2021年08月16日

ごまかし続ける

「ココロとカラダを超えて −エロス・心・死・神秘− 」  頼藤和寛 ちくま文庫 1999年

ココロは自転車操業中 p111〜

 「たとえば、社会的アイデンティティという自己イメージを幻視します。自分の出自、生いたち、キャリア、立場、身分、その他あらゆる社会的手がかりをしっかりつかんだ上で「私はこれこれだ」という基本的信念にしがみつきます。それも周囲から一目置かれるような評価・規定・待遇の得られるほうが、より一層手応えがあって安心できそうで、できるだけ大層なものが望ましい。ところが全員同じことを考えがちなので競争になります。

 絶対的な基準というものはありませんから、たいてい他とくらべてどうこうだと思い込みつつ本気になっていきます。いよいよおちつかずに金・地位・名声・権力・魅力その他を「私」というたよりのない核のまわりにひきよせたがり重ね着させたがります。このためには活動が必要でしょう。幸い、競争になっておりますから人並み以上の活動がしいられますし、活動自体も都合よく毎日紛らせてくれるので本来のたよりなさを忘れさせます。

 個人に流入する情報が多くなればなるほど当然、他との比較するタネも豊富になりますから、昔のように閉鎖的な小集団の中で井の中の蛙をきめこむわけにもいかず、ますます競争にも拍車がかかるでしょう。
 しかも、いくら頑張って仮に世界の王になったとしても、中核のたよりなさは本質的には不変です。このため欲求や活動にはきりというものがありません。「死して後、已む」というやつです。

 何の因果か、自然から浮きあがったおかげで「私」というものはせっかくの一生を、かくて競いつづけ紛らせつづけていかねばならなくなる。ちょうど自転車に乗っているようなあんばいです。こぎつづけなければ倒れてしまう。この活動や努力の原動力、ひいては次々に新たな目標の幻をみつづける原動力がエゴといえましょう。エゴとは、おのれのたよりなさをごまかそうとする力に由来します。いわゆる利己的であれ利他的であれ、何かせっせと努めているのはエゴの原動力で動いています。それだけ余裕がないともいえます。なぜ余裕がないかというと、もしこの「せっせ」をやめると自転車が倒れて大変なことになると信じ込んでいるからです。

 実際には(多くの人々が気づいていませんが)全てを休止して大の字に寝ころんでも、一日二〇〇〇カロリーとれて酸素さえ吸えれば心のたよりなさは乞食も大統領も同じですから、別にどうということもないのです。つまり走っていようが倒れていようが自転車にはかわりありません。
 この事実をどんな誤解でごまかし、紛らせるか、というのがその人の人生観であり、世界観であることになるでしょう。そして、かかる誤解の集積、誤解の再生産のシステムこそ、社会であり文化であるのです。」

