「妖怪談義」 柳田國男 講談社学術文庫
ザシキワラシ p123〜
「明治四十三年の夏七月頃陸中上閉伊(へい)郡土淵村の小学校に一人のザシキワラシ(座敷童)が現われ、児童と一緒になって遊び戯れた。ただし尋常一年の小さな子供等の他には見えず、小さい児がそこにいるここにいるといっても大人にも年上の子にも見えなかった。遠野町の小学校からも見に往ったが、やっぱり見た者は一年生ばかりであった。毎日のように出たという。
十七八年ばかり前、遠野の小学校がまだ御倉(南部家の米倉)を使用していた頃、学校に子供の幽霊が出るという噂があって、皆が往って見たことがあった。友人にこれを見たという人がある。夜の九時頃になると、玄関から白い衣服を着た六、七歳の童子が、戸の隙より入って来て、教室の方へ行き、机椅子などの間などをくぐって楽しそうに遊んでいたという。それも多分ザシキワラシであったろうと思う。」
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座敷わらし
「妖怪談義」 柳田國男 講談社学術文庫
ザシキワラシ p123〜
「明治四十三年の夏七月頃陸中上閉伊(へい)郡土淵村の小学校に一人のザシキワラシ(座敷童)が現われ、児童と一緒になって遊び戯れた。ただし尋常一年の小さな子供等の他には見えず、小さい児がそこにいるここにいるといっても大人にも年上の子にも見えなかった。遠野町の小学校からも見に往ったが、やっぱり見た者は一年生ばかりであった。毎日のように出たという。
十七八年ばかり前、遠野の小学校がまだ御倉(南部家の米倉)を使用していた頃、学校に子供の幽霊が出るという噂があって、皆が往って見たことがあった。友人にこれを見たという人がある。夜の九時頃になると、玄関から白い衣服を着た六、七歳の童子が、戸の隙より入って来て、教室の方へ行き、机椅子などの間などをくぐって楽しそうに遊んでいたという。それも多分ザシキワラシであったろうと思う。」
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ザシキワラシ p123〜
「明治四十三年の夏七月頃陸中上閉伊(へい)郡土淵村の小学校に一人のザシキワラシ(座敷童)が現われ、児童と一緒になって遊び戯れた。ただし尋常一年の小さな子供等の他には見えず、小さい児がそこにいるここにいるといっても大人にも年上の子にも見えなかった。遠野町の小学校からも見に往ったが、やっぱり見た者は一年生ばかりであった。毎日のように出たという。
十七八年ばかり前、遠野の小学校がまだ御倉(南部家の米倉)を使用していた頃、学校に子供の幽霊が出るという噂があって、皆が往って見たことがあった。友人にこれを見たという人がある。夜の九時頃になると、玄関から白い衣服を着た六、七歳の童子が、戸の隙より入って来て、教室の方へ行き、机椅子などの間などをくぐって楽しそうに遊んでいたという。それも多分ザシキワラシであったろうと思う。」
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posted by Fukutake at 14:57| 日記
大学
「噴飯 惡魔の辭典」 安野光雅、なだいなだ、日高敏隆、別所実、横田順彌
平凡社 一九八六年
大学 p148〜
「小学校、中学校、高等学校と、りっぱに成長してきた人間が、わざわざ、お金を払ってだめな人間に改造されにく機関。(横田)
大学に学ぶのは、自分が大学に学ばなかった者と変わりがないことを悟るためであり、大学に、学ばずしてそれを悟ることはより困難であるために大学が存在する。(安野)
管理社会に適応させるための、人間ロボット化工程の終末部分。卒業の一年前に、すでに就職のための会社訪問などという愚行を、平気でやれるような人間に仕上げられている。
君は製品の品質管理が杜撰だったため、会社に忠誠心を持たない粗悪品が混じり、製品を消費する会社に迷惑をかけることも、ままあったが、最近の大学の製品管理能力の向上は目を見張らせるものがあり、この点では、日本の「大学は世界一といってもよいであろう。
その結果、昔の大学では窓際族と考えられていた就職部の先生たちが、今や大学教授のあいだで、スター的地位にのしあがることになった。(なだ)
期待と幻滅の差がもっとも大きいという意味でそう呼ばれる教育機関。(日高)
勉強をしたいと思う人間が、勉強をする情熱を、すっかり使い果たすことによってのみ、 入学することを許される場所。その情熱がいささかでも残っている場合は、予備校へ行って更に完璧に使い果たしてくることを強要される。従って、入学を許可されたとたんに人は、何のためにそこへ入ったのかわからなくなる。(別所)
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なくてもいいが、全くなくては困るところ。
平凡社 一九八六年
大学 p148〜
「小学校、中学校、高等学校と、りっぱに成長してきた人間が、わざわざ、お金を払ってだめな人間に改造されにく機関。(横田)
大学に学ぶのは、自分が大学に学ばなかった者と変わりがないことを悟るためであり、大学に、学ばずしてそれを悟ることはより困難であるために大学が存在する。(安野)
管理社会に適応させるための、人間ロボット化工程の終末部分。卒業の一年前に、すでに就職のための会社訪問などという愚行を、平気でやれるような人間に仕上げられている。
君は製品の品質管理が杜撰だったため、会社に忠誠心を持たない粗悪品が混じり、製品を消費する会社に迷惑をかけることも、ままあったが、最近の大学の製品管理能力の向上は目を見張らせるものがあり、この点では、日本の「大学は世界一といってもよいであろう。
その結果、昔の大学では窓際族と考えられていた就職部の先生たちが、今や大学教授のあいだで、スター的地位にのしあがることになった。(なだ)
期待と幻滅の差がもっとも大きいという意味でそう呼ばれる教育機関。(日高)
勉強をしたいと思う人間が、勉強をする情熱を、すっかり使い果たすことによってのみ、 入学することを許される場所。その情熱がいささかでも残っている場合は、予備校へ行って更に完璧に使い果たしてくることを強要される。従って、入学を許可されたとたんに人は、何のためにそこへ入ったのかわからなくなる。(別所)
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なくてもいいが、全くなくては困るところ。
posted by Fukutake at 08:27| 日記