苦しみであっても、これほどではあ るまいと思いました。それなのに人が入水はたやすいことだなどと思っているのは、 水が人を殺すのだということを、まだ知らないのです」と言っていました。
またある人はこう言っている。「もろもろの行はすべて我が心の中にある。自ら行 い、自らその良し悪しを知るべきである。御仏の加護も、じっと考えて、心を静めれ ば、おのずからどのようなものであるかが、わかるに違いない。一つの例を挙げよう。 もし仏道を修行しようと思い、山林の中に入り、また一人で広い野の中にいる時に、 我が身の安全を恐れ、命を惜しむ心があったならば、必ずしも仏の御加護があると期 待することはできない。垣根や壁を巡らし、いつでも逃げられる準備をして、自分で身 の安全をはかり、自分で病を治し、少しずつ修行を進めていこうと思うがよかろう。も し、ひらすらに仏に我が身のすべてを奉る身なのだと思い、虎や狼が襲い来て、自分 を食い殺そうとも、全く恐れる心もなく、また食べ物がなくなり、飢え死んでもかまわな いと思えるようになったならば、仏は必ずお力を下さり、菩薩・聖衆も来られて、お守り 下さるのだ。そうなった時は一切の悪鬼も害獣も襲い来る機会を失う。盗人も信心を 起こして自ら去っていく。病は仏力によって治っていくのだ。このことを理解せず、自分 の心は浅薄なままで、御仏の御加護をあてにするようなことは、とても危なっかしいこ とだ」と語っておりました。
この話は本当にその通りだと思われる。」
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第三(八)蓮花城が入水したこと(その二) p335〜
「...人の心というものはどうにも予測できないものである。常に清らかで、誠実な思 いが源とは限らない。ある時には他者に勝るという評判を得たいという欲求にとらわ れ、またある時には驕り、高ぶり、怨み、妬みの気持ちから、愚かにも身を焼き、海に 入り、そうすれば浄土に生まれ変わることが出来るし、他人にも勝てると考え、心の はやるままに、そうした行を思いつき、実行してしまうのです。これは全くもって邪道の 世界の者が行う、愚かな苦行と変わることがない。とんでもない間違った考え方であ る。
なぜならば、火の中や水の中に入った時の苦しみは、信じられないくらい劇烈なも のだ。身を捨てて、極楽に行こうという信念が弱かったら、どうしてその苦しみを耐え 切ることができようか。苦痛があれば、心が乱れる。仏のお助けがなければ、平安な 臨終を遂げることは、きわめて難しい。なかには愚かな人の言い草として、「焼身はで きない。入水ならばわけなくできる」などと言っているようであるが、それは見た目に 入水は何でもないように見えるが、水の本当の怖さを知らないからなのだ。
ある聖はこう言っていた。「水に溺れて、もう少しで死にそうになりました時、人に助 け上げられて、かろうじて生き延びることがございました。あの時、鼻や口から水が 入って来て、味わわされた苦しみは、たとえ地獄の苦しみであっても、これほどではあ るまいと思いました。それなのに人が入水はたやすいことだなどと思っているのは、 水が人を殺すのだということを、まだ知らないのです」と言っていました。
またある人はこう言っている。「もろもろの行はすべて我が心の中にある。自ら行 い、自らその良し悪しを知るべきである。御仏の加護も、じっと考えて、心を静めれ ば、おのずからどのようなものであるかが、わかるに違いない。一つの例を挙げよう。 もし仏道を修行しようと思い、山林の中に入り、また一人で広い野の中にいる時に、 我が身の安全を恐れ、命を惜しむ心があったならば、必ずしも仏の御加護があると期 待することはできない。垣根や壁を巡らし、いつでも逃げられる準備をして、自分で身 の安全をはかり、自分で病を治し、少しずつ修行を進めていこうと思うがよかろう。も し、ひらすらに仏に我が身のすべてを奉る身なのだと思い、虎や狼が襲い来て、自分 を食い殺そうとも、全く恐れる心もなく、また食べ物がなくなり、飢え死んでもかまわな いと思えるようになったならば、仏は必ずお力を下さり、菩薩・聖衆も来られて、お守り 下さるのだ。そうなった時は一切の悪鬼も害獣も襲い来る機会を失う。盗人も信心を 起こして自ら去っていく。病は仏力によって治っていくのだ。このことを理解せず、自分 の心は浅薄なままで、御仏の御加護をあてにするようなことは、とても危なっかしいこ とだ」と語っておりました。
この話は本当にその通りだと思われる。」
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posted by Fukutake at 11:51| 日記