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諦めろ。

posted by Fukutake at 08:25| 日記

2021年08月15日

偏屈老人

「荷風の昭和」川本三郎 第二次世界大戦まで 「波」2021年 3月号 新潮社 より

p113~

「... 第二次世界大戦が迫っている。当然、荷風はこういう時代に背を向ける。 『日乗』昭和十四年七月二十三日には、荷風の時代への怒りがこもっている。「晩 間芝口の千成屋に飰(めし)す。街頭の立札さまざまなるが中に『国論強硬で大勝 利しろ』と云ふが如きものあり。語勢の野鄙陋劣なること円タク運転手の喧嘩に似 たり。空かきくもりて夕立来るべき様子なれば田村町より電車に乗る。車内に貼り たる広告に、挙国注視断乎!!奸物を撃殺せよとかきたり。滑稽却て愛すべし」。 国を挙げて戦争の熱狂にとらわれている状況はもはや笑うしかない。
  笑いといえば、前年の暮れ、荷風は玉の井で笑うしかない珍事に遭遇している。 『日乗』昭和十三年十二月十一日、「薄暮玉の井を歩む。私服の刑事余を誰何(す いか)し広小路の交番に引致す。交番の巡査二人とも余の顔を見知り居て挨拶をな し茶をすすむ。刑事唖然として言ふ処を知らず。亦奇観なり。」 夕暮れ時、一人、玉の井を歩いていると不審者と思われたか、私服の刑事に何者 かと問われ、玉の井広小路の交番に連れてゆかれた。すると交番の巡査は、荷風は もう玉の井ではなじみになっているので挨拶をし、茶まですすめる。これには事情 を知らない刑事は驚く。まさに「奇観」。
  窮屈になってゆく時代だが、荷風は依然として下町歩きをやめていないことが分 かる。やはり昭和十三年の十一月二十七日には、折からの灯火管制のなか玉の井を 歩き、灯りの消えた玉の井の暗い詩情に心動かされている。「今日も燈火を点ずる こと能はざれば哺*刻家を出で浅草を過ぎて玉の井に至り見れば四顧既に暗黒なり。 改正道路は道幅広く折から人家の屋根に懸りたる五日月の光に照らされたれど、女 共の住める路地の中は鼻をつままれてもわからぬばかり暗きが中に、彼方此方の窓 より漏るる薄桃色の灯影に女の顔ばかり浮み出したり。玉の井の光景この夜ほど我 が心を動かしたることは無し」。 暗闇のなかで私娼たちの顔だけが、あちこちから洩れてくる光に浮かびあがる。 荷風はその暗い詩情に心動かされている。」

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閑人の漫筆
posted by Fukutake at 08:41| 日記

2021年08月14日

半ば強いられた開戦い

「考える人」 季刊誌 2010年 秋号 No.434 新潮社
それでも、日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 p107〜

(第九回小林秀雄賞 受賞作)
「...英米相手の武力戦は可能なのか、この点を怖れて開戦に後ろ向きになる天皇 を、軍としてはどうしても説得しなければならない。四一年九月の時点でなぜ軍が 焦っていたか、...

日本は他のアジア諸国と軍事的、経済的、政治的に緊密な関係を樹立しようとした のに英米蘭は日本の計画に反対している。日本がこの時期にあって後退すれば、ア メリカの軍事的地位は時の経過とともに優位となり、日本の石油の備蓄量は日ごとに 減ってゆく。この時期、開戦を一年、二年と延ばすのは、かえって、歴史が教えている ように不利になるだけだ。
永野軍令部総長が、四十一年九月六日の御前会議の場で、天皇を含む出席者に 向かってこういったのです。

避けうる戦(いくさ)も是非戦わなければならぬという次第では御座いませぬ。 同様にまた、大坂冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような、不 利な情勢のもとに再び戦わなければならぬ事態に立到らしめることは皇国百年の大 計のため執るべきにあらずと存ぜられる次第で御座います。

なにがなんでも戦争しろといっているのではないが、大坂冬の陣の翌年の夏、大坂 夏の陣が起こったときに、もう絶対に勝てないような状態に置かれて騙されてしまった 豊臣氏のようになっては日本の将来のためにならないと思う、こう永野は述べる。豊 臣氏が騙されたといのは、一六一四年十二月二十日の冬、豊臣方と徳川方の間でな された大坂冬の陣の後の和平交渉で、徳川家康が、平和となったのだから、豊臣方 のこもる大坂城の堅固な石垣やお濠は必要ないといって豊臣方を安心させ、濠を埋 めさせた後、翌年夏に再戦して豊臣氏を滅ぼした一件です。当時の講談などで語ら れ、世のなかの誰もが知っている物語でした。 開戦の決意をせずに戦争しないまま、いたずらに豊臣氏のように徳川氏に滅ぼされ て崩壊するのか。あるいは、七割から八割は勝利の可能性のある、緒戦の大勝に賭 けるかの二者択一であれば、これは開戦に賭けるほうがよい、との判断です。このよ うな歴史的な話をされると、天皇もついぐらりとする。アメリカとしている外交交渉で日 本は騙されているのではないかと不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆ く。」

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いたずらに英米の無謀な要求をのみ続ければよかったのか。
posted by Fukutake at 09:56| 日記