2021年08月06日

青年を善導する者

「ソクラテスの弁明・クリトン」 プラトン 久保勉(訳) 岩波文庫

p26〜

 「…こちらへ出たまえ、メレトス*君、そうしていってくれたまえ、君が最も重きを置くのは、青年が出来得るかぎり善良になることなのだね、そうだろう?
「その通り。」それなら列席の諸君にいい給え、青年を善導する者は誰であるかを。君はきっとそれを知っているに違いない。それが君にとって大切な事なのだから。実際君は彼らを腐敗させる私という者を発見したといって、私をここに引出して、私を告発するほどなのである。さあいってくれたまえ。善導者の名は誰であるかを、そうしてそれを裁判官諸君に告げたまえ。メレトス君、君は黙り込んで一語も発することが出来ないじゃないか。それは恥ずべきことであり、またこの問題が少しも君の関心を感ずるところではないといった私の主張の充分な証拠であると君は思わないのか。良き友よ、さあいってくれたまえ、彼らを善導する者は誰であるか。
「国法だ。」
いやいや、私はこれを訊くのではない。優れたる友よ。何よりも先ず君のいう国なるものを知っている人間は誰なのか。
「ソクラテス君、そこにいる裁判官諸君だ。」
メレトス君、何をいうのだ。この人達に青年を教育したり善導したりする力があるというのか。
「勿論。」
みんななのか、それともある者は善くある者は善くしないのか。
「みんなだ。」
ヘラの神にかけて、これは聴きものだ。すると善導者は随分沢山なわけだ。それではもっと伺いたいが、ここの聴衆も彼らを善導するのか、それともしないのか。
「彼らも同じことだ。」
では、参政官は?
「参政官も同じこと。」
 メレトス君、でも国民議会の議員たちは、青年を腐敗させているようなことはないか。それとも彼らも皆青年を善導するのか。
「彼らも同じこと。」
 すると、私を除いたアテナイ人はみんな彼らを善良かつ有徳にするのに、ただ私ばかりが彼らを腐敗させるように見えるね。君の説はそうなのか。
「いかにも、私の説はその通りである。」
 君の認められる通りなら、私は非常にみじめな人間だ。だが一つ答えてくれたまえ。君は馬の場合にもまた同様だと思うのか。あらゆる人間が彼らをよく躾けて、ただ一人だけが彼らをいけなくするのか。むしろその正反対に、彼らをよく躾けることが出来るものはたった一人化もしくはごく少数の人すなわち調教師だけで、大多数の人が彼らを取り扱ったり使用したりするとかえってそれを悪くするのではないのか。そうなっているじゃないのか、ねえメレトス君、馬や他のあらゆる動物の場合には、君やアニュトス*君が反対するにしろ、それはきまりきっている。もし青年を腐敗させる者がたった一人で、他はみんな彼らを善導する者だったら、彼らはさぞ幸福であろうのに。よろしい、メレトス君、これで充分にわかってしまった。君が決して青年の事を心配していなかったことは、また君がそのために私を告発した事柄について、自分では何も心配していなかった無頓着も、明らかに暴露してしまった。」

メレトス*、アニュトス* ソクラテス裁判の告発者
-----
posted by Fukutake at 09:35| 日記

精神分析

「考えるヒント 2」小林秀雄 文春文庫 文藝春秋

天命を知るとは p141〜

 「…フロイトは、心理学を研究して、その進歩改良などを企てた人ではない。神経病という現に生きている謎の前に立ちつくした人だ。この異様な不安定な意識の発生や消滅が、心理とは意識ではなく、逆に意識とは心理の一部であるという普遍的な事を、彼は明言していた。のみならず、観察は、この精神的障碍を、身体的障碍から説明するのは絶望である事を語っていた。それだけの事なら、フロイトだけが気が付いた事ではなかったが、先入観を一切捨て、又、在来の心理学的方法で間に合わないのなら、これもはっきり捨て、ただ、心理という生き物の異様な生き方という事実に、忍耐強く堪えてみるという事は、誰にも出来る事ではなかったのである。フロイトは、それをやった人だ。患者の心を知るには、患者と直に付合う他に道はない、それを実行した人だ。…

患者の心理との最も直接な純粋な取引は、患者との、第三者を交えぬ、出来るだけ親身な、互に信頼し合った会話より他にあるまい。人の心理を分析するとはその人と会話する事だ、ここに彼の心理学の天才的発想があった。従って、彼にとって、分析的方法とは、精神をできるだけ間近に見る事、精神には精神をもって近付く他に道はない、その近付き方を意味した。方法の意識化は、会話技術の熟練のうちに育つ他はなかった。なるほど、これは不確かな方法である。しかし、この道をただ暗中模索と決める何の理由もないし、意識という精神の一角しか見えぬ場所まで後退して、方法の正確を誇って何になろう。

 今日、精神分析という言葉は、専門家の間では、恐らく多義にわたったものであろうと推測しているが、この言葉の創始者の発想にさかのぼれば、生理学と心理学との安易な混同から心理学を救い出そうという、この人に決意に行きつくのである。心的なものと物的なものとは、その存在形式を全く異にする。両者の間には、単なる因果関係など存しない。これが与えられた事実である。… 精神分析学の本質は、フロイトの動機の側から見れば、徹底的に、心理学的な補助概念だけに頼って仕事をしようとする、言わば純粋心理学だったと言える。…」(文藝春秋 昭和三十八年三月)

----
フロイトの使命感は「天」から来たのか。「夢判断」を読もう。
posted by Fukutake at 08:23| 日記